67 蕎麦って美味しい!
皇太子殿下が悪い方ではないと私は気づいていた。ナサニエル様に皇女殿下を勧めたときも、私のほうを申し訳なさそうに見ていたし、ナサニエル様には優しい視線を向けていたもの。
「皇太子殿下もディナーにお招きしましょう。みんなで食べたほうが食事は美味しいわ」
「皇太子殿下はナサニエル君に皇女殿下を勧めたのだぞ。そんなことを言う男を屋敷に呼ぶのは反対だ」
お父様はムッとした表情をなさった。
「そうですよ、デリア。あのような失礼な皇太子など招待するべきではありません」
お母様もぷりぷりと怒っていらした。
「いや、あの男は敵ではないぞ。ナサニエルとデリアに対する好意しか感じられなかった。言っていることはめちゃくちゃだったがな。あれは本心ではないのだろう。損な役回りを選んだ不器用な男だ」
神獣様が自らの見解を述べていく。納得できる内容だった。
「やはりそうだったのですね。急におかしなことを言いだしたな、と不思議だったのですよ」
ナサニエル様も頷いた。
そのような会話をしていたところで、皇太子殿下が王宮から出てこられた。早速、私は皇太子殿下をグラフトン侯爵家に誘ったわ。彼は『そば職人』と『鰻職人』のふたりを東洋の国から連れてきたのですって。すぐに、その二人を連れてグラフトン侯爵家を訪問するとおっしゃった。
もちろん、私たちは大歓迎だったし神獣様もご機嫌だった。神獣様は自分が見たものには変身できることを私に教えてくださった。
「でしたら、馬車の中で人間の姿に変身しておいたほうが良いかもしれませんね。猫の姿のままで、蕎麦や鰻を召し上がったら侍女たちもびっくりするでしょう」
神獣様はうなづくと、ナサニエル様にそっくりの10歳ぐらいの男の子に変わった。でも、よく見ると髪は金髪だけれど、瞳は炎のような赤だった。顔立ちも完ぺきに整っていて、まるで絵画から飛び出してきたかのような美しさだった。
「まさか……」
「ふむ。ナサニエルとデリアを見て、両方の良いところを模倣したらこのようになった。これで、大丈夫だろう?」
「大丈夫ですけれど、私とナサニエル様の子供のようではありませんか?」
「ん? あぁ、確かにそうだな。まぁ、いずれ、このような容姿の子供たちが何人も生まれるだろう。今から慣れておきなさい」
そう言いながら、私とナサニエル様のあいだで眠たそうにあくびをしたわ。私たちは苦笑しながらも、神獣様の頭を撫でたのだった。
☆☆
皇太子殿下は約束どおりに、ふたりの職人を連れてグラフトン侯爵家を来訪した。そして、今、グラフトン侯爵家の厨房には、皇太子殿下が連れてきた蕎麦職人が立っている。私たちはその職人技を見たくて、厨房に椅子を持ち込み見学中よ。
職人の動作一つ一つには、何世代にも渡る伝統と技が宿っている。職人はまず、白くて細かい蕎麦粉を大きな鉢に入れた。彼の手つきは慎重でありながらも自然で、まるで粉と水が彼の指先で踊っているかのようだった。
水を少しずつ加えながら、職人は粉を練り始める。この工程は蕎麦の風味と食感を決める重要な部分らしい。彼の手は粉と水を均一に混ぜ合わせ、徐々に一つの固まりにしていく。職人は静かに集中し、蕎麦生地が適切な硬さになるまで練り続けた。その手つきからは何年もの経験と技術が感じられた。
生地が準備できると、職人は生地をそば打ち台に移し、慎重に薄く伸ばしていった。彼の動きは滑らかで生地は均一な厚さに広がった。私は職人が生地を切る様子に見入っていた。包丁が生地を通り抜ける度に、均一な幅の蕎麦が生まれる。切られた蕎麦は繊細でありながらも力強い美しさを放っていた。
蕎麦が細く切られ茹でられる間に、職人は次の料理に取り掛かる。天ぷらの準備が始まったのよ。新鮮な野菜と海の幸が、軽やかな衣を纏い油の中できつね色に揚がっていく。その香ばしい香りが厨房いっぱいに広がった。
蕎麦を茹でる工程とほぼ同時進行で行われていく手際の良さに感心する。大きな鍋に沸騰した湯のなかに、職人は蕎麦を静かに滑り込ませた。蕎麦は鍋の中でゆっくりと踊り、ゆであがると透明感のある淡茶色に変わる。職人は蕎麦を丁寧に引き上げ、水にさらした。この一連の動作が蕎麦の風味と食感を最大限に引き出すという。
蕎麦が盛り付けられた時、私はその美しさに息をのんだ。細く、均一に切られた蕎麦は、まるで工芸品のようだった。職人の手によって、単なる食材が芸術作品へと昇華された瞬間だった。そして、その美しい蕎麦がこれから私の口にはいるのだと思うと、わくわくとした期待で胸が高鳴った。
初めて蕎麦を口にした瞬間、私の味覚は未知の世界へと誘われた。蕎麦の喉越しの良さ、そして繊細でありながらも豊かな風味に、目を見張る。蕎麦が持つ自然な甘みと香りは、私が今まで経験したことのない味わいだった。
続いて、私は天ぷらに手を伸ばした。揚げたての天ぷらは、外はサクサク、中はふっくらとしており、その食感の対比に感動した。野菜の甘みと魚介の旨味が衣の軽やかさと相まって、口の中で完璧な調和を奏でていた。
「これは…・・・本当に素晴らしい!」
私は心からの感動を隠せずにいた。皇太子殿下と蕎麦職人に感謝の言葉を言わずにはいられない。
「蕎麦とはこんなにも美味しいお料理なのですね。この味は一生忘れることはないでしょう」
お母様も同じように感動なさったわ。その晩、私は蕎麦と天ぷらの虜になっただけでなく、異文化への興味と尊敬の気持ちを新たにした。
「東洋の国、恐るべし・・・・・・しかも、これ以上に鰻は人気なのですか? 一度にたくさんの感動を抱えきれませんわ。鰻はまたの機会にしましょう」
私が提案を口にしたとたん、魅惑的な香りが空気を満たし始めた。
「この濃厚で心を惹きつける香り、これは一体何なのでしょう?」
「これこそが、鰻を焼く匂いですよ。素晴らしいでしょう?」
皇太子殿下は得意げに胸を反らせたのだった。




