わっ、見ちゃった!
ほかほかに温まってお風呂から出ると、エヴァンさんが誰かと電話をしていた。
フランス語だから何を喋っているのか全然わからないけど、耳に入ってくる音が心地良い。
エヴァンさんの綺麗な声にうっとりしてしまって、足元の荷物に引っ掛かってしまった。
「わぁっ!」
転ぶ! と思った瞬間、逞しい腕の中に包み込まれた。
「ユヅル、大丈夫か?」
「あ、はい。ごめんなさい、電話の邪魔をしてしまって……」
「そんなこと気にしないでいい。相手はセルジュだ。アマネの葬儀の日程が決まったと連絡があったんだ」
「もう? すごい! 本当にセルジュさんにお任せしてよかったです。母さんもこれで安心してると思います」
「ユヅルは何も心配しないでいいよ。ただアマネのことだけ考えていればいいから」
「はい。ありがとうございます」
エヴァンさんは僕をそっとソファーまで連れて行ってくれてから、
「私も風呂をいただいてこよう。ユヅルの貸してくれたユカタも着させてもらうよ」
と笑顔で言ってくれた。
あの時、出来上がった浴衣を見て母さんは
ーー大きそうだけど、縫い目も綺麗にできてる! 弓弦はお裁縫が上手だね
って太鼓判押してくれたんだ。
だからきっと大丈夫なはず!
それでもエヴァンさんがどんな感じで出てくるのかドキドキしてしまって、僕はずっとお風呂から出てくる廊下を見つめていた。
カタンとお風呂の扉が開いたような音がして見ていたけれど、なかなかこっちにくる気配がない。
もしかしたら着られなかったのかも……。
やっぱり素人の手作りだし……と心配になって、お風呂場に行って廊下側から扉に向かって
「あ、あの……エヴァンさん。浴衣、大丈夫ですか?」
と声をかけると、
「いや……大丈夫、だと思うんだが、これで合っているのかと心配になって……」
と少し戸惑ったような声が聞こえた。
「あの、扉開けてみても大丈夫ですか?」
「えっ? あ、ああ。構わないよ」
「じゃあ、開けますね」
開けますよ……ともう一度声をかけながらゆっくり扉を開けると、
「あ――っ!」
裄も着丈も微妙に短い浴衣に身を包んだエヴァンさんが立っていた。
そっか、やっぱりあれでもエヴァンさんには小さかったんだな……。
「この紐をどうやって結ぼうか悩んでいたところだったんだ」
「ああ、帯……」
手で浴衣の前を押さえながら決まり悪そうに僕に帯を見せるエヴァンさんの姿がなんだかとても可愛く見えて、思わず笑ってしまった。
「あっ、ごめんなさい。笑ったりして……」
「いや、いい大人なのにユカタも着られないとは恥ずかしいよ」
「初めて見るものなんでしょうから当然ですよ。日本人でも浴衣の着方に迷うことはありますから。僕がお手伝いしてもいいですか?」
「あ、ああ。頼むよ」
僕はエヴァンさんの前に立ち、浴衣のえり先を合わせようと浴衣を持ち上げた時
「わっ――!」
「Oups !」
エヴァンさんの……が目に入ってしまった。
「――っ、ご、ごめんなさい! ついっ、うっかり」
「い、いや……私の方こそ変なものを見せてしまって申し訳ない」
「そんな! 変だなんてっ!」
「えっ?」
「あ、いや。そうじゃなくて……あの、ごめんなさい……」
僕は急いで帯を締め、脱衣所から駆け出した。
うわぁーっ、僕。
何やってるんだよ!!
着替えも何も持ってきていないエヴァンさんがお風呂上がりに下着をつけていないことくらい少し考えたらわかったことなのに……。
勝手に裸見たりしてとんでもないことしちゃった。
ヨーロッパの人は温泉でも水着着るって聞いたことあるから、きっと人に裸見られるのなんて嫌に決まってる。
それなのに僕は……。
せっかく僕のために駆けつけてきてくれたエヴァンさんに申し訳ないことしちゃったな。
ああ、すぐにでもさっき見たのを記憶から抹消して何も見てない、覚えてないって言えたらいいのに……。
僕の脳裏にさっきのエヴァンさんの裸がありありと浮かんでくる。
ものすごく大きくて立派だった。
外国人さんってみんなあんなに大きいのかな……。
僕だって、その……ニコラさんの血を引いてるはずなのにな。
さっきのエヴァンさんのと比べたら……びっくりするくらい小さい。
いや、僕はまだ高校生だしこれからまだ大きくなる可能性だってあるけど……それでも、あんなに大きくなるなんて想像もつかない。
多分無理だろうな……。
って何考えてるんだ!
