幼馴染の記憶が戻らないので、運命共同体を押し付けることにしました。
ずっと、頑張って耐えてきた。いつかは元の萩野くんに戻ってくれる、と期待を捨てられなかった。あれだけ共に過ごしてきたんだから、私を見捨てるはずないよね……って。
けど、見て見ぬふりをしている内に半年も経ってしまっていた。萩野くんは、今日も教室の椅子で外の景色を眺めているだけ。私に話しかけようともしてこない。
……今日こそは、やるしかないよね。
ぐっと拳を握りしめて、手のひらに叩きつけた。程よい刺激で、寝ぼけていた脳を覚醒させた。
萩野くんは、教室で一番後ろの席。自ら志願して最後尾をゲットした理由は、課題を教師に見つからず完了したいから。なんて自己中心主義なのだろう。……半年前も世界が自分を中心に回っていたぽいから、別にいいかな。
「……私たち、運命共同体だよね? 生きる時は一緒に生きて、死なばもろとも。同盟相手だから、当然のことだよね?」
「……なんなんだよ、成瀬……。カルト宗教にでも勧誘されたのか?」
冷たくあしらってきた、ボサボサ髪の男の子。この子こそが、私についての記憶を薄めてしまった萩野くんだ。
もっと髪型に興味を持てばいいのに……と思う事もあるけど、ファッション意識は人それぞれ。風呂上りに自然乾燥させてなければ、酷い事にはならないからね。
「……言葉の意味、分からないかな? 一心同体、二人で一人。ロボットのアニメで合体するみたいに、私と萩野くんも連結できるんだよ?」
「下ネタなら、今日中シカトしてやるぞ……? なんで俺が成瀬とくっつかないといけないんだよ」
「それは……」
門前払いされることは、事前から分かっていた。頭の回転が速くて、計算分野は他の追随を許さない頭脳の持ち主。私なんか、単純な言い合いで萩野くんに敵いっこない。
でも、とっておきの秘策がある。秘密兵器を秘密兵器で終わらせる、どこかのスポーツ漫画とは違って。
正面から正々堂々と攻撃しても、きっと萩野くんは対処できてしまう。私が構えた武器を分析して、ジャンケンのように私を負かそうとしてくる。
「……生まれた日、全く一緒だよね! 双子でもないのに。これは、運命っていう言葉以外で片付けられないと思うなぁ……」
「理論上は有り得るだろ。プログラムソフトで実験してみたら、起こりえない事象じゃないのは分かるよ」
「……プログラムどころか、英語ですら苦手なのに……」
必殺技の名前は、『理外からの攻撃』。ネーミングセンスは、歌手の人に比べて十分の一くらいだと謙遜しておこうかな。
人は、背後から真剣を振り下ろされたら死んでしまう。意識していない場所から飛んでくる攻撃は、致命傷を与えやすいから。……萩野くんには、真剣白刃取りされちゃったけど……。
奇襲戦法で大事なことは、一回きりで終わらないこと。失敗しただけで凹まずに、何度もサーフィンの波みたいに押し寄せれば、必ず綻びが見えてくる。 ……サーファーに乗りこなされたら? その時は一億層玉砕するしかなさそう……。
「いい? 生まれた日っていうのは、自らの最初の情報になるんだよ? 他の誰でもない、自分の。キリストの誕生日なんて、そこから西暦が始まったんだからね?」
「それは誕生年じゃなかったか? ……そもそも、キリストが生まれたのは西暦0年ですら無いんだけどな……」
知識不足、無念……。間違えた箇所は復習しておけ、とよく先生に言われるのは正しい。中学校の知識が、まだ定着してない……。
毛利元就だって、三本矢がなければ安定しないと言っている。一の矢が防がれても、次の弾を打てばいい話だ。……鉄砲? なにそれ知らないなぁ……。
「……家にある車の地名も、同じだよね。親近感、どんどん発生中だよ!」
「成瀬、ホームページ見たことあるか? 『鍛治屋町』とか『本町』とかで地名を決めてるわけじゃなんだからよ……」
要素は否定されてないので、これは成功。一ダメージは、入っててほしいな……。後から、今与えたジャブが効いてくる……はずなんだから!
