星空の下で
「わっ! えっ? なに?」
機内に一歩足を踏み入れた瞬間、僕の想像とは違う世界が広がっていた。
「んっ? ユヅル、どうした?」
「えっ? あの、飛行機って……いっぱい座席が並んでるんじゃないんですか?」
テレビで見たことがある飛行機はこんなのじゃなかった。それとも今はこれが普通なの?
今、僕の目の前にあるのは大きなリビングにソファーとテーブル、大きなテレビ。
床にはふかふかの絨毯が敷かれていて、まるでさっきまで泊まっていたホテルみたいだ。
えっ? これ、本当に飛行機なんだよね?
驚く僕をみながら、エヴァンさんは何を驚いているんだろうとでもいうように
「ああ、これはロレーヌ家専用のプライベートジェットだからだよ。上空まではあの椅子に座って行くが、それから着陸が近づくまでは地上と同様に過ごせるよ」
と冷静に教えてくれた。
「ぷ、プライベート……ジェット?」
「我が一族は世界を飛び回ることが多いからね、その度にチケットを手配するより楽なんだよ」
「えっ……じゃあ、この飛行機以外にもあるんですか?」
「そうだな、セスナみたいな小さいものも入れたら五機くらいはあるかもしれないな。私は長時間のフライトが多いからこれくらいのサイズ以上のものしか乗らないが」
ふぇー。
飛行機を五機持ってるって……。
なんか想像つかないな。
驚きすぎて言葉にならない僕を抱きかかえたまま、エヴァンさんはなんの躊躇いもなく中へと進んでいく。
「ユヅル、中を案内しよう」
「えっ? ここだけじゃないんですか?」
「ああ、他にも部屋があるんだよ」
連れて行かれたのは、まさかのお風呂。
「わっ、すごいっ!」
丸くて大きなお風呂のあるお風呂場にも大きな窓がある。
「空の上は星も月も綺麗に見えるんだ。満天の星だぞ。ユヅル、美しい星をみながら一緒に入ろう」
「はい。楽しみです」
僕の住んでいたところは田舎だったから星は綺麗に見えていたけれど、雲の上から見る星空は一体どんな感じだろう? ああ、本当に夜が楽しみだな。
「こっちは寝室だ」
「わっ、すごいっ!」
もうここは飛行機の中じゃない。本当にホテルそのものだ。
僕はもう飛行機に乗ってからすごいしか言葉が出ない。
だってすごいしか言えないんだもん。
「飛行機でこんなにゆったりと寝られるんですね」
「ああ、しっかり休んでおかないと仕事に支障をきたすからね。ベッドは重要なんだ」
確かにそうかも。
エヴァンさんみたいに世界を飛び回る人は椅子に座ったまま寝たら疲れが取れなさそうだもんね。
「こっちはキッチンだよ。ここで私たちの食事を用意してくれるんだ」
「すごい! 飛行機の中で料理ができるんですね」
「ああ。と言っても流石に機内で火は使えないから、取り寄せた食事を温めて盛り付けて出してくれるんだ」
「そうなんですね。飛行機に乗りながら食事なんて楽しみですね」
「ああ、ユヅルと一緒なら私も楽しみだよ。さぁ、そろそろ席に座ろうか」
戻ってきたリビングに存在感たっぷりに備え付けられている大きな革張りの椅子に座らせてくれた。
エヴァンさんは僕の隣。
セルジュさんは反対側の窓際の椅子にもう座っていた。
僕たちが席につくとすぐにさっき機内に入る時に声をかけてくれたスタッフさんが改めて挨拶に来てくれた。
「ロレーヌさま。この度、パリ・シャルル・ド・ゴール空港まで担当させていただきますスタッフの海野 と申します。御用がございましたら何なりとお申し付けください」
「ああ、頼むよ」
「江波さま――」
「いや、ユヅルには声をかけなくていい。ユヅルの世話は全て私がやる」
エヴァンさんは何故か急に声を荒らげた。
海野さんはその勢いに押されたように、
「承知いたしました。失礼致します」
とすぐに下がっていった。
