僕たちは家族だから
あったかい……。
僕の布団ってこんなにあったかかったっけ?
しかもすっごくいい匂いするし。
ああ、このままずっとここで寝ていたい。
あ、でもそういえば起きて学校行かなくちゃ!
遅刻しちゃう。
でも……ここから出るの嫌だなぁ……。
いい匂いのするものに顔を擦り寄せてスンスンと匂いを嗅いでいると、
「くっくっ……」
と頭上から声が聞こえた。
えっ? 誰だっけ……この声……
まだ寝ぼけている頭を必死に稼働させて
「あっ!!」
僕はようやく思い出した。
恐る恐る顔を上げると、寝起きなはずのエヴァンさんが爽やかな笑顔で僕を見ていた。
「Bonjour、ユヅル。よく眠れたかい?」
「あ、あの……おはよう、ございます。すっごく、よく眠れました……」
「それならよかった」
「あの……そろそろ起きないと、だから……その、手を離して、もらっても?」
「大丈夫。しばらく学校は休みだからもう少し休んでいよう。起きるにはまだ早いよ」
そう言われて思い出した。
そうか……母さんが亡くなったから……学校休むんだっけ。
正直言って今はクラスメイトに会いたくなかったからホッとしてる。
「昨日は私もユヅルのおかげでよく眠れたよ。やっぱり一緒に寝て正解だったな」
「あ、じゃあ……今日も」
「ああ、もちろん。一緒に寝ることは決定済みだよ」
ニコッと笑顔を浮かべるエヴァンさんは朝から本当にカッコ良すぎて眩しいくらいだ。
僕、こんなかっこいい人と一緒に寝ちゃったんだ……。
うわっ、なんか急に照れてきた。
「ユヅル、どうした? 顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
「ひゃ――っ」
つい今、かっこいいと思ってた人の顔が近づいてきて、おでこがコツンと優しく合わさる。
「うーん、熱はないようだけど……」
すぐ目の前にエヴァンさんの唇があって、なんだか物凄くドキドキする。
「だ、大丈夫です。あの……寝起き、だから……そう、寝起きだから急に暑くなってきて」
理由になっていないと思いながらも慌ててエヴァンさんから離れて必死に訴えると、
「そうか」
と笑っていた。
ああ、やっぱりエヴァンさんってかっこいい。
すごく大人だし……紳士ってこういう人のこというのかな。
「ユヅルもすっかり目を覚ましたようだし、起きるとするか。私が朝食を用意するよ」
「あの、僕も手伝います!」
「えっ?」
「料理は母さん任せでほとんど何もしていなかったから邪魔になっちゃうかもしれないですけど、これから家族としてやっていくなら、僕も料理とかできるようになりたいなって……」
「ユヅル……そうか。ありがとう。じゃあ、一緒にやろうか」
「はい。頑張ります!」
僕はやる気満々で布団から出ると、エヴァンさんの浴衣がはだけてしまっていて昨日とは全く違う形状のエヴァンさんのが目に飛び込んできた。
「わっ! ごめんなさいっ!」
慌ててエヴァンさんの身体に布団を押さえつけてベッドから跳ね降りてその場から離れた。
洗面所でバシャバシャと乱暴に顔を洗いながらさっき見た光景を必死に頭から消し去ろうと試みるけれど、全然消えてくれない。
あ、あれって……朝のアレだよね……。
めちゃくちゃ大きくなかった?
昨日の夜、お風呂場で偶然見ちゃったやつよりも数倍大きく見えたんだけど……。
あんなに大きくなるもの??
僕はスッと視線を自分のそこに向けたけれど、比べるのも嫌になるくらいささやかなものだ。
あんなふうになることも滅多にないしな……。
僕はそういうものなのかもしれない。
トイレの水を流す音が聞こえて、こっちへと足音が聞こえる。
エヴァンさんだ……。
どうしよう……どんな顔したらいいのかな……。
そう思ってドキドキしていたけれど、
「ユヅル、もう顔洗ったのか?」
と普通の感じで声をかけられた。
あれ?
なんだ、普通だ……。
恥ずかしかってる僕がなんだかおかしいみたい。
「あ、はい。エヴァンさん、洗面所どうぞ」
「ありがとう」
にっこりと微笑んで顔を洗う姿もかっこいい。
ポーッと見惚れながら、僕はハッと我にかえり急いで洗面所をでた。
なんであんなに普通だったのだろう……僕、見ちゃったのに。
あっ、そうか!
