衝撃の事実
――弓弦……起きなさい……。
そんな母さんの声が聞こえた気がして、目を覚ますと僕は自分の部屋にいた。
いつの間にベッドに……?
そう思った瞬間、自分が倒れたことを思い出した。
自分ではもう大丈夫だと思っていたけれど、母さんが亡くなってからいろんなことの連続でキャパオーバーになってしまっていたのかもしれない。
それでも母さんの葬儀が終わるまで頑張っていられたのは、紛れもなくエヴァンさんのおかげだ。
あっ、そうだ。
エヴァンさんはどこにいるんだろう?
――ユヅルっ!
意識がなくなる直前に聞こえた声は確かにエヴァンさんの声だった。
急に僕が目の前で倒れたから心配していることだろう。
ベッドから出て、リビングへと向かおうとすると玄関の外で何か声が聞こえる。
誰か来ているんだろうか?
そう思って、静かに玄関へと向かうと
――現に生まれてるんだ。私たちの孫に変わりはない。
――そもそもお前たちとアマネには血縁関係がないだろう?
聞き慣れない男性の声と、エヴァンさんの声が耳に飛び込んできた。
私たちの孫って……もしかして来ているのは母さんの親?
でも、お前たちと天音に血縁関係がないってどういうこと……?
それって、母さんの両親と親子じゃないってこと?
ってことは僕の祖父母でもないってこと?
そうか……だから、僕をいらないって手術を受けさせようとしたのか……。
それを母さんだけが必死に守ってくれたんだ……。
――どうせお前はその天音の子をうまく誑かして十億いただく算段なんだろう? お前も俺たちと同じ穴のムジナだ!
悪意に満ちた罵る声にエヴァンさんの怒りの声が聞こえる。
エヴァンさんが僕のためにに何かしてしまうんじゃないかと思って、慌てて玄関から裸足で外に飛び出し、やめてっ! と大声を上げるとエヴァンさんは年老いた男の胸ぐらを掴み、今、まさに殴り掛かろうとしているところだった。
「エヴァンさんっ! 僕はエヴァンさんと離れるのは嫌だよっ!! だから、やめてっ!!」
そのまま裸足で駆け寄り、エヴァンさんに抱きつくとエヴァンさんはすぐに僕を抱き上げ、
「ユヅル、悪かった。だから泣かないでくれ」
いつの間にか泣いていたらしい僕の涙を優しく拭ってくれた。
その後ろで茫然と立ち尽くしたまま僕たちを見ていた年老いた男の人に
「あなたが祖父でなくてよかったって……今、心から思ってます」
そう告げると、その人は
「この――っ!」
と顔を真っ赤にして僕たちに殴り掛かろうとしてきた。
しかし、ちょうどサイレンを鳴らしながらやってきたパトカーに驚いて、もう一人の女性と一緒に逃げようとしたところを警察官に取り押さえられそのままパトカーへと乗せられていった。
「ユヅル、風邪を引くといけない。中に入ろう」
エヴァンさんに抱きかかえられ玄関へと入ると、セルジュさんが
「エヴァンさま、これを」
といつの間に用意してくれていたのか温かな濡れタオルを渡してくれた。
エヴァンさんはそれを受け取ると、玄関先にしゃがみ込み、僕を膝に乗せ丁寧に足の裏を綺麗に拭いてくれた。
「あの、自分で……」
「いいんだ。私にやらせてくれ」
そう言って黙々と足を拭いてくれるエヴァンさんにこれ以上何もいうこともできず、僕はただ見守るしかできなかった。
綺麗に拭き上げられ、僕はそのままエヴァンさんに抱きかかえられてリビングへと向かった。
エヴァンさんはゆっくりとソファーに腰を下ろしてから、
「ユヅルに何も被害がなくて本当によかった」
と声を震わせて僕を強く抱きしめた。
「あの、心配かけてごめんなさい……」
「いや、心配かけたのは私の方だ。ユヅルが止めてくれなければ今頃ユヅルをひとりぼっちにさせてしまうところだった。ユヅル、ありがとう」
「そんな……」
「ユヅル、話を聞いていたのだろう? アマネとあの者たちのことを……」
そう尋ねられて僕は静かに頷いた。
