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エヴァンさんへの想い

「ユヅルーっ!」


エヴァンさんにエスコートされながら、お屋敷の中に入ると、階段の上から僕を呼ぶ声が聞こえた。

あの声はミシェルさんだ!


僕に手を振りながら駆け下りてくるその後ろにはセルジュさんの姿も見える。

今日は二人ともお仕事が休みだと言っていたから、一緒に過ごしていたんだろうな。


「ははっ。ミシェルはすっかりユヅルが気に入ったようだな」


「ミシェルさんみたいなお友達ができて僕、嬉しいです」


「前にも言ったが、決してミシェルと二人で外に出かけたりはしないようにな。ユヅルはまだフランスに慣れていないし、ミシェルは有名人だから変なのが寄ってきてしまうから。わかっているだろう?」


「はい。僕もまだ慣れないうちは怖いし……エヴァンさんと一緒じゃないと外には出ません」


「ああ、ユヅルはいい子だ」


エヴァンさんの大きな手で頭を撫でられるのが好きなんだよね。ホッとするし、何より嬉しいもん。



「ユヅル、[[rb:violon > ヴィオロン]]、弾けるってほんとう?」


駆け寄ってきたミシェルさんから聞こえた突然の日本語。

でも、


「えっ? ゔぃお、ろん??」


何それ?


ミシェルさんの日本語に戸惑っていると、


「ミシェルはユヅルがヴァイオリンが弾けるのかって聞いてるんだよ」


とエヴァンさんが耳元で教えてくれた。


「ああ、ゔぃおろんってヴァイオリンのことなんですね」


「そうだ。きっとセルジュがミシェルに教えたんだろう。Oui と返すといい。ユヅルがフランス語を話せば喜ぶぞ」


エヴァンさんに耳元でこっそり教えてもらい、目を輝かせて僕の返事を待っているミシェルさんに、


『うぃ』


と返すと、ミシェルさんは一瞬止まったけれど、すぐに笑ってくれた。


後ろにいるセルジュさんと何やらフランス語で流れるような会話を繰り返して、再び僕に振り向いた。

なぜか顔が赤かったのが気になったけれど、


「ユヅルがviolon弾くの聴きたいな」


そう言われて、一瞬で頭が真っ白になった。


「えっ? 僕の演奏をミシェルさんが???」


「うん、だめ?」


「でも……プロであるミシェルさんに聴いてもらうのはちょっと恥ずかしいかも……」


エヴァンさんと知り合ってから、短期間に何度か弾いているけど、それまでは受験勉強が大変でずっとサボってたし……。こんなことならもっと母さんのレッスンを受けておけばよかったなぁ……なんて今頃言っても遅いけど……。


「エヴァンさん、どうしたらいいかなぁ?」


「ユヅルがどうしても嫌だというなら無理をすることはないが、技術的なものを心配しているならそれは杞憂だぞ。ユヅルの演奏は技術云々では測れないものだからな。ニコラやミシェルの演奏をいつも近くで聴いているジュールが涙を流して褒めていただろう?」


確かに、ジュールさんもクレマンさんも、そして周りで聴いていてくれた人たちも拍手してくれた。

プロの演奏家の人に聴いてもらえる機会なんてそうそうないんだから、これって嬉しいことなのかも。

それじゃあ、ずっと教えてくれた母さんの恥にならないように頑張ってみようかな。 


僕はエヴァンさんに頷いて見せてから、ミシェルさんに


「下手ですけど、聴いてもらえると嬉しいです。その代わり……ミシェルさんの演奏も勉強のために聴かせてもらえますか?」



というと、


「わぁーっ!! 嬉しいっ!! 僕の演奏なんて喜んで! こっちから聴いてってお願いしたいくらいだよ!」


と笑っていた。


「じゃあ、演奏部屋に行こう!!」


「演奏部屋? そんなのあるんですか?」


「すごいからびっくりするよ!」


手を引かれてあっという間にその場から連れて行かれた。


後ろから


「ユヅルっ!」

「ミシェルっ!!」


とエヴァンさんとセルジュさんの声が聞こえたけれど、ミシェルさんはお構いなしといった様子で僕の手を握ったまま演奏部屋へと向かっていった。


ガチャリとやけに重そうな扉を開けると、中からものすごい場所が現れた。


「ここが……演奏部屋?」


「そう! すごいでしょ?」


僕の目の前にはまるでコンサートホールのような空間が広がっていた。


「これって……」


Monsieur(ムッシュ) ニコラの演奏部屋だったのを、僕が使わせてもらってるんだ。音の響きもすごく綺麗で、コンサートの前なんかにここで練習すると本番絶対に間違えないんだよ」


