宝物の日々
「美味しかったー!!」
ミシェルさんはセルジュさんと分けつつ、三個のケーキを食べて大満足の様子だ。
僕も初めて食べたミシェルさんおすすめの甘く爽やかなケーキに大満足だ。
「じゃあ、そろそろ部屋に案内しようか」
「エヴァンさんのお部屋?」
「違うよ。私たちの部屋だ」
僕たちの部屋……。その響きになんかちょっと照れてしまう。
「ユヅル、ちょっと待っていてくれ」
僕の頬にちゅっとキスをするとスッと立ち上がってジュールさんの元へ向かった。
何か話しているけれど、フランス語だから何もわからない。
ああ、早くフランス語がわかるようになりたいな。
「ねぇ、ユヅル。部屋にいくの?」
「はい。あの、ミシェルさんもこのお屋敷に住んでいるんですか?」
「うん、そうだよ。セルジュと同じ部屋。だから、セルジュが日本に行っている間はずっと一人だったから寂しくて……」
そうか……。そうだよね。
確かにずっと一緒にいるのに、帰ってこない日は寂しすぎる。
エヴァンさんもこれから出張とか行く時は、ミシェルさんと同じように寂しく感じたりしちゃうんだろうなぁ。
「でも、これからはセルジュとエヴァンさまが出張に行っちゃう時は、ユヅルとお留守番できるから楽しみだよ」
「――っ! そっか、そうですね。ミシェルさんと一緒なら寂しさも紛れるかも!」
「だよねー」
二人で笑い合いながら、話をしていると、
「残念ながら、そうはいかないと思いますよ」
と頭上からセルジュさんの声が聞こえた。
「えっ? セルジュ、どうして?」
「エヴァンさまがユヅルさまをフランスに残して出張なさるわけがありませんから。片時もお離しにはならないと思いますよ」
「えっ、それって……」
「出張にご同行いただくということです」
セルジュさんがにっこりと微笑むと、
「えーっ、ずるいっ!! じゃあ僕も一緒に行きたい!」
とミシェルさんがぷうと頬を膨らませる。
すると、感情的になったのかセルジュさんとミシェルさんの言葉がフランス語に変わった。
すごいな、こんなに簡単に切り替わるんだ!
僕もエヴァンさんとこうやってフランス語で話せたらな……。
なんかここに来て、フランス語を覚えたい欲求が強くなってきたな。
エヴァンさんたちが日本語話せるからのんびり教えて貰えばいいかと思っていたけど、やっぱり早く話せるようにならなきゃな!!
「ユヅル、お待たせ。って、セルジュたちは何を言い合ってるんだ?」
「これから出張の時に、ミシェルさんも同行したいって」
「なんでそんな話になったんだ?」
そう尋ねられてさっきの話を伝えると、
「ああ、なるほど。そういうことか」
と嬉しそうに笑っていた。
「エヴァンさんが出張に僕を連れて行ってくれるって本当ですか?」
「ふっ。当たり前だろう? ユヅルと離れて寝るなんてもうできないからな」
当然とでもいうように言い切ったエヴァンさんに驚きながらも、嬉しかった。
「じゃあ、僕……早くエヴァンさんの役に立てるように勉強しますね!!」
「――っ、ああ、そうしてくれると嬉しいよ」
僕の頭を優しく撫でると、まだ話をしているセルジュさんたちに向かって、フランス語で声をかけていた。
エヴァンさんの声にハッと我に返ったのか、二人の話が止まった。
「お前たち、フランス語になってるぞ。ユヅルが何もわからないだろう?」
「あっ、申し訳ありません。ユヅルさま。つい、興奮してしまって……」
「ごめんね、ユヅル」
「あっ、こっちこそ気を遣わせてしまってすみません。僕、頑張ってフランス語勉強しますね。いつか、皆さんとフランス語で話せるようになりたいです」
「ユヅル……ああ、もうなんでこんなに可愛いんだろう!!」
「わぁっ!!」
ミシェルさんにギュッと抱きしめられてびっくりしてしまう。
ミシェルさんは空港で出会った時もそうだったし、さっきのパピーもだけど、何か嬉しいと抱きつくのが普通なのかな。
当然のようにエヴァンさんに引き離されて、なぜか僕はエヴァンさんにお姫さまのように抱きかかえられていた。
「ミシェル、ユヅルが可愛いのはわかるが、ユヅルに触れていいのは私だけだ」
「えーーっ、はぁい……」
ミシェルさんの残念そうな表情がなんだかすごく可愛かった。
「さぁ、ユヅル。部屋に行こう」
僕を抱きかかえたままスタスタとリビングを出て大きな階段を上がっていく。
「あの、重いでしょう? 僕、歩けますよ?」
「ははっ。ユヅルは羽のように軽いよ。ユヅルなら十人」抱えても余裕だな」
十人って……。でも本当に足取りも軽そうだ。やっぱり鍛えるのって大事だな。
余裕で三階まで上がってきたエヴァンさんは階段から少し離れた扉をゆっくりと開けながら、
「ここが私たちの部屋だよ」
と見せてくれた。
「わぁーっ! 素敵っ!!」
あのホテルに雰囲気が似てる。だからエヴァンさんはあのホテルを日本の定宿にしたのかな?
