あん、ゔぁん、しょー、しる、ぶ、ぷれ
「ねぇ、エヴァンさん。理央くんとちょっと大事な話があって……エヴァンさんには観月さんに聞こえないようにして欲しいんですけど」
「何かサプライズでも考えてるのか?」
「そうなんです。協力してくれますか? あと、リュカも呼んでほしくて」
「ああ、わかった。だが、離れすぎないようにな」
「わぁー、エヴァンさん。大好きっ!!」
僕がエヴァンさんに抱きつくと、エヴァンさんは嬉しそうに笑ってすぐ近くにいたリュカを呼び寄せ、観月さんにフランス語で声をかけた。
その声かけに、観月さんは
「理央、ちょっと弓弦くんとリュカさんとここで待っていてくれ」
と言って僕の横に理央くんを置いてエヴァンさんの方に向かった。その隙に僕はリュカと理央くんに声をかけた。
「理央くん、観月さんのために注文したいって話してたの覚えてる?」
「うん、でもちょっと自信無くなっちゃってた」
「そうなの?」
「うん、合ってるか、確認したかったけどリュカさんにいつ聞こうかなって思ってたんだ」
「それならよかった。リュカ、今教えてあげて」
リュカはにっこり笑って少しホッとしているように見えた。
「ああ、なるほど。この時間はそのためだったんですね」
「そうなんだ、エヴァンさんに協力してもらって観月さんと理央くんを離してもらったの」
「ユヅルさま。お優しいですね」
「そんなことないよ。せっかくだから理央くんが観月さんを喜ばせるところが観たいんだ。ねぇ、理央くん」
「うん! 弓弦くん、ありがとう! あのね、『あん、ゔぁん、しょー、しる、ぶ、ぷれ』これで合ってるかな?」
辿々しい発音だったけれど、ちゃんと覚えていることにびっくり! これなら絶対注文できるよね。
「わぁっ! すごいっ! すごいっ! ねぇリュカ」
「はい。とてもお上手ですよ。よく覚えていらっしゃいましたね」
「わぁ、嬉しいっ! 弓弦くんとリュカさんに褒められたら頑張れそうな気がしてきた!」
自信に漲っている理央くんを見るのはとっても嬉しい。うまく伝わるといいな。
そっとエヴァンさんの方に視線を向けると、エヴァンさんが観月さんに気づかれないように目で合図してくる。僕も目でオッケーだよと伝えると、それから程なくしてエヴァンさんと観月さんがこっちに戻ってきた。
「お話終わったの?」
「ああ、お腹が空いただろう。さぁ、温かい食事と飲み物を買いに行こう」
エヴァンさんはサッと僕をコートの中に入れてくれる。
「あったかいね」
「話はうまくいったのか?」
「うん、エヴァンさんのおかげだよ」
「それならよかった」
エヴァさんの小声の問いかけに小声で返すと、エヴァンさんは蕩けるような笑みで僕を見た。
すると、
――ユヅル……今日は寝かせられないかもしれないな
さっき言われたことが急に甦ってきてドキドキしてしまう。
「んっ? ユヅル、どうした?」
「う、ううん。なんでもない。早くご飯買いに行こう!」
「ああ。そうだな」
ふぅ、よかった。何とか誤魔化せたみたい。でも……今日の夜、ドキドキしちゃうな。
「ユヅル、何が食べたい?」
「僕、前に食べたあれが食べたいです!」
僕が指差したのは大きなチーズの塊。
「ああ、ラクレットか。ユヅル、気に入っていたからな。じゃあ、それにしよう」
エヴァンさんはいくつかの具材を選んでくれて、そこにとろとろのチーズがかけられる。
「わぁー、美味しそうっ!!」
何度見てもこの瞬間はたまらない。
ジャガイモやソーセージにたっぷりと熱々とろとろのチーズがかけられて、見ているだけで涎が出そう。それをすぐにリュカがテーブルへと運んでくれた。