これでナンバープレートまで同じであれば良かったのだが、そこまで都合よくは行かない。逆さまとか鏡写しとかも考えてみたが、数字の4がどうしようも無く諦めた。
車の種別に『ハギノ』っていうのは無かったっけ……。即席で捏造しても良いんだけど、嘘がバレちゃった時が怖いし……。
でも、まだまだ大丈夫。雪玉は、たくさん作ってあるから。
「……よくやるね、萩野くん。でも、ここからはそう簡単に突破させないぞ!」
「死亡フラグに聞こえるのは俺だけなんですかね……。周りの人たち、腰が引けちゃってますけど……」
クラスの皆など、今は関係ない。羞恥心が萩野くんにあるとすれば、私の大チャンス。攻めて攻めて、小さい傷口から大出血させてやる。
こんなことで私がレッテルを貼られるなら、この高校の民主主義が狂っているのだ。人には公平にしなくちゃいけないのに、自分の思想だけで色を塗りたくるのが悪い。
今まで出現させてきたのは、RPGで言うところのスライム。萩野くんは、実を言うと雑魚キャラ狩りをして勝ち誇っていたことになる。油断した隙を狙って、中ボスを召喚しよう。
「いけ、私の手下! 選択教科、萩野くんと同じなんだよ?」
「この教室の生徒なんだから、理系に統一されてるんだよな……。……成瀬、俺に合わせに行ったのか?」
「私は、お医者さんになりたかったから。萩野くんの方こそ、私を追いかけてきたんじゃないの?」
「誰が成瀬に流されるんだよ。そんなヤツの顔を見てみたいな……」
後で見せてあげるよ、萩野くんの写真。文理選択の悩みを私に打ち明けたのは誰だったか、教えてあげるから。
萩野くんが変わっちゃったのは、半年前。二年生でも同じクラスになれて嬉しかった純粋な気持ちはが、あっという間に砕かれちゃったんだよね……。
あの日、私は萩野くんを抱きしめようとして。
『あ、萩野くーん! 同じクラスだったよー!』
『……成瀬、か。どうかしたのか?』
私と付き合ってたこと、全部忘れちゃった。つい一週間前にキス寸前までしたことも、何もかもすっぽ抜けてた。
病院でよく診てもらっても、糸口がつかめ無さそう。だって、私についての直近の記憶だけが抜け落ちてるから。……私、そんなにストレスかけちゃってたかな……。
あの日から、萩野くんから声をかけてくれなくなった。ボサボサ頭も外で遊ばないのも普通なのに、私との関係だけが薄くなった。
……どうすれば、私が知ってた萩野くんが帰ってくるのか、神様でもいいから伝えてくれないかな……。
いけない、いけない。私の気持ちが沈んでたら、萩野くんに感づかれちゃう。心臓の鼓動が聞こえてくるけど、我慢、我慢……。
「だいたい文理選択なんて、自分の意見で決めるものなんだぞ? 人の意見を鵜呑みにしちゃダメだろ……」
どの口が言ってるんだろう。当時の映像をそっくりそのまま黒板に流せたらいいのに。
文理だけじゃなくって、芸術選択も一緒。だけど、それはたまたまそうなっただけ。勝機に戻って欲しいのはやまやまだけど、嘘を付くのはもっと息苦しい。私自身の首を、真綿で締めてるような気がする。
それに、萩野くんに言い返したくない。前はそうやって、男子トイレに逃げられたから。
意図的にやってるのかな……? それとも、萩野くんの本能が拒否してるのかな……?
