セルジュさんのうさぎと豪華な部屋
結局、最初の苺ケーキとフルーツタルト、チョコレートケーキ、そしてチーズケーキでお腹がいっぱいになってしまった僕の代わりに、セルジュさんが残りのケーキを食べてくれた。
「ごめんなさい、セルジュさん。僕の代わりに……お腹いっぱいになっちゃったんじゃないですか?」
「いえ、大丈夫ですよ。mon petit lapin もユヅルさまと同じく小食で、いつもケーキを残してしまうのです。ですから、甘いケーキを食べるのは慣れていますから」
優しく微笑みながらコーヒーを飲むセルジュさん。本当に優しい。
「あの、セルジュさんの可愛いうさぎさんって……どんな人なんですか?」
「お聞きになりたいですか?」
ああ、すごく嬉しそうだ。本当に恋人さんのこと大好きなんだろうな。
「はい。ぜひ」
「やめておけ、ユヅル。惚気を聞かされるだけだぞ」
「いいじゃないですか。私はずっとエヴァンさまとユヅルさまのイチャイチャを見せつけられてきたのですよ」
「えっ? 僕、そんなイチャイチャだなんて……ねぇ、エヴァンさん」
同意を求めようとエヴァンさんに目を向けると、エヴァンさんはなぜかすごく驚いていた。
「ユヅル……そんなつもりはないのか?」
「えっ? あ、はい。だって、そんな……人前でいちゃいちゃだなんて恥ずかしくて……僕にはできないですよ……」
僕の言葉にエヴァンさんもセルジュさんも目を丸くして驚きながら、二人で何か話し合っていた。
「あの、僕……何かおかしなこと言っちゃいましたか?」
「い、いや。気にしないでいい。そうか、そうだな。ユヅルは恥ずかしがり屋だからな」
そう言われて頷くと、エヴァンさんは嬉しそうに笑っていた。
「私の可愛いうさぎは、ユヅルさまより少し年上ですね。25歳です。ニコラさまが創設された音楽学校にヴァイオリニストとして首席で入学した逸材で、今はプロの演奏家としてコンサートを開いたりしていますよ」
セルジュさんの得意げな表情がすごく可愛い。
「首席ってすごいですね! うわぁー、演奏聞いてみたいな。ってプロの方にそんなこと言っちゃ失礼ですね」
「いえいえ、ユヅルさまのお話はもう伝えているのですよ。フランスに来たら、ぜひ一緒に演奏したいと申しておりました」
「えーっ、一緒に演奏だなんてそんなっ!」
「すごく楽しみにしていましたからぜひ一緒に弾いてあげてください。私の可愛いうさぎが喜びますから」
にっこりと笑うセルジュさんはきっとそのうさぎさんを思っているのだろうな。
「うさぎさん……お名前なんというんですか?」
「Michel というのですよ。可愛らしい名前でしょう」
「ミシェルさん。素敵ですね」
本当に可愛い名前だな。きっとセルジュさんによく似合う可愛い女の子なんだろう。
「セルジュ、ユヅルはきっと勘違いをしていると思うぞ。ミシェルという名はどちらでも使うからな」
「えっ? 勘違い? エヴァンさん、どういうことですか?」
「ユヅル、今セルジュの恋人が可愛い女の子だと思ったろう?」
「は、はい。違うんですか?」
そう尋ねると、セルジュさんはにっこりと笑った。
「可愛い、は間違ってませんが女の子ではないのですよ」
「えっ? それって……」
「ユヅルさまと同じく可愛らしい男の子です」
「えーっ!!」
思いがけない言葉に僕はびっくりして、それ以上の言葉が出なかった。
「ですから、エヴァンさまのお相手が男の子だとミシェルに知らせたらすごく喜んでいましたよ。きっといいお友達になれると思います。ミシェルに会ってやってもらえますか?」
「ミシェルさんが……男の子……。すごくびっくりしましたけど……でも、なんだかすごく嬉しいです。もちろん、会いたいです! いえ、会わせてください!」
「よかったです。今日、早速ミシェルに伝えておきますね」
ああー、なんだか急にフランスに行くのが楽しみになっちゃったな。
「さて、そろそろ部屋に行こうか。夜にはアヤシロとの約束もあるし、少し部屋でゆっくりしよう」
「はい。わかりました」
「セルジュ、今日のアヤシロとの会食だが、お前はどうする?」
「私はこのままミシェルへのお土産を探しに出かけますので、どうぞお二人でお出かけください」
「そうか、ならそうしよう」
エヴァンさんは立ち上がり僕の椅子を引いてくれた。そのままスッと手を取られ、エレベーターの方へと向かっていく。ホールにいた黒服の人がエヴァンさんの顔を見て、すぐに一番奥のエレベーターを開けてくれた。
「ああ、ありがとう」
エヴァンさんがお礼を言うと、黒服の人が深々と頭を下げる。
エヴァンさんがカードをピッと当てると、扉が閉まりエレベーターが上昇し始めた。
わぁ、エレベーターってこんなシステムだったっけ?
あれ、そういえば、階数ボタンがないな。どこにあるんだろう?
でもなんでボタン押してないのに上にあがったのかな?
「ユヅル、どうした?」
「あの、階数ボタンがないのに動いているのが不思議だなって……」
「ああ、そういうことか。ここは三十五階に宿泊する客専用のエレベーターだから、このルームキーがボタンの代わりなんだ。宿泊客以外が三十五階に立ち入らないようにするためのセキュリティーキーというわけだよ」
それくらい特別な部屋ってこと?