――ユヅル、私たちは家族だから別に見ても見られても気にしない。そういうことにしよう。
昨日そう決めたのをエヴァンさんは守ってくれてるんだ……。
そうか、そうなんだ。
僕たちは家族だもんね。
僕もいちいち気にしないようにしようっと!
「ユヅル、食事を作ろうか」
洗面所から戻ってきたエヴァンさんとキッチンへと向かっていると、ピーンポーンとチャイムが鳴った。
「セルジュかもしれないな。私がでてこよう」
「あ、エヴァンさん。そんな格好だから僕が行きます」
「ユヅルを一人で行かせたくはないから、じゃあ一緒に行こう」
そう言って僕の手を取って玄関へと向かうと、すりガラスの引き戸に映ったシルエットからセルジュさんだとすぐにわかった。
鍵を開け迎え入れると、
「ユヅルさま、エヴァンさま。おはようございます……って、エヴァンさま。素敵なお召し物でいらっしゃいますね」
とセルジュさんはなぜか嬉しそうに目を細めてエヴァンさんに声をかけた。
「ああ、ユヅルの手作りのユカタだ。いいだろう?」
「ユヅルさまのお手製でございますか。それは……素晴らしい」
お世辞だと分かっていても褒められて嫌な気はしない。
「ありがとうございます。エヴァンさんにはちょっと小さかったんですけどね」
「いや、ユヅルの手作りだということに意義があるのだから、サイズが少しくらい合わなくてもこれ以上の着替えはないよ」
「エヴァンさんもありがとうございます。あ、今から朝食をエヴァンさんに作ってもらうところなんですけど、セルジュさんもご一緒にいかがですか?」
「エヴァンさまにご馳走していただけるのですか? それなら私もいただきます」
にっこりと笑顔を浮かべたセルジュさんを中に案内すると、僕とエヴァンさんはもう一度キッチンへと向かった。
「さて、今日は何を作ろうか? 冷蔵庫を開けてもいいかな?」
「はい。あの……エヴァンさんはもう家族なので、自由に開けてもらって大丈夫ですよ」
「――っ! そうか。そうだな。じゃあ、遠慮なく」
エヴァンさんは嬉しそうな笑顔を浮かべて、冷蔵庫の食材を確認して行った。
「ユヅル、これはなんだ?」
冷凍庫にあった白い塊を指差して尋ねるエヴァンさんに、
「ああ、それは冷凍ご飯です。炊いたご飯が余った時に冷凍しておくとレンジで温めてすぐにご飯が食べられるので母さんがいつもそうして冷凍してくれてました」
と説明した。
「そうか……アマネが……。なら、今日はこれで朝食をつくろう」
「冷凍ご飯で、エヴァンさんが……朝食?」
なんだか不思議な組み合わせで??? となってしまったけれど、エヴァンさんはそれ以外の食材も冷蔵庫から取り出して、手際よく料理を作り始めた。
「昨日のアマネのスープも少し残っているからそれも出そう」
わぁ……本当にエヴァンさんって料理上手なんだ。
動きに無駄がないし、次々にできていく。
僕、手伝うとか言ったけど邪魔になっていないかな?
「エヴァンさん……あの、僕……」
邪魔なら大人しくあっちでまっていようかと思ったけれど、
「ああ、ユヅル。これを混ぜてくれないか?」
と小さなボウルを手渡された。
「これ、なんですか?」
「手作りのドレッシングだよ。野菜が残っていたからサラダを作ろうと思ってね」
「へぇー、家でドレッシングなんて作れるんですね! 知らなかった!」
言われた通り、真剣にかき混ぜていると油が混ざっていい匂いがしてきた。
本当にドレッシングになってきてる。
すごーい!
僕、今、ドレッシング作ってるよ!