「むぅ……。テストの点、前回は連動してたよね? これは、言い逃れ出来ないよ……」
「確かに点が悪かったのは認めるけど、貶す部分じゃないだろ……」
萩野くんは、クラスでもトップに近い順位にいる。図書館で本を読み漁ってることもあって、読解力も高い。私なんか、長文を目にしただけで気絶しそうなのに。
頭の出来が違うと、点数も残酷な差が出てくる。一年生の時は曲りなりにも暗い付けてたのに、気が付いたら総合点数でダブルスコアをつけられてたのは教訓だなぁ……。
直近のテストは、夏休み明けのテスト。課題の範囲から出されるのもあって、こんな私でも平均点は維持できた。『実力考査で点を取らなきゃ意味がない』って叫んでる人たちがクラスに何人かいたはずだけど、その人たちはピラミッドの底に沈殿してたような……。
最底辺の戯言は物置にしまっておいても、萩野くんが奮っていなかった。軒並み点が落ちて、分布グラフが私とそう違わなかった。萩野くんからすると大失敗だったと思う。……それでも総合点数が負けてるのは言い訳出来ない……。
「……思い出した。どうしても課題が分からないって成瀬が電話かけてきただろ? 結局徹夜になって、事前に学習出来なかったんだよ……」
「それなら、私と萩野くんが一緒にやったところは高得点だったんじゃ……」
「一ページで成瀬がつまづいてばっかりだったから、まともに復習出来てない」
萩野くんの足、引っ張っちゃってた……。万能じゃないんだから、勉強しないと得点が取れないのは当たり前だよね……。申し訳なさの青色で、胸がいっぱい……。
このまま萩野くんを拘束していいのかな……。いや、弱気になっちゃいけないんだ。
私は、一念発起して頬っぺたをひっぱたいた。ネガティブな気持ちに浸ってばかりだと、萩野くんにすぐ逃げられてしまう。
テストの点数は私が落としてしまったかもしれないが、私が受け取るはずだった幸福を萩野くんは奪っていった。半年の間、私は孤独で寒さに震え続けていた。
謝らなきゃいけないのは、どっちかな?
「……体育祭りでも、障害物競走で男女ペアだったよね?」
「余りもので選ばれただけじゃないのか? あんまり覚えてないけど」
萩野くんの記憶は、改ざんされている。真顔で『覚えてない』って言われると、私が存在してる意味をよく考えちゃうんだよね……。
障害物競走は男女別になっていて、異性がペアになることは基本無かった。だから余りものっていう表現も正しいんだけど……。私とペアになった時の萩野くん、すぐにハイタッチしに来たけどね……。
今目の前にいる萩野くんは、影分身みたいなものだ。過去の重要な記憶は叩き込まれているが、覚えなくていい事柄は教えられていない。私と萩野くんがデートしていた事実を知らず、幼馴染らしく接しようとしてくる。
……もちろん、分身の術を使えるのは忍者だけだけど。
「……そろそろ、おいとましていいか? 連弾に付き合うのも面倒くさくなってきた」
萩野くんが、パイプ椅子を引いて立ち上がった。行先は、私が入り込めない場所―――男子トイレ。扱いに困ると、いつもこうしてくる。萩野くんの意気地なし!
私は、ただの幼馴染じゃない。手を繋いで、ハグして、告白し合ったカップル。……なのに、失われてしまった過去になっちゃってる。
タイムマシンがあったら、二十四時間張りついて原因を究明出来るのに……。あと一世紀もかかるなんて、待ちきれない。
「最後に、一つだけ。……お互いに、愛し合ってたよね」
「……くだらないカルトだなぁ……。教祖様に金を巻き上げられないよう、注意しとけよー」
泥水に浸かっていた胸にカイロを貼られたほど暑苦しくなったのだが、萩野くんは最後まで素っ気なかった。私の顔も見ないで……。
上靴の足跡が、しんと静まり返った教室に響き渡った。クラスの人は、一部始終に固唾を飲んで見守っていた。
傍観するだけの人は、見て見ぬふりと同じこと。私の味方は、どこにもいない。
「萩野くん……」
手を伸ばしても、届かない。指の先にある萩野くんの背中が、どんどん遠ざかっていく。灰色のパーカーなんか着こんでいなかったはず。それにも関わらず、灰色に視界が染まっていった。
……萩野くん、私を残していかないで……。
私の想いが通じたのか通じなかったのか、テレパシーに反応することなく灰色の背中は曲がり角に消えて行った。