「どうだ? 気に入ったか?」
「はい。窓から川が見える景色なんて初めてです! 外を眺めるのが楽しくなりそう」
「他の部屋も案内しよう」
「えっ? こんなに広いのにここ以外にもあるんですか?」
「もちろんだよ」
当然だと言わんばかりの表情でスタスタとリビングを通り抜け、同じくらい広い寝室と、お風呂にトイレ、洗面所にキッチンを案内してくれた。
なんか、ここだけで十分生活できそう……。
もしかして、これが他の部屋にも全部常設されてるの? 全部の部屋をお掃除するの大変だろうな……。
っていうか、こんなに広い部屋に住み慣れてるのにエヴァンさんはよくあの僕の家で生活できてたよね。
狭すぎてびっくりしたんじゃないかな。
「ユヅル、どうした? 気に入らないなら別の部屋を用意するが?」
「ああっ、違いますっ! すごく素敵な部屋で……それにエヴァンさんの香りがして安心するからここが良いです」
「――っ、そうか。ならよかった。だがさっきは不思議な表情をしていたように見えたが……?」
「あっ、あれはあまりにもこの部屋が広くて綺麗なので……エヴァンさんが僕の家で生活するのは大変だったんだろうなと思ってただけで……」
「ふっ。なんだ、そんなことを考えていたのか? いいか、ユヅル。私はあの家でユヅルと過ごせた日々を宝物だと思っているんだ」
「えっ? 宝物?」
「ああ。ユヅルが生まれてからずっとアマネと過ごしたあの家で、ユヅルの思い出と香りに包まれながら生活するなんて……至福の時間だったのだぞ。私はあの家で過ごした日々を一生忘れることはないだろう」
エヴァンさんの優しい言葉に心が温かくなる。エヴァンさんがそんなにもあの日々を大切に思ってくれていたなんて……。
「エヴァンさん……ありがとうございます」
潤んだ目でエヴァンさんの顔を見つめると、ゆっくりとエヴァンさんの顔が近づいてきた。
あっ、キスされると思った時には自然に目が閉じていた。
涙が頬を伝うのを感じながら、唇に柔らかな感触を受けた。
僕はエヴァンさんの首に手を回して、エヴァンさんが与えてくれる甘いキスを味わった。
ああ……やっぱりエヴァンさんとのキス、好きだな。だけど気持ち良すぎておかしくなってしまう。
ゆっくりと唇が離れて、僕はギュッとエヴァンさんに抱きついた。
「ユヅル……」
「エヴァンさん……僕……エヴァンさんと、最後までしたい……」
「――っ! ユヅル……っ、それは……」
「もう、フランスに来ましたよ。だから、僕……」
「――っ!!! まさか、ユヅルから誘ってくれるとは!」
「嫌いに、なっちゃいました?」
「そんなことあるわけないだろう! 嬉しすぎておかしくなりそうなのに。もう嫌だって言っても止められないからな」
「はい。あの、でも……優しく、してください……」
「ああっ!! もうっ!! 私をこれ以上煽らないでくれっ!!」
エヴァンさんは苦しげにそういうと、僕を抱きかかえたまま寝室へと入っていった。
<sideジュール>
エヴァンさまがお連れになったお方は、髪の色こそニコラさまにそっくりでいらっしゃったが、お顔はアマネさまによく似ていらっしゃった。
あのあどけない笑顔も優しいお声かけも……随所にアマネさまを感じられる。
セルジュさまから、日本でアマネさまのご子息にお会いしたこと、そして、エヴァンさまがそのご子息・ユヅルさまにご執心だと伺った時は大層驚いたものだが、あのニコラさまに人を愛するという感情をお与えになったアマネさまのご子息なのだから、今度はあのエヴァンさまに愛をお与えになってもおかしくはない、そう思えた。
そして、今日お二人がご一緒に並ばれているのを拝見しただけで、そこに愛が満ち溢れているのが感じられた。
エヴァンさまがユヅルさまに向ける優しい笑み……なんと美しいのだろう。
そして、ユヅルさまもエヴァンさまに深い信頼と愛情を感じていらっしゃる。
お二人が男同士だとか、そういうものはなんの障壁にはならない。
それよりも、あんなにも優しい笑みが向けられるお方に巡り合われたことに心から神に感謝したい。
ユヅルさまがいらっしゃるだけでこの屋敷が普段よりも何倍も明るく感じた。
ミシェルさまもユヅルさまとすっかり仲良しのご様子だ。
エヴァンさまはミシェルさまとの戯れすらお許しにならないほど、独占欲を見せておられるのも普段のエヴァンさまと違う一面が垣間見れて楽しい。
まさか、このお屋敷でエヴァンさまのこんな幸せな場面を拝見できるとは夢にも思っていなかった。
お部屋に戻られるというエヴァンさまが私の元へ来られる。
部屋の準備は整っているか?
寝室の準備に不備はないか?
寝室に入ったら声をかけるまで部屋には近づくな。
という言葉をかけられた。
エヴァンさまとユヅルさまの間に感じていたある点はこれだったのだ。
お二人はまだ一線を超えていらっしゃらない。その事実は私を驚かせた。
今までのエヴァンさまなら到底あり得ぬことだ。それだけユヅルさまをお大事に思われているかがわかる。
意気揚々とユヅルさまを抱きかかえ、部屋へと入って行かれたエヴァンさまの軽やかな足取りに、エヴァンさまもただのお人だったのだと胸を撫で下ろしたのだった。




