フランス到着とエヴァンさんのお家
「ユヅル、そろそろ着陸に入るからシートベルトを」
「はい」
十二時間の飛行機の旅も映画を見たり、お風呂に入ったり、寝たりしているうちにあっという間に過ぎてしまった。
僕がヨーロッパの、しかもフランスに行くことになるなんて……いまだに信じられない。
それでももうここはヨーロッパなんだよね。
どんな生活が待っているんだろう……。ドキドキするっ!!
緊張と期待で胸がいっぱいになっていると、
「ユヅル、嬉しそうだな」
と手を握ってくれる。
「フランスでの生活が待ちきれなくて……」
「そうか。そんなに楽しみにしてくれているなんて、嬉しいよ」
「母さんもやっとニコラさんと一緒になれると思ったら、今頃喜んでいると思います」
「ああ、そうだな。ニコラにいい報告ができて嬉しいよ」
母さんの遺骨は大切にこの機内に乗せられている。
僕たちと一緒にフランスの地を踏むんだ。
母さんにしてみれば十八年……いや、十九年ぶりのフランスか……。嬉しいだろうな。
激しい衝撃もなく、僕たちの乗った飛行機は無事にパリの空港に到着した。
シートベルトを外して、立ちあがろうとした瞬間、突然機内に
「Ça alors !」
とセルジュさんの大きな声が響き渡った。
「どうした、セルジュ! 何かあったのか?」
初めて聞くフランス語になんて言ったのかはわからなかったけれど、慌てたようにセルジュさんのもとへ駆け出していくエヴァンさんの姿になにかとんでもないことが起こったんだと思った。
セルジュさんを落ち着かせるように、エヴァンさんが声をかけると
「ユヅルさま。驚かせてしまい申し訳ございません」
僕に声をかけてくれた。でもその表情は曇っている。
上空ではずっと嬉しそうにしていたのに一体何が起こったんだろう……。
エヴァンさんが僕の元に戻ってきて、頭を下げる。
「ユヅル、騒がせてしまってすまない」
「そんな……僕に謝ることなんて! それより、セルジュさんになにかあったんですか?」
「いや、実はな。ミシェルが空港に来ているらしくて……」
「えっ? ミシェルさんが? 家にいるはずじゃ?」
「ああ。危ないからそう説得したと言っていたんだが、どうやら待ちきれなくて来てしまったようだな。ミシェルは有名人だから心配しているんだよ、何も起こっていないといいが……」
ミシェルさん、よっぽどセルジュさんに会いたかったんだな。でも、確かに心配だよね。
有名人を見かけて群がるのってテレビで見たことあるし。
「心配だから、荷物はスタッフに任せて急いで到着ゲートに行くように言ったんだ」
「そうなんですね、セルジュさん……ミシェルさんと早く会えるといいですね」
「ああ。とりあえず連絡が来るようになっているから、私たちも到着ゲートに行ってみよう」
僕たちが話している間に優秀なスタッフさんたちの手によって荷物は運び出されていた。
そのまま僕たちの乗る予定の車に積み込みまでしてくれるらしい。
僕はエヴァンさんと一緒に少し駆け足で到着ゲートに向かった。
その途中でエヴァンさんがスマホに目をやると、途端に安堵の表情を浮かべた。
「あっ、ミシェルさんと会えたんですね」
「ああ、そうみたいだ。今いる場所を連絡してきてるからそこに向かおう」
ホッとした顔で僕の手を取り、少し落ち着いた足取りでセルジュさんたちがいるという場所に向かった。
「んっ? どこだ?」
指定された場所でキョロキョロと二人で辺りを見回していると、
「ユヅルーーっ!!!」
と大きな声で名前が呼ばれた。
その聞き慣れない声とその威力に驚いて振り向くと、セルジュさんと栗色の髪をした可愛い子が僕たちに向けてブンブンと大きく手を振っているのが見える。
「あの人が……?」
「ああ、ミシェルだ。よほどユヅルに会いたかったようだな」
「えっ? セルジュさんに会いにでしょう?」
「まぁそれももちろんあるだろうが、無理してでも来たのはユヅルに会いたかったからだろう。セルジュがいろいろ話していたみたいだからな」
「いろいろって?」
「直接聞くといい」
「あ、でも僕……フランス語はまだ……」
「ああ。大丈夫。ミシェルは私たちほどではないが、日常会話程度の日本語ならわかるよ」
そうなんだ……。すごい! 僕も頑張らないとな!!
