旅立ちのとき
「セルジュ、こっちだ!」
佳都さんたちとの食事会を終え、すっきりとした目覚めで朝を迎えた僕は、出かける準備を滞りなく終わらせエヴァンさんと朝食を食べにレストランに下りていた。
案内された席に座ろうとした時、レストランの入り口から入ってくるセルジュさんの姿を見つけエヴァンさんが声をかけると、軽やかな足取りで近づいてきた。
あれ? なんだかいつものセルジュさんと雰囲気が違う気がする。
「おはようございます、エヴァンさま。ユヅルさま。よくお休みになられましたか?」
いつもと同じようににこやかに話しかけてくれるセルジュさんだけど、やっぱりなんだか違う気がするな。
「セルジュ、お前、やっと恋人に会えるからといってニヤケすぎだぞ。ユヅルが驚いているだろう」
「仕方ないでしょう? やっとですよ。エヴァンさまもユヅルさまとこんなに長く離れていたらきっと同じ状態になっていますよ」
そっか、セルジュさん、ミシェルさんに会うのが楽しみでたまらないんだな。
本当に喜びが滲み出てる。ミシェルさんを紹介してもらえるのが楽しみだな。
クロワッサンやバゲット、それにたくさんのフルーツとサラダ。
甘くて美味しいホットチョコレートを飲んで大満足したところで、
「今日のフライトですが十一時半に成田空港を出発。そこからパリへ直行しまして、日本時間で午前0時。現地時間で本日十五時到着予定です」
とセルジュさんが説明してくれた。
そっか、海外って時差があるんだっけ。
って、そういえば……僕のパスポートってどうなったんだろう?
「あの、セルジュさん……僕のパスポートとかは?」
「ああ、ご心配なさらずに。私が全てご用意しておりますので、ユヅルさまはそのままお乗りいただくだけで結構でございますよ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
パスポート取るのも結構大変なんて話を聞いたことがあったけど、自分には縁のない話だと思ってた。
まさか、僕が海外で生活する日が来るなんて……本当、驚きだよ。
「それじゃあ、そろそろ空港に向かおうか。早めに着いて向こうでのんびり過ごす方がいいだろう」
朝食を食べている間に、エヴァンさんが揃えてくれた洋服も含めて全ての荷物は部屋から運び出されて、空港へと向かう大きくて綺麗なタクシーに積み込まれていたようだ。
僕たちがホテルの玄関に着くと、タクシーの前で直立不動で待っていた運転手さんが深々と頭を下げた。
「ロレーヌさま。空港までお送りさせていただきます」
「ああ、頼むよ」
僕とエヴァンさんは後部座席に乗り込み、セルジュさんは助手席に座った。
たくさんのスタッフさんに見送られながらタクシーは一路、空港へと進んでいった。
とうとう飛行機に乗るんだ。僕は初めての飛行機に胸を弾ませていた。
空港に到着し、タクシーを降りるとあっという間に全ての荷物が下ろされ空港のスタッフさん? みたいな人たちがその荷物を運んで行った。
「あの、エヴァンさん……あの荷物は?」
「ああ、心配いらないよ。先に荷物の検査をして飛行機に乗せるんだ」
「あっ、そうなんですね。僕、飛行機に乗るの初めてだから何にもわからなくて……」
「みんな最初はそうだ。私もユヅルの年のころは慣れていなかったよ。さぁ、出国手続きをしに行こう」
エヴァンさんに優しく手を引かれ、空港を歩いているとやっぱりいろんなところから視線を感じる。
そりゃあそうだよね。
エヴァンさんもセルジュさんもすごくかっこよくてイケメンさんだし、その真ん中で僕みたいなのが一緒に並んでたら不思議な組み合わせだなって思われてもおかしくないのかも。
少し前なら、エヴァンさんのそばにいるのが申し訳ないと思ってしまうけれど、今の僕は違う。
だって……エヴァンさんがこの僕を好きだと言ってくれているんだもん。
空港で誰になんと言われたって、もう二度と会わない人たちばっかりだし、そんな人たちに屈してエヴァンさんと離れるなんて絶対に嫌だから、僕は強くなるって決めたんだ。
そう、エヴァンさんの手の温もりが僕の心まで温めてくれるから、僕はこうして強くなれるんだ。
「ユヅル、こっちだよ」
