優しい匂い
「それから、これは相談なんだが……」
エヴァンさんから相談?
一体なんだろう?
「アマネの遺骨なんだが……もし、ユヅルがよければフランスの、ニコラの墓に一緒に入れてやりたいのだ。どうだろうか?」
「母さんの、遺骨を……ニコラさんと、一緒に……?」
「ああ。ずっと思いあっていた二人だ。ようやく二人が一緒に居られるなら居させてやりたいと思うのだが……ユヅルの希望を聞かせてくれないか?」
母さんの遺骨をどこに納めるかなんて考えてなかった……。
僕と母さんは確かにこの十八年、この町で暮らしてきて思い出だってそれなりにある。
でも、僕がずっとこの地にいる保証なんてどこにもない。
現に大学ではここから離れて進学するつもりだった。
母さんもその時は一緒に行こうかなんて話もしていたのに……。
それなのに、亡くなってしまったからといって縁もゆかりもないこの地に一人で残ることを母さんが望むだろうか?
ううん、そんなこと絶対に母さんは望まない。
母さんはこの十八年、ずっと僕を育てるために必死に頑張ってくれたんだ。
これから先くらいは母さんが幸せになれるような場所に居させてあげたい。
そして、その場所はずっと思い続けていたニコラさんのところだ。
ニコラさんのところに連れて行けるなら、そうしてあげたい!
だってずっと離れ離れだったんだもん。
「ユヅル?」
「一緒に……ニコラさんと一緒に居させてあげてください。それが母さんの望みでもあり、僕の望みです」
「そうか……わかった。そのように手配しよう。ユヅル、君も一緒にフランスに行かないか?」
「えっ? それって……」
「アマネの遺骨を埋葬するという目的だけでなく、その後も一緒にフランスで暮らさないか?」
「僕が、フランスで……?」
「私は今、仕事で日本に滞在してるが、それもあと少しで終わる。アマネの遺骨とともにフランスに帰る予定だ。その時にユヅルにも一緒に来てほしいんだ」
エヴァンさんが……フランスに、帰る……。
そうか、そうだよね。
ずっとここにいられるわけじゃないってわかってたはずだ。
でも、僕がフランスに?
言葉もわからないのに……やっていける自信がない。
でも…………
エヴァンさんが、帰って……ここで一人で残る……。
この家にたった一人で?
エヴァンさんが居てくれたから、母さんを失った悲しみも癒されていたのに。
今朝の幸せな目覚めも……楽しい食事も……知ってしまったのに。
これをまた失う?
そんなこと耐えられる自信がない。
それならフランスに一緒に行ったほうが……。
言葉なんていつかは覚えられるし、知らない土地にもいつかは慣れる。
でも寂しさには絶対に慣れそうにない。
なら、答えはもう決まってる。
「エヴァンさん! 僕を……僕をフランスに連れて行ってください。エヴァンさんと離れるのは嫌です」
「――っ!! ユヅルっ!!」
エヴァンさんは嬉しそうに僕を抱きしめながら、
「ああ。一緒に帰ろう、私たちの家に。あっちで一緒に新しい生活を始めよう」
といってくれた。
「ユヅル、これからよろしくな」
知らない間に涙が溢れていたのを笑顔のエヴァンさんが優しく拭ってくれる。
「はい。よろしくお願いします」
僕の言葉にもう一度エヴァンさんが抱きしめたところで、
「あーっ、ゴホン、ゴホン」
と咳払いの音が響き、僕はビクッと身体が震えた。
「お話がまとまったところで、私の存在を思い出していただいてもよろしいでしょうか?」
にこやかな笑顔でセルジュさんが僕たちを見ている。
僕はハッと我にかえり、慌ててエヴァンさんから離れようとしたけれど、エヴァンさんにがっちりと抱きしめられて動けない。
「あ、あの……エヴァンさん」
「ユヅルはここが指定席なのだから離れないでいい」
「でも……」
ちらりとセルジュさんを見ると、はぁーーっと大きなため息を吐きながら
「ユヅルさま。そのままでいてあげてください。エヴァンさまはこうと決めたら頑固ですから、絶対に離しませんよ」
と呆れたように話していた。
「それに家族ですから、仲が良いのは素晴らしいことですよ」
にっこりとそう言われて僕は頷くしかできなかった。
「それでは、アマネさまのご遺骨はニコラさまのお墓に埋葬する。そして、ユヅルさまはエヴァンさまとご一緒にフランスに行かれるということで手続きを進めさせていただいても宜しいですか?」
「はい。お願いします」
僕が元気よく返すと、エヴァンさんは嬉しそうに
「セルジュ、頼むぞ」
といっていた。
「ところで、エヴァンさま。ユヅルさまの学校はどうなさいますか?」
「そうか、それがあったな。ユヅルは今の学校を卒業したいか?」
「でも、僕……まだ卒業まで5ヶ月くらいありますよ」
エヴァンさんはあと少しで帰るっていってた。
ってことは卒業するつもりなら結局離れ離れになってしまう。
それは……いやだな。
「なら、フランスの学校に編入するという手もあるな」
フランスの学校に入る?
でも、一切しゃべれないんだけど……。
「あの、僕……言葉が心配なんですけど……フランス語って難しいんですよね?」
「ははっ。確かに慣れないうちは発音で苦労するかもしれないが、私がつきっきりで教えるし、セルジュもいる。フランス語が飛び交う土地に住めば、ユヅルは若いから言葉くらいあっという間に習得するよ」
「はい。お二人が先生になって教えてくれるなら頑張れそうです。先生、いーっぱい教えてくださいね」
「――っ!!」
やったぁ!