「ユヅル、何か必要なものはあるか?」
僕に語りかけるエヴァンさんはいつもと同じ優しい声だ。
でも、さっきから何だかおかしなところがあるな。
「あの、エヴァンさん……何か……怒ってますか?」
「怒る? いや、そんなことあるわけないだろう?」
「でも、さっきからスタッフさんに……」
そういうとエヴァンさんの表情が曇った。
「悪い、ユヅル……」
「えっ?」
「ただ、私が狭量なだけだ。ユヅルを誰にも見せたくない、私の独占欲なんだ」
独占欲……ああ、だから僕がスタッフさんとお話しするのが嫌なんだ……。
「ユヅル……呆れたか?」
「そんなこと……ただ、エヴァンさんが可愛いなって思っただけです」
「私が、可愛い?」
「はい」
笑顔を向けると、エヴァンさんは
「まいったな。本当にユヅルには負けるよ」
と笑っていた。
「じゃあ、狭量なエヴァンさん……僕のお世話、お願いしますね」
「く――っ! あ、ああ。もちろんだ。任せてくれ!」
ほんの冗談のつもりだったけれど、それから張り切ってお世話をしてくれたエヴァンさんのおかげで、僕はフランスまで快適な空の旅を過ごすことになった。
「ユヅル、もうシートベルトを外していいぞ」
シートベルトを外すと椅子から下ろされて、ソファーへと移動する。
本当にここだけ見ると飛行機の中とは思えないな。
だけど、
「たまに気流の関係で揺れることがあるから、私から離れないようにな」
と言われるとやっぱり飛行機の中にいるんだと感じさせられる。
いつの間にかジャケットも脱いで、リラックスしたような服に着替えているエヴァンさんを観ると、やっぱり旅慣れているんだなと思う。
スーツ姿もかっこいいけど、こういうリラックスしたような格好も似合うなぁ……。
「映画でも観ようか。ユヅルはどういう映画が好き?」
「あ、僕あんまり観たことがなくて……エヴァンさんのおすすめが観たいです」
「そうだな、じゃあこれにしようか」
エヴァンさんがサクサクっと何かを操作すると、目の前に大きなスクリーンが降りてきた。
「わっ、すごいっ!!」
てっきりソファーの前にある大きなテレビで観るのかと思っていただけにびっくりしてしまう。
「あっ、セルジュさんも一緒に……」
「セルジュは隣の部屋で休んでいるから大丈夫だ」
僕を隣に抱き寄せるとスタッフさん達が飲み物とポップコーンを運んできてくれた。
「わっ、映画館みたいだ!」
「少しでも雰囲気を味わおうかと思ってね」
「エヴァンさん! 僕、一度でいいから映画館に行ってみたかったんです! とっても嬉しいです!」
「ユヅルの夢はこれから私が何でも叶えてあげるよ。一緒にな」
にっこりと笑顔を見せてくれるエヴァンさんに抱きしめられながら可愛い動物の出てくる映画をいくつか堪能した。
時折、エヴァンさんがポップコーンを口に運んでくれて、僕も食べさせたり……本当に楽しい時間を過ごすことができた。
映画が終わると途端に眠くなってきた。
「ユヅル、少しベッドで休もうか」
「いいんですか?」
「ああ、もちろんだ。二時間ほどで起こしてあげるから、ゆっくり休むといい。私も一緒に休もう」
スッと抱きかかえられて寝室へと連れて行かれ、大きなベッドに横になるとエヴァンさんも一緒に横になってくれた。ギュッと抱きしめられながら、僕はあっという間に夢の世界へと落ちてしまっていた。
「ユヅル……そろそろ起きようか」
エヴァンさんの声がして目を覚ますと、優しい笑顔に迎え入れられた。
「よく眠れたようだな」
「はい。エヴァンさんがあったかくて気持ちよかったです」
「――っ、ならよかった。そろそろ食事にしようか。それともお風呂にしようか?」
あ、あの星空の見えるお風呂か……。
素敵だろうな……なんて思っていたのに、僕のお腹はグゥーっと音を立ててしまった。
