Je t’aime
やっとドレスだ! と思っていると、クララさんは
「それでは私はしばらく外に出ておりますので、お召し替えが終わりましたらお声がけください」
と言って出ていった。
「てっきりクララさんが着せてくれるのかと思ってました」
「もちろん、普通はそうなんだが私が着替えさせると言っておいたんだ」
「えっ? エヴァンさんが?」
「ああ。着替えとはいえ、ユヅルのこの美しい肌を見て良いのは私だけだからな。クララには悪いが、そうしてもらった。元々、そのために私でもユヅルを着替えさせやすいように仕立てを頼んでいるからな。だから、心配しなくていい。私でも十分綺麗に着させられる」
「エヴァンさん……」
着替えにまで嫉妬するなんて……僕はどれだけ愛されているんだろう。
「嬉しいですよ。僕もちょっと恥ずかしいなと思ってたので、エヴァンさんだけなら安心です」
「――っ、ユヅルっ! ああ、ユヅルは本当に優しいな」
「優しいのはエヴァンさんですよ。僕のためにそんなにまでしてくれて……ドレスなんて着るのは生まれて初めてですから、正直着るのが難しそうだなって思ってたんです」
「一生に一度のウェディングドレスだから、かなり張り切って作ったんだ。じゃあ、ユヅル。こっちにおいで」
ドレスの近くに呼び寄せられると、エヴァンさんは
「まずはこれからだな」
とドレスのそばに置かれていた小さな箱を持ってきた。
なんだろうと思っていると、中に入っていたのは折り畳まれた小さな布切れ。
「これ……」
手で取り出すと、柔らかな生地はするりと広がった。
「――っ!! も、しかして……」
「ああ、ドレス用の下着だ。それに見合うものをつけないと外からドレス以外のものが薄らでも見えると恥ずかしいからな」
今穿いている下着は、エヴァンさんが買ってくれたグレーのボクサーパンツ。流石にこの下着だと、確かにドレスを着た時に透けて見えるかもしれない。そうなるとせっかくのドレスが台無しだ。それはよくわかるんだけど……流石にこの布きれだけみたいな下着はなんだか心許ない気がするのは気のせいか?
「女性なら、みんなこのような下着を普段でも身につけているんだぞ。ほら、持っていてあげるから服を脱いで」
そうなんだ……女の人ってみんなこんな薄い下着を日常的につけているんだ。知らなかったな。
母さんの下着はどうだったっけ……うーん、よく覚えてないな。そもそも洗濯は母さんの仕事だってやらせてもらえてなかったし。その分、僕は掃除係だったんだけど……って、今はそんなことどうでもいい。
にっこりと微笑み、僕に着るのを促すエヴァンさんを見ながら、
「わ、わかりました……」
と言うしかなかった。
ドキドキしながら、服を脱いでいる時からずっとエヴァンさんの視線を感じる。そして、全部脱ぎ終わってからドレス用の下着をエヴァンさんから受け取ろうと視線を向けると、
「ユヅル……お前は本当にどこもかしこも美しいな」
と恍惚とした表情で言われた。そういえば、こんなに明るい場所で僕だけが裸になるなんてシチュエーションなかなかないよね。全てを見尽くされているのに、それでもなんとなく恥ずかしい。
「あんまり、見ないで……」
「あ、ああ。悪い。あまりにも美しすぎて目が離せなかった」
エヴァンさんは気持ちを切り替えたのか、下着を穿くのを手伝ってくれた。
「わぁっ!」
ただの布切れっぽく見えていたのに、なんだかとても着心地がいい。締め付けがないのに守ってくれているようなそんな感覚があって、心許ないと思っていたのが嘘みたいだ。意外とこの下着クセになりそう。
「気に入ってくれたようだな?」
「はい。びっくりしましたけど、すごく着やすいです」
「ならよかった」
その後、薄い靴下みたいなやつを穿いて、それがズレないようにするためのガーターベルトとか言うのもつけてもらった。
すごいなぁ。男ならパンツ一枚穿くだけで終わりなのに、女性って毎日こんなにいっぱいつけているんだ……。なんか尊敬する。
上半身にも、ドレスが綺麗に見えるようにと胸から下の下着、ビスチェっていうらしい。それをつけてもらった。少しコルセットみたいで締められている感じがしたけれど、苦しくはなかった。
「これで下着は完成だ。ああ……っ、ユヅル。これだけでも十分美しいな」
「そんな……恥ずかしいですっ。早くドレス、着せてください」
「ああ、悪い」
エヴァンさんは手慣れた様子でドレスをハンガーから外すと、
「この中に入ってごらん」
と言われた。
その後も言われた通りに腕を入れ、後ろをキュッとリボンで締められるとようやくドレスの着替えが終わった。
「どうだ? ユヅル」
「――っ、す、すごくて……っ、言葉が出ません」
「私はユヅルの美しさに言葉が出ないよ。ああ、私の花嫁。
『Je t’aime pour toujours.』」
「エヴァンさん……『Tu es l’amour de ma vie. Je t’aime」
「――っ!!! ユヅルっ!!!」