そういえば、ここのホテルは三十五階建てって言ってたよね?
このエレベーターが三十五階の宿泊客専用ってことは……エヴァンさんお部屋が最上階……ってこと?
えっ……うそっ! もう想像つかないんだけど……。
「ほら、ユヅル。見てごらん。景色がすごく綺麗だよ」
僕がエレベーターに驚いている間にぐんぐんと高く上がっていくエレベータからは東京の街並みが綺麗に見える。
「わぁーっ! すごいっ!」
外を覗き込むと下を歩いている人たちが豆粒みたいに小さくなっていく。
「エヴァンさん、見て下さい! すごいですよっ! 家も人もちっちゃくなって可愛いですっ! ほんとおもちゃみた――」
興奮して隣を見た途端、唇にちゅっと柔らかな感触があった。
「ああ、可愛いな。本当にユヅルは可愛い」
「あ、えっ……ちが――っ、ぼく、じゃなくて……っ」
「私には何よりもユヅルが可愛くてたまらないよ」
エヴァンさんはもう一度僕の唇にちゅっと重ね合わせた。と同時に、エレベーターが止まり扉が開いた。
一瞬誰かがいるかもと思ってびっくりしたけれど、エレベータの扉の前には廊下とすぐ目の前に大きな扉があるだけで何もない。
「あ、あれ……ここ?」
「ああ、三十五階はこの部屋しかないんだ。だから、この扉の向こうはもう部屋だよ」
えっ? どういうこと? どういうこと? もう頭が混乱して追いつかない。
「ユヅル、いくよ」
「わわっ――!」
パニックになっている僕を優しく軽々と抱き上げてエレベーターを降り、そのまま目の前の大きな扉にキーを翳すと重厚な扉がゆっくりと開いた。
「わっ! 勝手に開いたっ!」
驚く僕ににっこりと笑顔を向けながら、スタスタと中へ入っていく。
これが部屋の玄関ってこと?
扉のすぐ前にあるんだから玄関なんだろうけれど、あまりにも広すぎて言葉にならない。
ここだけで僕の部屋より広いんだけど……。玄関でこの広さなんて、部屋の中はどれだけ広いんだろう。
考えてみれば、この広いホテルのワンフロア全てが部屋だっていうんだからそりゃあ途轍もない広さだよね。
そりゃあ玄関だけでこんなに広くなっちゃうはずだ。
僕はゴクリと息を呑みながら、エヴァンさんがリビングへの扉を開くのを見ていると、扉が開いた瞬間、明るい光を放った大きな窓が目に飛び込んできた。
「うわぁっ!!! すごいっ!!!」
部屋の真ん中には何十人座れるんだろうと考えてしまうほど大きなソファーが置かれていて、右を見ても左を見てもリビングが続いている。
そして、僕の視界から消えることのない大きな窓から見える景色は、東京の、いや日本のシンボルである大きなタワーが驚くほど間近に見えた。
「こんなに近いんですね。でもこれだけ間近に見えるとあっちのタワーからこの部屋の中が見えちゃいそうですね」
「それは大丈夫だよ」
「えっ? 大丈夫って、どういうことですか?」
「この窓はこっちから景色は見えるけれど、外からは見えないようになっているんだ。だから……」
そう言いながらエヴァンさんの顔が近づいて、ちゅっと唇が重なった。
「こんなことをしていても誰にも見られないから、安心していいいよ」
パチンとウインクをするエヴァンさんがかっこよくてたまらない。
ちゅっともう一度唇を重ねられしばらく外の景色を眺めながら、リビングのソファーでゆったりと過ごし
「そろそろ着替えようか」
というエヴァンさんの声で僕は寝室へと連れて行かれた。
「あの、着替えって……?」
「大丈夫、全て揃えてるから」
エヴァンさんは嬉しそうにクローゼットを開くと、そこには驚く量の服が並んでいた。
一瞬エヴァンさんの服かと思ったけれど、どうみても小さい。
「これは……?」
「セルジュに言って用意しておいたユヅルの服だよ。着替えがないとフランスに着いて困るだろう。日本の方がまだユヅルのサイズの服は手に入るからな。フランスでは懇意にしている服屋があるからそこでオーダーメイドでぴったりなものを誂えてあげるよ」
僕がフランスに行くと決めてからまだそんなに時間が経っていないのに、こんなにも揃えてくれるなんて……。
しかも、すごい言葉が聞こえたんだけど?
オーダーメイドで誂えるって……?
僕専用の服ってこと?
もうなんだか次元が凄すぎて訳わかんないな……。
「今日はこれにしよう」
結局何を着ていいのかわからない僕のためにエヴァンさんが選んでくれた服に着替えて、
「どうですか?」
とくるくる回ってみせると、
「――っ!!! ああっ! なんて可愛さだ!! よく似合ってるっ!!」
と何故か興奮気味に答えてくれた。
「あ、ありがとうございます……。んっ? あれ、エヴァンさんの服……」
「気づいたか? ユヅルのと雰囲気を合わせたんだ」
まるっきり同じ服ではないのに、対に見える。
なんかこういうのってすごくオシャレだな。
「エヴァンさんと似てて嬉しいです」
素直に嬉しい言葉を口にすると、エヴァンさんも嬉しそうに笑っていた。