アレの大きさの話じゃなくて、僕が勝手にエヴァンさんの裸見ちゃったって話だよ。
ああ、もう本当に……とんでもないことしちゃった。
エヴァンさんに会わせる顔がないよ……はぁーっ。
「……ユヅル」
「あっ、エヴァン、さん……」
申し訳なさそうにエヴァンさんが僕の元にやってくる。
「さっきは悪かった」
「えっ? 謝らないといけないのは僕です。勝手に裸見ちゃったりして……本当にごめんなさい」
「ユヅルが謝ることはないよ。私がちゃんと下着をつけていないと言えばよかったんだ」
「そんな……僕の方が先に気を配るべきで……」
「いや、私が…………」
「ははっ」
「ふふっ」
二人で謝りあっている姿に僕もエヴァンさんもつい笑ってしまった。
「ユヅル、私たちは家族だから別に見ても見られても気にしない。そういうことにしよう」
「は、はい。エヴァンさんがそれで大丈夫なら僕も気にしないです」
「じゃあ、これで仲直りだな」
「はい」
あんなことをしてしまっててっきり嫌われたと思っていたからエヴァンさんの優しい笑顔にホッとした。
「今日は早く休もうか」
「はい。あ、エヴァンさんは僕のベッドに寝てください。僕はここのソファーで寝るので」
「ユヅル、ちゃんと休まないと疲れが取れないよ。私がソファーで寝るからユヅルはベッドで寝るんだ」
「でも、エヴァンさんこそ遠くからきてくれて疲れてるのに……」
僕なんかよりエヴァンさんの方がずっとずっと疲れてるはずだ。
僕はソファーだって眠れるけど、エヴァンさんにはこのソファーは小さすぎる。
「じゃあ、一緒にベッドで寝よう」
「えっ? 一緒に?」
「ああ、それなら二人とも休めるしそれが一番いい解決策だろう?」
「あっ、でも……」
「ほら、湯冷めしてもいけないから行こう」
戸惑っている間にさっさとエヴァンさんに抱きかかえられて、僕の部屋に連れていかれる。
僕のベッドは母さんが近所の人からもらってきてくれたもので、セミダブルだから普通よりは大きいはずだけどエヴァンさん大きいからあんまり意味はないかもしれない……。
大丈夫かなぁ。
不安に思いながらも、ベッドに横になると
「少し狭いがユヅルと一緒なら大丈夫だな」
と嬉しそうに僕を抱きしめてくる。
エヴァンさんの胸の空間に僕の小さな身体がすっぽりと収まるから、確かに大丈夫そうだけど。
「寝にくくないですか?」
「ああ、大丈夫だよ。ユヅルが抱き枕みたいでかえって熟睡できそうだ」
確かにエヴァンさんの温もりはホッとして僕も熟睡できそうだ。
そういえば母さんとこうやって一緒に寝てたことがあったな。
あれはまだ僕が小学生くらいだったか……。
流石に中学生になってからはなかったもんな。
久しぶりの人肌に少し緊張するけど、なんだか安心する。
「ユヅルから見たアマネはどんな人だったんだ?」
エヴァンさんからの突然の質問に驚きつつも、そういえば思い出話をしながら寝ようって言われてたっけ。
「母さんは一言で言うと……強い人、でしたね」
「強い? アマネが?」
きっとエヴァンさんは若い頃の母さんに会ったことがあるんだろう。
驚いた声に少し笑ってしまう。
「はい。どう見ても未成年の女性が生まれたばかりの赤ちゃん連れで、こんな田舎にやってきてたら訳ありと思うでしょう? 来たばかりの頃は周りの人はみんな、母さんのことを怪しく見てたみたいで……不倫の末に子どもを産んで逃げてきたとか、僕の見た目がどう見てもハーフだったから外国人に遊ばれて捨てられたとか……いろんな噂流されて結構辛い思いをしてたみたいです」
「そんなことが……。ユヅルももしかして辛い想いをしたのか?」
「僕は物心ついた時から母さんとずっと二人で、それが当たり前だと思って生きてきましたけど、学校に行き出したらやっぱりいろいろと言われましたよ。どう見ても僕は日本人には見えないですしね。でも、母さんはお父さんのことは何も教えてはくれなかったけれど、お父さんのことを一度も悪く言わなかったんです。それどころか、母さんは何か辛いことがあると、僕を抱きしめて僕のこの髪を優しく撫でてくれたんです。そしてすぐに笑顔に戻ってました。今思えば、きっと僕を通してニコラさんのことを想っていたのかもしれないな。だから僕もお父さんのことを恨むことはなかったですね」
「そうか……。そういえば、ユヅルの髪色はニコラのそれにそっくりだな。柔らかな髪質も本当に瓜二つだ」
そう言ってエヴァンさんが僕の髪を優しく撫でてくれる。
母さんのあの優しい指の感触に似ている気がする。
「ニコラさんはどういう人だったんですか?」
「そうだな。ヴァイオリンに関しては誰も足元にも及ばないほど天才的な技巧を持っていて、ニコラはずっとヴァイオリンを生涯の相手に選んだと言われていたよ」
「そんなにすごい人だったんですね」
「ああ。だが、アマネと出会ってニコラは変わった。最初はアマネの天使の囀りのような美しい音に魅了され、そしてアマネ自身にも魅了されたんだ。アマネと出会ってからのニコラのヴァイオリンは格段に変わった。まだ子どもだった私の耳でもニコラの音が美しく変わったとわかったくらいだ。本当に素晴らしかったよ」
「そんなに素晴らしい音色だったんですね……僕も聞きたかったです。でも、母さんはいつも幸せそうにヴァイオリンを弾いてましたからもしかしたらニコラさんの音色を出せるようになっていたのかもしれないですね。母さんはニコラさんのこと、本当に心から愛してたんでしょうね」
「ああ、そうだな。ニコラがアマネと一緒にいるのを何度か見かけたことがあるが、その時の二人は本当に幸せそうだったよ。ニコラにあんな表情させることができたのは多分、生涯を通じてアマネだけだったろうな……」
母さんと二人で幸せに暮らしてきたけど、ニコラさんと母さんが引き離されなかったら僕たちはきっと幸せな家族になれてたんだろうな。
「ユヅル……ニコラとアマネの分まで幸せになろう。私がずっとユヅルのそばにいるからな」
「エヴァンさんのその言葉……なんだかプロポーズみたいですね」
エヴァンさんの優しい言葉となにも心地良い温もりに包まれながら、僕はいつの間にか眠ってしまっていた。
母さんが亡くなった夜だというのに、ここ最近で一番幸せを感じながら深い眠りにつけたのはきっとエヴァンさんのおかげだろう。