「飲み物も買おうか、ユヅルはショコラショーだろう?」
「うん、エヴァンさんのヴァンショーも買いに行こう!」
「ああ、覚えていてくれたのか。嬉しいな」
ショコラショーとヴァンショーは横並びのお店で売られていて頼むには便利だ。僕たちが行くとちょうど理央くんと観月さんも買いに来ていた。
「理央くん、食事は買えた?」
「うん、凌也さんが美味しそうなのをいっぱい買ってくれたよ。ほら」
理央くんが指差した先にあるテーブルにはもうすでにいろんな料理が置かれている。きっと空良くんや秀吾さんたちの料理もあるんだろう。ミシェルさんとセルジュさんが座ってくれているから安心だ。
「じゃあ、あとは飲み物だけだね。僕はショコラショーにするよ。理央くんも同じにする?」
「うん! さっきからこの甘い匂いが美味しそうだと思ってたんだ」
「じゃあ、理央。ショコラショーを頼もうか」
観月さんは流れるような滑らかなフランス語で理央くんのためのショコラショーを注文した。そんな観月さんの姿に理央くんも見惚れているように見える。
次は観月さんが理央くんに見惚れる番かな。楽しみ。僕の分もエヴァンさんが注文してくれて、残すはエヴァンさんと観月さんのヴァンショーだけ。
「ミヅキ、ヴァンショーを飲もうか」
「いいですね。身体が温まりそうです」
観月さんは理央くんを連れ、隣の店の店員に、
『Bonjour!』
と声をかけると、すかさず理央くんも
『ぼん、じゅーる』
と笑顔で声をかけた。
その可愛さに店員さんは、目を丸くしながら、
『Bo……bonjour』
と返していた。
あっ、なんだか僕が注文した時によく似てる。あの時も反応が遅くて心配になっちゃったけど、エヴァンさんが寒いだけだから大丈夫だって言ってくれてホッとしたんだよね。ああ、そのことも理央くんに教えておけばよかったな。
そんなことを思いながら、店員さんと理央くんたちを見ていると、観月さんが注文しようとしたよりも先に
『あん、ゔぁん、しょー、しる、ぶ、ぷれ』
という可愛らしい理央くんの声が響いた。
クリスマスマーケットの騒めきが一瞬止まったと錯覚してしまいそうなくらい、理央くんの声ははっきりと届いた。これなら絶対に通じているはずだ!
そう思ったけれど、店員さんは真っ赤な顔をして突然その場に崩れ落ちた。
えっ? 一体何が起こったの?
「わっ!」
理央くんは目の前で起こったことに驚きを隠せないみたい。そりゃあそうだよね、突然目の前から人が見えなくなっちゃったんだもん。
「りょう、やさぁん……」
何か悪いことをしてしまったのかと目にいっぱい涙を溜めて隣にいる観月さんに助けを求める理央くん。観月さんは放心しながらも、理央くんをそのまま抱き上げて抱きしめた。
「理央……今の……」
「あのね、凌也さんに喜んでもらいたくてリュカさんに教えてもらったの……でも、僕のフランス語聞き取れなかったみたい……うっ、ぐすっ……」
「――っ、理央が、俺のために……理央っ! ありがとう!! 嬉しいよ!!」
「でも、注文、できなかったよ……」
「そんなことない! 大丈夫だ! お店の人は可愛い理央がフランス語を話したからびっくりしただけだよ」
観月さんは理央くんを優しく抱きしめながら笑顔でそういうと、店員さんに向かって何か話し始めた。すると、店員さんは何度も大きく首を縦に振ってみせた。
「エヴァンさん、今観月さんなんて言ったの?」
「ああ、この子の注文をちゃんと聞いてやってくれって言ったんだ。というか、最初から伝わっていたはずだがな」
「やっぱり? 伝わりましたよね? でも、どうしてあんなふうになっちゃったんですか?」