「先に食事にしようか」
僕は恥ずかしさに頷き、エヴァンさんに抱きつくとエヴァンさんは僕を軽々と抱きかかえてダイニングルームへと連れて行ってくれた。
途中でセルジュさんの部屋の扉の前から
「セルジュ、食事にしよう」
と声をかけると、扉を開けて出てきたセルジュさんはエヴァンさんと一緒でかなりのリラックスモードな装いをしていた。
いつものかっちりとしたスーツ姿のセルジュさんとは違ってなんだかより近くに感じられる気がするな。
「美味しいっ!!」
まるでレストランにいるような豪華な食事が出てきてた。
もう何度目だろう……ここが飛行機の中とは思えないと思っちゃったのは……。
それくらい、エヴァンさんもセルジュさんも優雅に食事をしていて驚いてしまう。
柔らかいステーキや美味しいスープに舌鼓を打ちながらあっという間に食事を終えた。
「セルジュ、ミシェルは空港に迎えに来るのか?」
「来たいとは言ってくれているのですが、今の時期の空港は人が多いですからね。危ないので家に居させておこうと思っています」
「そうか、まぁそうだな。フランスに着いたらすぐにでもユヅルにミシェルを紹介してやろうと思っていたが、確かに危ないな」
そっか。
ミシェルさん、もうプロとして活躍していると言っていたし、熱狂的なファンの人とかに見つかっちゃったら大変だもんね。
「ユヅルも空港に着いたら絶対に私のそばから離れるんじゃないぞ」
えっ? なんで僕?
ああ、もしかして空港が広いから迷子にならないようにってことかな。
人混みに流されて何処かにいっちゃわないようにってことか。
「はい。大丈夫です! 絶対に迷子になんてならないですから!」
胸をドーンと叩きながら自信満々に言ったけれど、なぜかエヴァンさんとセルジュさんは顔を見合わせて笑っているように見えた。
「それではエヴァンさま。ユヅルさま。私は部屋に下がっていますので、何かありましたらお声がけください」
「ああ、ゆっくり休んでくれ」
セルジュさんを見送って、僕はエヴァンさんに連れられてあのお風呂場へと向かった。
丸くて大きなお風呂にはもうお湯が溜まっていて温かそうな湯気が上がっているのが見える。
すごいよね、本当にここが一番飛行機の中らしく見えないかもしれない
考えても全くシステムがわからないけど、とりあえず楽しまなきゃもったいないよね。
「ユヅル、おいで」
とろけるような優しい声で呼び寄せられる。
僕がぼーっとお風呂場に見入っているうちに、服は脱がされてしまっていた。
その早業に驚きながらも、エヴァンさんの手を取り中へと入る。
流石にホテルのお風呂のようにゆったりざぶざぶと外で洗うわけにはいかないようで軽く髪と身体を洗い流すとすぐに湯船に浸かった。
やっぱりエヴァンさんはこういうところも慣れてるんだな。
「ユヅル、窓をみていて」
その声に窓を見ると、ピッとお風呂場の明かりが消されて、僕の目の前に満天の星が現れた。
自分が空の中に溶け込んでしまっているように、星が降り注いでくる。
「――っ!」
もう、言葉にならないってこういうことを言うんだ……。
僕がこんな素晴らしい景色を見られるようになるなんて……少し前の僕に教えてもきっと信じられないだろうな。
「ユヅル? 大丈夫か?」
「えっ?」
気づけば僕の目から涙が流れていた。それくらいこの景色は僕の心に深く刻まれたんだ。
「こんな綺麗な景色を一緒に見るのがエヴァンさんですごく嬉しい」
エヴァンさんの胸にギュッと抱きつくと、
「――っ! ああ、私も嬉しいよ。ユヅル……愛してる」
真っ暗なお風呂場で満天の星に祝福されるように僕はエヴァンさんとキスをした。
大好きなエヴァンさんと星空の下でのキス……。
僕は一生忘れない。