エヴァンさんに初めて伝えた、僕の思いがたっぷりと詰まったこの言葉。絶対に今日言おうと思ってずっと練習してた。
やっと綺麗な発音で言えたかな。
エヴァンさんが覚えてくれているか心配だったけど、エヴァンさんのこの反応を見るとあの時のことを覚えてくれているみたい。
ああ……本当に幸せだな。
「ユヅル、挙式前に撮影に行こう」
「わぁーっ、エヴァンさん! かっこ良い!!!」
椅子に座ってエヴァンさんの準備が整うのを待っていると、あっという間に準備を終えたらしいエヴァンさんがカーテンの向こうから出てきた。
僕の目の前に現れたのは、本物の王子さまみたいな格好をしたエヴァンさん。
「これ、結婚式用の服ですか?」
「これはロレーヌ家当主だけが着ることを許されている伝統的な宮廷服だよ。この服を着た私といるだけで、ユヅルはロレーヌ家当主の伴侶として認められるんだ」
「うわぁ、すごい服なんですね!! 本当にかっこ良いです!」
本当にあまりの格好良さに魅入ってしまうほどだ。
「ユヅルがそんなに気に入ってくれて嬉しいよ。ならば、今日はたっぷりと撮影してこの姿を残しておくとしよう」
「わぁー、嬉しいです!」
「じゃあ行こうか」
エヴァンさんが取り出したのは、綺麗な箱の中に入っていたのは少しヒールのある白い靴。ドレスに合わせて用意してくれたんだとすぐに分かったけれど、こんなにヒールのある靴を履いたことがない。足元が覚束なさそうけど大丈夫かなと心配している僕を横目に、エヴァンさんは椅子に座っている僕の前にさっと片膝をついた。
そして、僕の片足を優しく膝に乗せ、その白い靴を履かせてくれた。その王子さまのような仕草にまるで本当に自分がお姫さまになったかのような気分になってしまう。なんだか照れるけど、嬉しい。
「わっ!」
履かせてもらった靴の吸い付くようなその履き心地に驚く。まるで、足に合わせて作ったかのようになにもかもがぴったりだ。
「どうだ?」
「すごいです! この靴!」
「ヒールのある靴は慣れないだろうから、少しでも履きやすくなるようにユヅルの足の形に合わせて作ったんだ」
まさかそんなところまで考慮してくれているなんて思わなかった。
「ありがとうございます、エヴァンさん」
両足とも履かせてもらってゆっくりと立ちあがると、普段より数センチエヴァンさんが近くに見える。
それだけでなんとなく視界が広がったような気分にワクワクしている自分がいた。
早速一歩踏み出そうとすると、慣れないヒールと長いドレスに思わず転けそうになってしまった。
「わっ!」
「おっと!」
エヴァンさんがすかさず抱き止めてくれて、大事には至らずに済んだ。
「ユヅルのドレスは裾も長いから転ぶと大変だ。私が抱いて歩くとしよう」
エヴァンさんは僕の長いドレスの裾を手にかけてからさっと僕を抱き上げる。ふわりと身体が浮いて、かっこいいエヴァンさんの顔が近づいてくる。僕はそっとエヴァンさんの首に腕を回した。
「ああ、これでいいな」
嬉しそうなエヴァンさんと一緒に部屋を出ると、クララさんとたくさんの荷物を持った男性が待ち構えていた。
「エヴァンさん、あの人は?」
「ああ、紹介しておこう。彼は我々の専属カメラマンのトリスタンだよ。『トリスタン、今日は頼むぞ。特に私の可愛い伴侶の美しさに負けないような写真を撮ってくれ』」
『おおっ! なんて美しいんだ! こんなに美しい花嫁を見たのは生まれて初めてです!! ロレーヌ総帥、これは腕がな鳴りますね』「とりすたん、デス。よろしく、オネゴイ、シマス」
興奮気味にフランス語を話したと思ったら、今度は辿々しい日本語で挨拶してくれた。どうやらトリスタンさんは日本語をあまり話せないみたい。きっと一生懸命僕のために日本語の挨拶を覚えてくれたんだろう。すごく優しい人だな。
『初めまして、トリスタンさん! 僕は弓弦と言います。今日はよろしくお願いします!』
拙いながらもなんとかフランス語で挨拶すると、トリスタンさんは
『おおっ! 素晴らしいフランス語ですね!! 小鳥の囀りのような美しい声で私の名前を呼んでくれて嬉しいです』
と褒めてくれる。
といっても後半はあまり分からなくて、すぐにエヴァンさんが通訳してくれたんだけど。こんなに褒めてくれると照れちゃうな。
エヴァンさんはトリスタンさんとこれからの撮影場所について話をしてから、僕に教えてくれた。
「ミヅキたちと撮影場所が被らないように決めていたんだ。私たちは大階段からの撮影にしよう」
「大階段って、さっきの入り口の近くにあった階段ですか?」
「ああ、そうだ。ユヅルの長いトレーンが一番映えるからな」
「トレーン?」
「そのドレスの裾のことだよ。昔はトレーンが長ければ長いほど身分が高く、そして美しさの象徴だと言われていたんだ」
「だからこんなに長いんですか?」
「ああ、ユヅルは私の花嫁だからな。世界で一番美しい花嫁にぴったりのトレーンだろう?」
満足そうに話すエヴァンさんを見て、僕も嬉しくなっていた。世界で一番美しい花嫁……まさか自分がそんなことを言われる日が来るなんて……母さんに似て良かったのかも。