心の中で母さんに自慢してる自分がいる。
にっこり笑った母さんが美味しそうと笑う姿が目に浮かぶ。
ああ、母さんは亡くなってもいつだって僕のそばにいてくれるんだな。
そんなことを思ってしみじみしていると、
「ユヅル、どうだ?」
とエヴァンさんは僕の手元を覗き込んできた。
「あ、はい。こんな感じでどうですか?」
「ああ、いいな! ユヅル、とっても上手に混ぜられてるよ!」
混ぜるだけで大したことはしてないけれど、こんなにも褒めてもらえると嬉しくなってしまう。
きっとエヴァンさんは褒めて伸ばすタイプなんだろう。
「さぁ、もう朝食はできたからユヅルのドレッシングをかけたら完成だ」
「えっ? もう出来上がったんですか?」
僕がひたすらドレッシングと格闘している間に、テーブルには三人分の朝食が並んでいた。
ふぇー、すごすぎる。
あんまりにも早すぎて魔法みたいだ。
「セルジュ、朝食ができたぞ」
ソファにー座って仕事の資料みたいなものを眺めていたセルジュさんに声をかけると、嬉しそうにこっちにやってきた。
「エヴァンさまの料理なんて久しぶりですね。楽しみです」
そうか……セルジュさんはもう何度もエヴァンさんの料理を食べたことあるんだ……。
なぜかわからないけど、心の奥がモヤっとする。
なんだろう……。
「さぁ、ユヅル。こっちに座って」
エヴァンさんに声をかけられ急いで席に着くと当然とでもいうように隣にエヴァンさんが座った。
「口に合うといいんだが……」
少し照れたような表情を見せるエヴァンさんを可愛いなと思いつつ、食卓に目をやると美味しそうな料理が並んでいる。
「これはなんですか?」
「リゾットだよ。ユヅルは食べたことないかな? そうだな、わかりやすく言えば……ええっと、セルジュなんていうのだったか?」
「『おじや』ですか?」
「ああ、そうだ。『おじや』だ。西洋風のおじやとでも思ってくれたらいい」
「へぇー、すっごく美味しそうです」
「本当は生米から作るものなんだが、せっかくアマネが残してくれていたご飯があったからな。その分、早くできたよ。アマネのおかげだな」
ああ、なんでいつもエヴァンさんは優しい言葉をかけてくれるんだろう。
エヴァンさんの優しさが心に沁みる。
「ユヅル、初めてのリゾット。食べて感想を聞かせてくれ」
「はい」
緊張しながらスプーンを入れ、口に近づけるとその時点でものすごくいい匂いが鼻腔をくすぐる。
パクリと口に入れると、きのことチーズの香りがフワッと口内に広がった。
「わぁっ! すっごく美味しいですっ!!」
「――っ! そうか、よかった」
「エヴァンさん……大好きです」
「えっ?」
「このリゾット、大好きです。これから僕の大好物になりそうです」
「あ、ああ。そうか。ユヅルがそんなに気に入ってくれてよかったよ」
にっこり笑うエヴァンさんの向かいで、
「エヴァンさま、大変ですね」
となぜかセルジュさんがものすごく楽しそうに笑っていたのが印象的だった。
手作りのドレッシングはとてもおいしかった。
エヴァンさんもセルジュさんもすごく褒めてくれて、混ぜただけの僕は少し背中がむず痒かったけれど、すごく楽しい朝食の時間だった。
朝食を終え、三人で片付けを済ませるとあっという間に終わった。
いつもは母さんが料理を作っていたから片付けは僕の担当だったんだ。
一人でやるのも慣れていたけれど、やっぱり三人でやると早いな。
「ユヅル、これからちょっと大事な話があるんだ。あっちで話そう」
エヴァンさんに手を引かれ、ソファーのある部屋へと向かう。
どんな話だろう?
母さんのお葬式のことかな、やっぱり。
エヴァンさんがセルジュさんを見ると、セルジュさんはさっと鞄から数枚の紙を取り出した。
それをエヴァンさんに手渡すと、それを確認してから僕を見た。
「昨日も少し話したが、アマネの葬儀が決まった。火葬場のスケジュールもあって、告別式は明後日だそうだ。今、アマネは葬儀を行う葬祭場で安置されているから安心してくれ。アマネの葬儀が終わるまでは私もここでユヅルと過ごすから心配しなくていいよ」
「はい。セルジュさん、いろいろ手続きありがとうございます。エヴァンさんもお仕事忙しいのにここに留まってくれてありがとうございます」
「ユヅル……私たちは家族だからお礼なんていらないんだよ。なぁ、セルジュ」
「はい。できるものが動けば良いのです。ユヅルさまはアマネさまのことだけお考えになっていらっしゃればそれで良いのですよ」
「――っ、はい。ありがとうございます」
僕は二人の優しい言葉が嬉しくて涙を滲ませた。