小箱の中身は……
母さんは歩道に突っ込んできた居眠り運転の車に撥ねられたらしい。
逮捕された運転手の呼気からはアルコールも検出されて、飲酒運転でもあったようだ。
かなりのスピードが出ていたらしく、現場でもほとんど即死状態だったみたいだから、お医者さんたちは本当に頑張ってくれたんだろう。
僕こそ間に合わなくて申し訳ないくらいだ。
「お母さんは買い物帰りに被害に遭ったようだよ」
母さんの所持品だから確認してくれと言われ机に並べられたものを覗くと、財布と画面がバキバキに割れてしまったスマホ、そして破れたエコバックの中には玉ねぎやひき肉のパック、それに潰れた小さな箱の中でお誕生日おめでとうと書かれていたらしいチョコプレートが溶けてぐちゃぐちゃに原型をとどめていないケーキと混ざり合っていた。
「君は……今日が誕生日だったんだね」
そう。
今日は僕の18の誕生日。
だから母さんは年に一度の楽しみのハンバーグを作ってくれようとしたんだ。
僕の好きないちごケーキも買って……その帰り道に事故に遭ったんだ……。
そうか……うちとは真反対のその店に行かなければ母さんは今頃……今朝のような笑顔を見せてくれていたはずなのに……。
いつもと変わらない日常を過ごせていたはずなのに……。
僕のせいで……。
僕のせいで母さんは死んだんだ……。
「僕が……僕がこの日に生まれなければ、母さんは……うわぁーーーっ!!」
一気に溢れ出た涙を止めることもできず、僕は床に座り込んでただ子どものようにわぁわぁと泣き続けた。
それからどれくらい経っただろう。
声が枯れるほど泣き続けたけれど、涙はまだ止まらない。
ポケットのハンカチで必死に目元を抑えて、僕は気づかない間に椅子に座らされていた。
「これを飲みなさい」
警察官に差し出された温かいココアの缶。
その温もりに縋るように両手でそれを握った。
冷たくなった指先がじんわりと温かくなっていく。
「いいかい。自分を責めてはいけない。今回の事故は君のせいじゃない。悪いのは飲酒運転をしてお母さんをはねてしまった運転手なんだ」
父親の年齢よりは少し上かもしれない警察官に優しく諭されて、僕は小さく頷いた。
「さぁ、家に送って行こう」
母さんの荷物をまとめて、まだ力の入らないフラフラの身体で僕は病院の外に停められた車に乗せられ、ようやく家に辿り着いたのはもうすっかり日が落ちて真っ暗になっていた。
いつもならおかえりと笑顔で迎えてくれる母さんの姿はどこにもなく、しんと静まり返った暗い部屋で何もする気にもなれず、僕はポツンとソファーに座っていた。
これから、どうすればいんだろう……。
母さんのお葬式や、それに僕のこれからの生活。
お金のことも何もかもわからない。
母さんがいなくなった寂しさに加えてそんな現実的なことが頭をよぎる。
あっ!!!
そういえば……と思い出したのは、中学に入ってすぐに母さんに言われたあの言葉。
――弓弦。もし、私に何かあったときは必ずこれを開けてね。絶対に忘れないで。きっと弓弦のためになるはずだから。
言われた時は、そんな縁起でもないこと言わないでよと笑ってそのまま放置してた。
まさか、こんなにも早くそれを開ける日が来るとは思わなかった。
僕は鉛のように重い身体を引きずりながら、母さんの部屋に行き電気をつけた。
母さんが大切にしていた鏡台の引き出しを取り出すと、あの時に見せられた小箱が奥から出てきた。
僕のためになるって言ってたけど……こんな小さな箱に何が入っているんだろう……?
ドキドキしながらその箱を開けると、中に入っていたのは小さく折り畳まれた紙。
そっとその紙を取り出して開くと、中に書かれていたのは11桁の数字。
なにこれ?
一瞬意味がわからなくて、働かない頭で必死に考えて
あ、もしかして携帯番号? という考えに行き着いた。
僕はその紙を持ってリビングに戻り、電気をつけ乱暴に投げ捨てていたリュックからスマホを取り出した。
学校で電源を切ったままになっていたそのスマホに電源を入れたが、誰からの着信もメッセージも入っていない。
そのことを今日はやけに虚しく感じるのは、毎日必ず入っていた母さんからの
<気をつけて帰ってきてね>
のメッセージがないからだろう。
涙が溢れそうになるのを必死に抑えながら、紙に書いてある11桁の番号を間違えないように押していく。
何度も間違っていないかを紙と見比べながら、僕はふぅと深呼吸して受話器マークをタップした。
プルルル、プルルル、プルルル……
取る気配のない様子に諦めて切ろうとしたその時、
「Allo?」
とどこの言葉かもわからないけれど、滑らかな言葉が耳に飛び込んできた。
えっ?
外国人?
しかも男の人だ。
それは想定してなかった……。
しかも英語じゃないし……。
あまりの想定外の出来事に
「あ、あの……僕、えっと…… Hello……? って英語じゃだめか……あの、」
パニクっていると、
「君は日本人かな? 日本語はわかるから大丈夫だ」
と優しい声が聞こえてきた。
今日はずっと辛かったから、電話口の彼の優しい声に安心する。
「この電話番号には見覚えはないが初めましてかな? 私の番号はどこで知ったのかな?」
僕がなにも言わないから、彼の方から尋ねてきてくれた。
「あ、あの……初めまして。僕……その江波弓弦と言います。実は母の――」
「エナミ? 君は今、エナミと言ったか?」
さっきまでの余裕のある声から急に焦った声で名前を尋ねられた。
「は、はい。江波と言います。あの、あなたは母のことを知ってるんですか?」
「……君のお母さんの名前を聞いても?」
「はい。母は天音です。江波天音」
「C’est incroyable! ああ、君から連絡をもらえる日が来るなんて! お母さんは元気なのかい?」
「――っ!」
彼の嬉しそうな声に僕はなんて返していいのかわからなかった。