Cabane dans les arbres
「エヴァンさん! 僕、嬉しいっ!! 初めてのクリスマスプレゼントがこんなに嬉しいことだなんて思ってなかったです」
「えっ? ユヅル……初めてって……?」
「僕、誕生日もクリスマスもプレゼントは貰った事ないんです」
「そう、だったのか……」
「小さい時はなんで貰えないのかも分からなくて、どうしてうちにはサンタさんが来ないの? って。母さんに言っちゃったこともあります。今ならわかりますよ。毎日の食事も大変なのに、プレゼントなんて買う余裕なんてなかったんだって。あの時、母さんがすごく傷ついた顔して……。酷いこと言っちゃったなって……今でも思います。その時からなんです、クリスマスは僕が母さんのサンタになろうって決めたのは」
「ユヅル……」
「でも、大したことはできなかったんですけどね。似顔絵書いたり、折り紙で花を作ったり……ちっちゃい時はそれが精一杯で」
「じゃあ、アマネの部屋に大切に残されていたのは、ユヅルサンタからの贈り物もあったのか……」
母さんの部屋に置かれていた大きなクローゼットの中身をちゃんと覚えててくれてるんだ。やっぱりエヴァンさんって優しいな。
「そうかも。母の日とか、母さんの誕生日とかイベント毎にあげていたから、もうどれがどのプレゼントなのかも分からないですけど」
「ユヅル……今年のクリスマスは思いっきり幸せになろう。私たちの門出の日だからな」
「はい。エヴァンさん……」
エヴァンさんの大きな胸に抱きしめられて、僕たちはそのまま甘いキスを交わした。
あっという間に12月に入り、気がつけばあと1週間ほどで佳都さんたちが来る頃になっていた。
結婚式という僕の人生の中でも一際特別なイベントに加え、久しぶりに佳都さんに会えるという楽しみ、そしてずっとメッセージアプリだけでやりとりしてきた友人の理央くんや空良くん、そして秀吾さんと初めて会えるという緊張がたっぷり詰め込まれて、僕はそれらを糧にして、ひたすら勉強に励んだ。
何もできない僕だけど、みんなよりはフランス語を少しでも多く覚えてせっかくのフランス旅行を楽しんでもらいたい。その気持ちが僕の勉強への原動力になっていた。
『リュカ……僕、少しはフランス語、じょうじゅ……違った、じょうず、になったかな?』
『上手、になりましたよ。本当に、こんなに短期間で、ここまで話せたら、すごいですよ』
『僕、みんなにフランス語で、あいさつ、するんだ。最近は、エヴァンもフランス語で話しかけて、くれるんだよ』
『だからでしょうね、フランス語の習得のスピードが、かなり上がってきてます」
『しゅー、と、く?』
『ああ、習得……身に付くということですよ』
『身に付く……ああ、わかった。しゅうとくだね』
一つ一つ優しく教えてくれるリュカと、エヴァンさんやパピーが率先して僕にフランス語を話しかけてくれるおかげで、本当にフランス語を聞き取れるようになった気がする。
そういえば、フランス語で話すときはエヴァンさんを『エヴァン』と呼び捨てで呼ぶようになった。
日本語だと気にしなかったけど、フランス語だと『Monsieur Evan 』って呼びかけるのがよそよそしくて嫌だと言われてしまったんだ。
いきなり呼び捨てで呼ぶようになるのはかなり緊張だったけど、確かに恋人同士で『Monsieur』を付けるのはおかしいって僕でもわかる。だから、慣れないけど頑張ってフランス語ではエヴァンと呼びかけてるんだ。時々フランス語の合間にエヴァンさんって呼びかけちゃって笑われる時があるけどね。まだまだ日本語での会話が多いからその時はエヴァンさんと呼んでるし……慣れないうちはこんな感じなのかも。
『ユヅルさま。そろそろ、お茶にいたしましょう』
『はーい。Papy. Un café et un café au lait しる ブプレ』
最初は緊張したパピーへのお願いも毎日の習慣になるとだいぶ上手になってきた気がする……『しる、ブプレ』以外は……。
何度練習してもリュカやパピーみたいに綺麗に言えないんだよねぇ……。これも慣れるのかなぁ……。
『C’est entendu 』
ショコラショーも好きだけど、最近のお気に入りは砂糖とミルクがたっぷり入ったカフェオレ。パピーが淹れてくれるのが僕の好みにぴったりで本当に美味しいんだ。
そして、最近のお気に入りはもう一つ。お茶をしながら、エヴァンさんの話をパピーに聞くこと。
『ねぇ、パピー。今日も、何か、お話して』
『ふふっ。じゃあ、今日は、Base secrète、のお話にしましょう』
『ばー、ず すく、れーと?』
「秘密基地のことですよ」
分からない単語が出てきてすかさずリュカが教えてくれる。
『わぁー、ひみつ、きち……楽しそう!! 教えて! 教えて!』
エヴァンさんが秘密基地だなんて! なんだかワクワクする!!