「あの……エヴァンさんは、知ってたんですか? その、母さんとあの人たちとの関係を……」
「いや、私も最近知ったのだ。アマネが事故で亡くなって、警察からアマネの両親に連絡が行くのではないかとそう考えた時に、ユヅルとアマネの両親が顔を合わせてもいいものかと悩んだ。本来ならば、ユヅルも祖父母に会いたいと思うかもしれない。だが、アマネが必死に逃げて、ユヅルと二人での生活を選んだというのに、私がアマネの意思を無視してアマネの両親に合わせていいものかと思って、セルジュに調べさせたんだ。何も問題がなく、アマネの両親も昔の出来事を悔い、ユヅルに会いたいと探しているのなら会わせてもいいのではないかと思ったんだ」
エヴァンさんはそこまで僕のことを考えてくれてたんだ。
それに母さんの気持ちも……。
「調べてわかったことだが、アマネは彼らの実子ではなく養子だった。そして彼らの元から逃げてすぐに、彼らの籍から抜かれ親子関係は消滅していた。だが、執拗にアマネの行方を探している節があった。それはなぜかと思っていたが、アマネの部屋でニコラのストラディヴァリウスを見つけた時に一本の線が繋がったんだ。彼らはアマネが心配で探しているのではなく、あのストラディヴァリウスのためにアマネを探し続けていたのだと」
「じゃあ、エヴァンさんが僕をフランスに連れて行きたいと言ったのは、あの人たちに会わないようにするため?」
「もちろん、その理由がないわけではない。だが、ユヅルが安心できる場所でユヅルと新しい生活を始めたいというのは私の意思だ。私がユヅルと離れたくないだけだよ。あの者たちのことは関係ない」
そうキッパリと言い切ってくれるエヴァンさんを見て、僕はホッとしたんだ。
「ユヅル、私と一緒にフランスに行ってくれる気持ちに変わりはないか?」
「はい。もちろんです。僕、エヴァンさんと離れたくないです」
「ユヅルっ!!」
エヴァンさんがギュッと抱きしめてくれるその温もりが嬉しい。
「あー、ゴホッ、ゴホッ。それでは予定通り、明日東京に戻ってからフランスに向かうということで進めさせていただきますね」
セルジュさんの声に僕はハッと我に返り、慌てて離れようとしたけれどエヴァンさんに抱きしめられたまま離れることができない。
「あの、エヴァンさん……ちょっと、」
「セルジュのことは気にしないでいい。今はもう少しこのままでいさせてくれ」
「でも……」
「エヴァンさま。あまり無理強いなさるとユヅルさまに嫌われてしまいますよ」
「ユヅルっ、そうなのか?」
「えっ、いえ……そんな、エヴァンさんを嫌いになるなんて……ある、わけないです……」
焦ったように尋ねてくるエヴァンさんに正直に答えると、
「――っ!! ユヅルっ!!!」
嬉しそうなエヴァンさんにまた抱きしめられてしまった。
「はぁーっ、わかりました。それでは私はお邪魔のようですから、そろそろお暇 いたします。明日は早々に荷物の運び出し業者が参りますので、少し早めに身支度を整えておいてくださいませ」
「わかった。セルジュ、頼むぞ」
「承知いたしました」
そういうと、僕が口を挟む間も無くあっという間にセルジュさんは家を出ていった。
「あの、明日出発ならここで泊まっていただいてもよかったんですけど……」
「ここでの最後の手続きが残っていると言っていたからな。明日東京で一泊する時は同じホテルに宿泊だからゆっくりできるよ」
「東京で一泊するんですか?」
「ああ。フライトの関係で明後日の出発になったんだ。だから明日ここの荷物の運び出しを見届けた後、車で東京に向かい、必要なものを買い揃えてから明後日フランスに帰ろう」
「僕、東京行くのも初めてです」
「そうなのか。じゃあ、美味しいものでも食べに行こうな」
そう言って僕の頭を撫でてくれるエヴァンさんを見ながら、僕の心はもう新しい生活へと向かっていた。