エヴァンさんに手を引かれ、セルジュさんとミシェルさんのいる場所に向かうと
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
と頭を下げるセルジュさんの隣で、ミシェルさんが
「ごめん、なさい……」
と謝っている。
「あの、謝ることないですよ。僕、ミシェルさんにこんなに早く会えてとっても嬉しいです」
そういうとミシェルさんが目を丸くして僕を見つめた。
「あ、あの……もしかして、言葉が、わからなかった、ですか? え、っと……なんて言ったら、いいのかな? ミシェルさんに、会いたかったで――わっ!!」
「ユヅルっ! 可愛いっ!!」
気づけば僕はミシェルさんにギュッと抱きしめられていた。
すごく優しい匂いがする。
エヴァンさんのとはまた違う落ち着く匂い。
お兄ちゃんがいたらこんな感じかなって思えるような、そんな匂いがする。
「「ミシェルっ!!!」」
大きな声と共に、僕たちはエヴァンさんとセルジュさんに引き離されてしまった。
「セルジュ! ミシェルをちゃんと見ていろ! ユヅルは私のだぞ」
「申し訳ございません。ミシェル、ちょっと落ち着くんだ!」
「はぁーい」
ミシェルさんはそう言いながら、僕を見てパチンとウインクして笑っていた。
なんだかミシェルさんって佳都さんに似てる気がする。仲良くなれそうだな。
僕たちが4人で話をしていると、周りがザワザワとしてきて集まってきた人たちが僕たちを見て何か言っている。
フランス語だから何を言っているのかはわからないけれど、きっと有名人のミシェルさんのことを話しているんだろう。
いや、もしかしたらカッコいいエヴァンさんに興味を持っているのかもしれない。
そう考えるとなんとなく面白くなくて、エヴァンさんの袖をクッと引っ張って見上げると、
「――っ、セルジュ。そろそろ車に行くぞ」
と突然僕を抱きかかえて元々乗る予定だった車に乗り込んだ。
あの場から離れてくれたのは嬉しかったけれど、エヴァンさんの突然の行動に驚いてしまった。
機内に載せていた荷物もすでに運ばれていていつでも出発できるらしい。
と言っても僕たちの乗る車と荷物は別々の車なんだって。
でも僕たちが今乗っている車、すごく長くて中は広々としたソファーみたいなのがあって、二人じゃ広すぎる。
荷物くらい余裕で入りそうだけどな。
フランスでは荷物と一緒に車に乗らないのが普通なのかな?
これからフランスでの一般常識もしっかりと勉強しないとな。
セルジュさんはミシェルさんがここまで乗ってきた車で一緒に帰るみたい。
「後ろから追いかけますのでどうぞお先に出発なさってください」
「ああ、じゃあ屋敷でな」
「ユヅル、またあとでね」
ミシェルさんに手を振られながら、僕たちの車は出発した。
「ミシェルさん、すごく素敵な人でしたね」
「ああ、だが今日のことでもわかったように思い立ったらすぐに行動してしまうから、セルジュはいつも手を焼いているようだ。ユヅルは私を心配させないでくれ。本当にユヅルが今日のミシェルのような行動をしたら、私の寿命が縮んでしまうよ」
少し大袈裟だなぁと思ったけれど、いつも冷静なセルジュさんがあんなにも取り乱していたのを見ると、エヴァンさんも同じようになってしまうのかも……と思ってしまう。
「ユヅル、約束してくれるか?」
手をぎゅっと握られて真剣な眼差しで見つめられて、断れるわけもない。
それにエヴァンさんを心配かけることなんてしたくないし。
「大丈夫です、約束します!」
「ユヅル! ありがとう」
僕の言葉にエヴァンさんは嬉しそうに僕を抱きしめた。
「あ、ほら。ユヅル、みてごらん。あれが凱旋門。そしてあっちがエッフェル塔だ」
「わぁーっ! すごいっ!! 思っていたよりすごく大きいです」
「今度ゆっくり観光に来よう」
「はい、楽しみです」
それからもずっと、エヴァンさんが車窓から見えるパリの街をガイドしてくれながら車は川に囲まれた中洲へと進んでいった。
「エヴァンさん、ここすごく素敵ですね」
「ああ、ここはパリ発祥の地と言われている場所で私の家ももうすぐそこだぞ」
そう話している間に、美しい緑の木々に囲まれたまるで絵葉書のような風景の中に聳え立つ大きなお屋敷の前で車は止まった。
大きくて広い門から中を覗きこんでも建物の入り口が見えないほど大きな家。これがエヴァンさんのお家?
いやいや、家っていうかどうみたってお城みたいだけど。
確かにお城は持っていると言ってた。今はホテルとして使ってるって。
でもこれはそれじゃないよね? 大きなお城みたいだけど、他に人っこ一人見当たらないからホテルでは無さそう。
「あ、の……エヴァンさん、ここ?」
「ああ、そうだよ。今日からユヅルと一緒に暮らす私の家だ。どうだ? 気に入ったか?」
「気に入った、というか……その大きくてびっくりしちゃって……っ」
「大丈夫、すぐに慣れるよ」
僕が驚いている間に、門が開けられ車が玄関へと走っていく。
ふぇー、玄関まで車で行くなんて……やっぱり広すぎだよね。
『おかえりなさいませ、旦那さま』
『ああ、留守の間変わりはないか?』
『はい。もちろんでございます』
『そうか、ならよかった。それより、セルジュから連絡させたが聞いているか?』
『はい。旦那さまがご伴侶さまをお連れになるとのことで、一同鶴首してお待ちしておりました。お隣にいらっしゃるのが旦那さまの大切なお方でいらっしゃいますか?』
玄関で待っててくれていた黒服の人はテレビでみたことある、執事の人みたい。
エヴァンさんを出迎えて話をしているけれどフランス語だからちっともわからない。
でもそれは仕方がないから終わるのを待っていないとね。
そう思っていると、黒服の人がににこやかな笑顔を浮かべながら僕を見ている。
もしかしたら、僕の話をしてくれているんだろうか?
それならちゃんと挨拶しないとね。
僕はエヴァンさんとその黒服の人の会話が途切れたタイミングを見て、
『ぼ、ぼんじゅーる、あんしゃんて!』
と必死に叫んだ僕の言葉にエヴァンさんも黒服の人も目を丸くして驚いていた。