お父さんの演奏部屋……。こんなすごい場所で僕が演奏できるなんて……。


「ユヅルっ!」


感動に震えていると、後ろからやってきたエヴァンさんにギュッと抱きしめられた。


「ミシェル! ユヅルを勝手に連れて行ってはダメだといっただろう? セルジュもしっかりしろ!」


「エヴァンさま、申し訳ございません」


セルジュさんは本当に申し訳なさそうにミシェルさんの頭を下げさせながら、セルジュさんも自分の頭を下げた。


そして、ミシェルさんに注意しているようだけど、フランス語だからか僕には全くわからない。

それを茫然と眺めていると、


「ユヅル!」


とエヴァンさんにさっきよりも強く抱きしめられる。


「あの、家の中だしそんなに心配しないで大丈夫ですよ。僕、ここに連れてきてもらえて嬉しかったですし」


「ユヅルのことになるとつい心配でムキになってしまうんだ……。申し訳ない」


反省したように項垂れるエヴァンさんを見て、思わず笑ってしまう。


「ユヅル……」


「あっ、ごめんなさい……。でも、本当に心配しすぎですよ。外には絶対に行かないですから、お家の中だけはミシェルさんと二人で行動する時があってもいいですか?」


「う、うーん……そう、だな……。そう、しようか」


こんなに歯切れの悪いエヴァンさんは見たことがない。でも、ミシェルさんと過ごすのを許してもらえたからいいか。


「あの、ここ……お父さんの演奏部屋なんですか?」


「ああ、そうだよ。パリにあるコンサートホールと比べても遜色ない造りになっていてね、ニコラが拘って設計士に依頼した特別な部屋なんだよ」


「うわぁー、そうなんですね。すごいっ!!」


「アマネはここでいつもニコラのレッスンを受けていたよ。ユヅルがここで弾いたらニコラもアマネも喜ぶだろうな」


お父さんが母さんを指導していた部屋か……。少し前までお父さんの存在すらも知らずにいた僕がこんなにもお父さんや母さんの思い出を知ることができるなんて……。エヴァンさんと知り合ってから僕はどんどん満たされていく気がする。


広々とした演奏部屋を見つめていると、僕の後ろでミシェルさんがエヴァンさんに何やら話をしている。

フランス語だからわからないけど、エヴァンさんが頷いたのはわかった。


「ユヅル! 早く中に入ろう!」


急に元気いっぱいになったミシェルさんが僕の手をとって中へと入っていく。


「あの、入ってもいいんですか?」


「大丈夫! 今度はちゃんと確認取ったから!」


「確認って?」


「ユヅルを連れて行っていいって、エヴァンさんに」


ああ、なるほど。さっきエヴァンさんと話していたのはそれだったんだ。


さっき勝手に連れて行ったらだめだって言われてたから確認してくれたんだろうな。ミシェルさんって素直でいい人だな。


にこやかなミシェルさんに手を引かれ、僕はあっという間にミシェルさんと演奏部屋が見渡せる舞台のような場所に立っていた。


「ここ、いいでしょ? なぜか、ここに立つと守られているみたいですごく落ち着くんだ。きっとMonsieur ニコラが見守っててくれてるんだろうなって。ここで弾く時、いつも思うんだ」


「ここで、お父さんが……」


そう言われれば、安心するかも。ここならきっと緊張せずに弾けるかな。


お父さん、母さん……僕を見守っててね。


「ほら、ユヅル。ヴァイオリンだよ」


「あ、ありがとうございます……」


僕がエヴァンさんからヴァイオリンを受け取った瞬間、


『うわぁっ!! ストラディヴァリユスだ!!!』


突然ミシェルさんの大きな声が響き渡った。感情が昂ったからか、フランス語だったけれど、発音が似ていたからすぐわかった。


やっぱりミシェルさんはプロの演奏家だけあって、このヴァイオリンを見てすぐにストラディヴァリウスだと気づいたんだ。

さすがだな。


「すごい! これ、エヴァンさんがユヅルにプレゼントしたんですか?」


少し落ち着いたのか、僕にもわかるように日本語でエヴァンさんに尋ねてくれてる。ほんと優しいな、ミシェルさん。


「いや、違うよ。これはニコラのだ。ニコラがユヅルの母であるアマネに贈ったものだよ」


「へぇー、すごい。僕、本物を初めて見ました」


目を輝かせながら、僕が持っているストラディヴァリウスを見つめているミシェルさんに、


「弾いてみますか?」


と尋ねたけれど、


「いやいや、いい。まだ僕はそんな域に達してないし、それに……」


「それに?」


ミシェルさんは言いかけて、スタスタと舞台の端に歩いて行って、ヴァイオリンを持って戻ってきた。


「このviolonがあるからいいんだ。このviolonはセルジュが僕に贈ってくれた相棒だからね」


ミシェルさんが愛おしそうにヴァイオリンを優しく撫でていると、


「ミシェル……」


と今まで聞いたことのないような甘い声でセルジュさんがミシェルさんを抱きしめる。


セルジュさんって、恋人の前だとこんなに甘々な声出すんだな……。エヴァンさんと話している時とは別人みたい。ずっとそんなセルジュさんしかみていなかったから、なんとも不思議な感じがする。



「ユヅルの演奏を聞かせて」


「あの、どんな曲がいいとかありますか? と言っても、そんなにたくさんは弾けないんですけど……」


「ユヅルの好きな曲がいいな」


「好きな、曲……」


好きな曲と言われたら、やっぱりこれだろうな……。他の曲が思いつかないもん。


僕は深呼吸をして、ヴァイオリンを構えた。


あっ、本当だ。なんだかすごく落ち着く気がする。

これから緊張せずに弾けそうだ。



目を瞑り、感情のままに弓を動かすと演奏部屋中に音が響く。

うわぁっ! すごい気持ちいいっ!!


これなら何時間でも弾いていられそう。


僕は初めてエヴァンさんへの自分の想いに気づいた思い出の曲


エルガーの<愛の挨拶>


をエヴァンさんへの想いを音色に乗せて、感情のままに弾き続けた。

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