33 お母様の火魔法(小さなざまぁ)
「女性は物ではありません。もしかして、バッカス隊長は昼間から酒でも飲んでおられるのですか?」
ナサニエル様は侮蔑の視線をその男性にちらりと向けた。
「ちょっと貸してくれれば良いだけだぜ。減るものじゃないし、良いだろう? そんな上等な女と並んで街を歩くだけで、翌日から俺は魔法騎士団のみんなに羨ましがられる。綺麗な女を連れていれば、俺の評判もあがるってわけだよ」
(なんて下品で幼稚な男なの! あの髪を火魔法で燃やしちゃいたいわ。毛先だけでも焦がしたらダメかしら)
もちろん、このような店内で魔法を使うのはマナー違反だし、お店の方の迷惑にもなる。でも、これ以上は我慢の限界だった。
私が魔法を発動させようとした瞬間、室内の気温がぐっと下がった。ナサニエル様の透明感のある海色の瞳が、急速に深みを増す。まるで怒りに染まったかのように濃く暗い青に変わっていった。
水魔法の上位魔法氷魔法をナサニエル様が発動し始めたようだわ。お父様の魔力よりも圧倒的に強くエネルギーに満ちている。バッカスの周りには氷の粒子が舞い、髪や睫毛に白い霜が降り衣服を凍らせていった。
「まぁ、ナサニエル様。このようなところで魔法を使ってはいけませんよ。いつもは冷静なナサニエル様がいったいどうしたと言うの?」
化粧室から戻られたお母様が、この状況に驚きの声をあげた。ナサニエル様は瞬時に魔法を解除し、室内の気温ももとに戻った。
「上官にこんなことをしてただで済むと思うなよ! 魔法騎士団第9小隊長バッカス・ハラパワの名にかけて、ナサニエルを魔法騎士団にいられなくしてやるっ! 俺は魔法騎士団副団長補佐のブレイン・ターヴィル様とは親戚なんだぞ! おとなしくその女を貸してくれれば、特別扱いしてやろうと思ったのに。バカめっ!」
さきほどまで震えていたバッカスは、目に見える唾を飛ばしながらまくし立てた。
「『その女を貸してくれれば』ですって? バッカスとやら、その女とは誰のことを言っているのかしら?」
「え? なんだよ、あんたに話しかけていないだろう? 俺は平民のナサニエルに話しているんだぜ。関係ないおばさんは引っ込んでろよ」
今日の私とお母様の服装は高位貴族らしくなかった。仕立屋での用事が終わったら、市井の市場を見て歩いたり人気のカフェに立ち寄りたかったからよ。上質な生地のドレスを着ていたけれど、華美な装飾品は身につけていない。だから、バッカスは私たちをすっかり見下していたわ。
「おばさんですって? デリアに対する不穏な言葉も許せません。お仕置きですわ」
私はバッカスに一瞬同情した。お母様の火魔法の魔力はそれほど膨大ではないけれど、このような場合のお仕置きにはちょうど良い特殊な能力がある。
炎の精霊が舞い踊るようにお母様の手元に集まり、小さな炎が生まれた。その炎は燃え盛り紋様のデザインを浮かび上がらせる。それは『バカ、カス』の四文字だった。
バッカスの腕にその四文字が静かに舞い降りる。炎のエネルギーが制御され、特定の波長や振動数に調整された。これにより、熱エネルギーが肌に適切な深さで浸透しやすくなるのよ。
(まぁ、なんというか一種の火傷を負うことになるのよね・・・・・・)
「痛い! やめろ! やめてくれよぉーー」
「魔法騎士団の小隊長なのでしょう? このぐらいでわめくのはおやめなさい。不敬罪ですわ。本来ならこのような罰では済みません」
バッカスの腕に『バカ、カス』の文字が刻まれ、服もその文字のあたりだけ焦げて穴があく。あまりのことに、バッカスは口をパクパクさせながら、肩で息をしていた。
「バッカスさん。その文字は約一年で跡形もなく消えますからご心配なく。お母様は優しいと思いますわ。本来ならバッカスさんはとても重い罪になりますからね」
「訴えてやる。名前を名乗れよ。俺はハラパワ準男爵家のバッカスだぞ。そのへんの商家の母娘に舐められてたまるか。慰謝料を請求してやるっ! 牢屋に入れてやる。ちくしょーー」
「私はグラフトン侯爵家のデリアで、こちらは私のお母様のグラフトン侯爵夫人ですわ」
「・・・・・・どうしよう・・・・・・やばい」
バッカスの顔から怒りの表情が消え、床に膝から崩れ落ちた。
きっと、バッカスは自分より身分が下の人には、さっきのようなことをずっとしてきたと思う。だから、良いお仕置きになったわよね。