「リオたちが我が家に来た時、ジュールにフランス語で挨拶したのを覚えているか?」
「うん。もちろん! すっごく可愛かったから覚えてます」
「あの時、それを聞いたジュールが膝から崩れ落ちそうになったのをジョルジュが抱き留めただろう?」
「あっ! そういえば……」
あの時の情景が甦ってくる。
『ぼんじゅーる、ぱぴー』
『あんしゃんて!』
『じゅ、しー、うーるーどぅぶ、らんこんとれ!』
理央くんと空良くんと佳都さんの可愛い挨拶にパピーが倒れそうになったんだっけ。可愛すぎてびっくりしたって。
「ああ、もしかしてあの店員さんも?」
「ああ、そうだ。特にリオの発音は小さな子が必死に喋っているみたいで可愛いらしいからな。至近距離で言われたらああなってしまうのも無理はない。ユヅルがここでショコラショーを頼んだ時も同じような感じになっただろう? あれも同じだ」
「そういえば……」
あの時、店員さんは目の前からいなくなりまではしなかったけれど、目を丸くして僕のことをずっと見ていたっけ。だから僕は聞き取れなかったかと思って悲しかったんだ。もう一度注文すると、ちゃんと伝わってショコラショーが買えたんだよね。
受け取る時にお礼を言ったらその時は今の店員さんと同じように目の前からいなくなっちゃったんだよね。あの時は寒いからってエヴァンさんは言っていたけど、もしかしてあれも今日と同じだったのかも。
「今、ミヅキが声をかけたから、次は必ず注文を受け付けてくれるよ」
エヴァンさんがそう言ってくれたから、
「理央くん! 頑張って!」
と応援すると、理央くんは観月さんに抱きかかえられたまま、もう一度
『あん、ゔぁん、しょー、しる、ぶ、ぷれ』
と必死に涙を堪えながら注文をした。
すると、顔を真っ赤にした店員さんが、
『D’accord!』
と言って、すぐにヴァンショーをカップに入れてくれた。手渡されたヴァンショーを理央くんが受け取る前にさっと観月さんが受け取る。理央くんを抱きかかえたままなのに、片手を離してもびくともしないって……すごいな。
『Merci!』
観月さんがお礼を言うと、まだほんのり涙声の理央くんが続けて
『める、しぃ』
と言うと、店員さんは今度は崩れ落ちこそしなかったけれど、真っ赤な顔で理央くんを見つめていた。
「理央くん、よかったね。ちゃんと買えたね!!」
「うん、僕頑張ったよ! ねぇ、凌也さん、びっくりした?」
「ああ、びっくりしたし嬉しいよ。このヴァンショー飲むのが楽しみだな」
「よかったぁ」
ラブラブな二人の隣で、僕もエヴァンさんのためにヴァンショーを注文する。まだ顔が赤いままの店員さんだったけれど、今度はすんなりカップに注いでくれた。
「エヴァンさん、嬉しい?」
「ああ、最高だな。私にもミヅキにもいいサプライズだったよ」
そう言って、僕を抱きしめてくれた。
「お待たせー!!」
ミシェルさんたちが取ってくれていたテーブルに向かうと、ちょうどみんなも飲み物を持って戻ってきた。
「いいタイミングだったね」
「うん、じゃあ食べようか」
ミシェルさんの声掛けで、食事が始まる。
やっぱり最初はショコラショー。ヴァンショーを飲むエヴァンさんと乾杯するようにカップを近づけて、ゆっくりと口につけると温かいショコラショーの甘みにホッとする。
「おいしっ!!」
「そうか、じゃあ私も味見しようか」
エヴァンさんは僕の唇にそっと重ねて唇についたチョコレートを舐めとった。
「ああ、本当に美味しいな」
嬉しそうなエヴァンさんの表情に僕の心はもっともっと温かくなった。