出国ゲートと書かれているところにたくさんの人が並んでいるのに、エヴァンさんとセルジュさんが案内してくれたのは端っこにある誰も並んでいないゲート。
「ここ、ですか?」
「ああ、行くよ」
入ると、大きな部屋にソファーや家具が置かれていてホテルの客室みたいに見える。
「セルジュが全てやってくれるから、ここで待っていよう」
「は、はい」
ソファーに腰を下ろすと、すぐに空港のスタッフさんがやってきていくつかのケーキとジュースを目の前に置いてくれた。
「えっ、これ……」
「食べきれなかったら、持ち帰ることもできるからユヅルは好きなだけ食べればいい」
優雅にコーヒーを飲むエヴァンさんはこの風景にすごくマッチしてる。
すごいな、出国手続きってこんな感じなんだ……。
しばらくしてセルジュさんもソファー席に座り、
「出国手続きは全て完了です。ここで少し休んだらもう機内に入れますよ」
と教えてくれた。
「このケーキ、あのホテルで並んでたケーキにすごく似てますね」
「ユヅルさま、流石でございますね。このケーキはあちらからお取り寄せしてるのですよ」
「えっ! そうなんですか?」
思いがけない答えにびっくりしてエヴァンさんを見ると、
「ああ、あの時ユヅルはお腹がいっぱいでケーキを食べきれなかっただろう? あの時残したケーキが食べたかったんじゃないかと思って、日本を発つ前に用意させたんだ」
と笑顔で教えてくれた。
「エヴァンさん……」
「ユヅルが喜んでくれてよかった」
僕のために、わざわざ……。本当に、なんて優しいんだろう……。
あの時食べ損ねたミルクレープという生クリームが重なったケーキと、抹茶のムースケーキをエヴァンさんと半分ずつ分け合って食べてお腹がいっぱいになってしまったから、残りのケーキは機内へと持ち込むことになった。
セルジュさんはミシェルさんのために、いくつかのケーキを持って帰るみたい。
甘いもの好きなミシェルさんでも一人ではきっと食べきれないだろうから、きっとセルジュさんと一緒に食べるんだろうな。
「そろそろ機内に入ろうか」
豪華な腕時計で時間を確認したエヴァンさんの声掛けで立ち上がると、スッと僕の腰に手を回してピッタリと寄り添う形になった。
流石に少し恥ずかしかったけれど、払いのけるようなことは絶対にしない。
だって、恥ずかしいけど嬉しいんだもん。
エヴァンさんに連れられてその部屋の奥にある扉へと向かう。
セルジュさんが開けてくれた扉の外に出ると、そこはもう搭乗口の前。
大きな窓からは今から乗るらしい大きな飛行機が見える。
「わぁっ! すごいっ!! あの飛行機に乗るんですか?」
「ああ、そうだよ。小さい方だが、狭くはないだろう」
小さい?
あんなに大きな飛行機なのに?
エヴァンさんはいろんな飛行機乗ってるから、見ただけで違いがわかるのかな。
すごいなー。
あれ? そういえば、僕たちの他にスタッフの人たちはたくさんいるけれど、他のお客さんたちの姿が全く見えない。
さっき搭乗ゲートにいっぱい並んでいた人たちはどこいったんだろう?
ふと後方を見れば、他の搭乗口には人がごった返している。
あの人たちはフランスに行くんじゃないのかな。
まぁ確かにみんながみんなフランスに行くわけじゃないんだろうしね
でも、こんなに少ないと緊張しちゃうな。
「さぁ、中に入ろうか」
エヴァンさんに連れられて機内に入る通路を歩いていくと、
「ロレーヌさま。どうぞごゆっくりお過ごしください」
という声かけと共に、
「江波さま。どうぞごゆっくりお過ごしください」
と僕にも声をかけてくれた。
「あ、ありがとうございます。あの、ゆっくり、過ごします」
「ふふっ」
丁寧な声掛けにテンパって返すと、スタッフさんに笑われてしまった。
恥ずかしくなって
「すみません……」
と照れ笑いで返すと、スタッフさんがなぜか顔を真っ赤にした。
「あの……? わぁっ!」
気になって声をかけようとしたら、エヴァンさんが急に僕を抱きかかえた。
「あ、あの……エヴァンさん?」
「ユヅル、行くぞ」
にっこりと笑顔を浮かべているけれど、なぜかスタスタと早足で機内へと入っていく。
どうしたんだろう?
僕、何か間違えちゃったのかな?