ネイティブに教えてもらえるのが一番習得も早いって聞くし!
先生が二人もいるなら必死に頑張ればイケるかも!!
って、どうしたんだろう?
なんだかエヴァンさんも、セルジュさんも顔が赤いな……。
「エヴァンさん? どうかしましたか?」
「い、いや。なんでもない。じゃ、じゃあユヅルも一緒にフランスに帰るということで! セルジュ、手続きを頼むぞ!」
「はい。承知いたしました。それではユヅルさま、こちらのお家にあります荷物の選別をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「選別、ですか?」
「はい。フランスまで荷物を運ぶものと、処分するものに分けていただければあとは全て私が手配いたしますので」
分けるだけで全てをやってくれるんだ……。
本当すごい秘書さんなんだな、セルジュさんって……。
僕もいつかセルジュさんみたいになって、エヴァンさんのお仕事の手伝いとかできたらいいんだけど……。
「わかりました。すぐに始めますね」
「今日一日ゆっくり時間がございますので、焦らずとも大丈夫ですよ」
「ユヅル、私も手伝うからなんでも言ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
エヴァンさんはにっこりと笑って僕を抱きしめ、セルジュさんはそのまま手続きがあるからと出ていった。
セルジュさんを見送っていると、突然エヴァンさんにぎゅっと抱きしめられた
「ユヅル……一緒にフランスに帰ってくれると言ってくれてありがとう」
「そんな、お礼だなんて……僕のためなんです」
「ユヅルのため?」
「はい。昨日からのエヴァンさんと一緒にいる時間が幸せすぎて……この家に一人でいるのは耐えられないなって感じたんです。エヴァンさんのいない日々を過ごすくらいなら、言葉がわからなくて大変でもエヴァンさんと一緒にいられる方がいいなって。だから、僕のためなんです……」
「――っ、それって……」
「えっ? なんですか?」
「いや、なんでもない。そうか、ユヅルがそう思ってくれたなら嬉しいよ」
エヴァンさんが何を言いかけたのかはわからなかったけれど、それからずっとエヴァンさんが嬉しそうだったからいいか。
「ユヅル、早速引っ越しする荷物を選別しようか」
「はい。でもどこから手をつけていいのか悩みますね」
「とりあえず、ユヅルの部屋から始めようか。その方がわかりやすいだろう」
「そうですね」
僕はエヴァンさんと共に自分の部屋へと向かった。
扉を開けてすぐにエヴァンさんと一緒に寝たベッドが見えて、朝のあのエヴァンさんのをみちゃった光景を思い出してしまって顔が一気に赤くなる。
「ユヅル? どうした?」
「な、なんでもないですっ」
火照った頬を手で仰ぎながら、
「とりあえずここから片付けてみます」
とクローゼットを開けた。
「ほぉ、綺麗に片付けてるんだな。選別もしやすそうだ」
「実は大学で県外に行こうと思っていて、それも兼ねて少しずつ片付けてたんです。いらないものは結構処分してましたから、僕の部屋はすぐ終わると思います」
「そうなのか……大学では何を勉強するつもりだったんだ?」
「工学部に進んで、ゆくゆくは自分で起業して介護ロボットとか作ってみたいなと思ってました」
「介護ロボット? すごいな! それはフランスでもかなり需要はあるから、頑張ってフランスの大学で学ぶといい。ユヅルの介護ロボットが完成したら医療現場ではかなり助かるだろうな。そうなったら、私の会社でも取り扱えるよ!」
「えっ? でも、エヴァンさんってIT関係だって……」
「医療関係のIT企業なんだ。電子カルテとか最先端医療機器とか日本の会社と組んで開発したりもしてるんだよ」
「へぇー、そうだったんですね。すごいです! 今までにどんな医療機器を開発したんですか?」
「うちでは――――」
すごくためになるエヴァンさんの会社の話を聞きながら作業をしていると、あっという間に選別が終わっていた。
「じゃあ、こっちにあるものはフランスに持っていくもの、こっちが処分する方でいいか? 部屋にある家具はどうする?」
「ここにある家具はご近所さんたちが全て粗大ゴミに出すと言うものをいただいて使っていたので、フランスまで持っていかなくて大丈夫です」
「そうか……。えらいな、綺麗に使っていたのだな」
「母さんと二人で塗装し直したりして楽しかったですよ」
「アマネもユヅルがいたから頑張れたのだろうな。そして、ユヅルも……。いい親子だったのだな」
優しく頭を撫でられながらそう言われて、僕は胸の奥がクッと熱くなるのを感じていた。
エヴァンさんって……どうしてこんなに嬉しいことを言ってくれるのかな。
本当に優しい人だ。
そこからリビングやキッチンなどを片付けて行って、最後に母さんの部屋が残った。
「アマネのものは処分などせずに好きなだけ持っていけばいい。あちらにもアマネの部屋を作るから」
「はい。ありがとうございます。僕も母さんの部屋にはほとんど入ったことがないので、どんなものを置いているか正直わからないんですよね。でも、物は少ないと思います。いつも僕のばかり優先して買ってましたから……」
母さんの部屋に入ると、フワッと母さんのいつもの匂いがした。
「ユヅル……この香り……」
「はい。母さんが好きだった香水の匂いです。母さん、どんなに苦しくてもこの香水だけは切らさなくて……」
「これはニコラが大好きでつけていた香水と同じ匂いなんだよ」
「――っ! そう、だったんですね……」
「きっとアマネはずっとニコラの香りを纏っていたかったのだな……。それくらいずっとニコラを愛していたのだろう」
母さんが……。
知らなかった……。
僕は知らない間にお父さんの優しい匂いに包まれていたんだな……。