<side ジュール>
ニコラさまのお墓にアマネさまを埋葬されてから、ユヅルさまの心に何かしら変化が起こったのか、その日からフランス語の勉強を熱心にされるようになった。できるだけ、日本語を使わないように努力する姿はなんともいじらしく、応援したくなる。
最初はフランス語の教科書を片手に勉強なさっていたけれど、やはりひとりではなかなか進まないものだ。
特に言語習得にはそれを教えてくれる教師が必要だろう。
とはいえ、ユヅルさまに対してこの上なく独占欲をお持ちの旦那さまのお眼鏡に適うような教師が見つかるわけもなく、私はやきもきしていた。
私が日本語さえ習得していれば……とどれだけ思ったか知れやしない。しかしいまさら勉強しても、きっとユヅルさまがフランス語を習得する方が先だろう。なんせ私はもう頭の固い老人なのだから。
そんなことを思っていると、旦那さまがようやくユヅルさまにフランス語の家庭教師を連れてこられた。
そのお方はリュカ・セザールさま。
彼はフランス警視庁にあるロレーヌ一族専属警備隊の副隊長でいらっしゃるお方だ。旦那さまはそのお方が日本語に堪能でいらっしゃることに目をつけられたのだろう。専属護衛兼家庭教師としてユヅルさまのおそばに置かれることになったのだ。もちろん、リュカさまが警備隊の副隊長でユヅルさまの専属護衛としてお仕えしていることはユヅルさまには内緒だ。それは、ユヅルさまにはのびのびと過ごしてほしいという旦那さまのご意向だからだ。
国内でも屈指の猛者であるリュカさまは物腰が柔らかく、ユヅルさまとは馬が合うようですぐに打ち解けられ、まるで長年のご友人であるかのようだ。私はいつもお二人の勉強に同席しているが、お二人が楽しく勉強なさっている姿を拝見できるのが最近の楽しみになっている。
ユヅルさまの頑張りの成果が出始め、今では簡単な会話ならフランス語でできるようになっていた。こんなにも短期間で会話ができるようになるとは……本当に素晴らしいことだ。
いつものようにユヅルさまが私にお茶の注文をなさる。
辿々しいフランス語もだいぶ上手になられた。嬉しく思う反面、あの幼な子のような発音をされていたのを懐かしくも思う。ユヅルさまの姿に旦那さまのお小さい頃が思い出される。
ふと旦那さまの昔話を思い出してユヅルさまにお話ししたところ、大層喜ばれた。どうやらフランス語を早く学びたいと思われたのは、私に旦那さまのお話を聞きたかったからという理由もあるようだ。
ああ、旦那さまはこの上なくユヅルさまに愛されていらっしゃるのだ。
こんなにも愛し合う二人がこの広い世界で出会えたことは本当に幸運だったのだろう。
私は今日もユヅルさまのキラキラとした瞳に引き込まれるように、旦那さまの昔話をお聞かせする。
<side弓弦>
『大旦那さま……旦那さまの、お父さまが、まだお小さかった、旦那さまに1冊の本を、贈られたのです。その本に出てくる、Cabane dans les arbres を旦那さまは、いたく気に入られて……』
『かだん、ばん れ、ざーぶる?』
聞いたことのない単語が出てきた。気に入ったって食べ物とか?
悩んでいるとすかさずリュカが教えてくれた。
『Cabane dans les arbres』「ツリーハウスのことですよ。木の上に建てたお家ですね」
「へぇー、ツリーハウス。素敵!」
『珍しく、どうしてもほしいと、駄々をこねられて』
『それで、どうしたの?』
『大旦那さまが、旦那さまのために、庭の大きな木の上に、家を建てられたのですよ』
『ええーっ!! すごいっ!!』
『実は、大旦那さまの方が元々、憧れて、いらっしゃったのですよ。完成した、時は一番、喜んでいらっしゃって……』
『そうなんだ……なんか、可愛い』
『大旦那さまが、お聞きになったら、大喜びされますね』
『いや、総帥が la jalousie なさいますよ』
『ら、じゃるーじぃ?』
リュカの言葉がわからなくて聞き返すと、リュカは笑って
「嫉妬、ヤキモチのことですよ」
と教えてくれた。
僕が可愛いと言ったら、エヴァンさんが嫉妬する? どうして?
僕が不思議に思っている横で、なぜかリュカとパピーは楽しそうに笑っていた。