オツカレ聖女はもう王家の言いなりにはなりません〜勇者パーティー派遣ギルドを作って、自分も皆も幸せにします〜
「俺たちの戦いはここからだ」
やっとの思いで魔物を倒したあと、勇者ライアンは高らかに言った。
プツン エリカの中で、何かが切れた音がした。
バサッ エリカは頭のヴェールをはぎ取って、地面に叩きつける。
ファサアッ エリカの燃える太陽のような巻き毛が揺れる。
「ちょっと待って、何言ってんの。もうおしまい。終わりよ、終わり。こんなことやってられるかっつーの」
元少女で乙女だった聖女エリカ。十年にも及ぶ魔物討伐の旅で、すっかりすり切れてヤサグレた。酸いも甘いも噛み分ける、汚泥にまみれたヤサグレ聖女だ。
ビシイッ エリカは固まる勇者ライアンに指を向ける。
「だって、ライアン。あんた、村に婚約者がいるって言ってたじゃん。花の命は短いのよ。今から大急ぎで帰って、求婚して、子作りして、幸せな家庭を築きなさいよ」
ライアンはポカンと口を開けたまま棒立ちだ。
エリカは、半笑いの便利屋オットーをねめつける。
「オットー、お金貯めて、自分の店作るって夢はどうすんの? お金は十分貯まったでしょう? 王都に家も買ったでしょう。準備万端じゃない。今始めないで、いつやるってのよ?」
オットーは半笑いで頭をカリカリかいた。
エリカは最後に、困り顔の巨大な男、戦士ジョーを見つめる。
「ジョー、あんたもよ。田舎に帰って母ちゃんの老後の面倒見るんでしょう? 犬飼って、のんびり農家でもするってさ。血生臭いのはもうたくさんって言ってたじゃん。母ちゃん、早く帰らないと……」
エリカは口ごもった。深く息を吸い、三人を順繰りに見る。
「とにかくね、十年よ。十年も戦ったらもう十分だと思うのよ。私たちの人生を始めるべきよ。もう魔物討伐はおしまいよー」
息を荒げるエリカに、ライアンは優しく問いかけた。
「お前はどうすんだ? 結婚でもするのか?」
エリカはキッとライアンをにらむ。
「私だってさ、誰か好きな人と結婚して、子ども産んで。そんな生活したいよ。でもね、私、やりたいことができた。私たちみたいに、国に使い潰される勇者パーティーを二度と出したくない。王族や大臣を脅して、勇者パーティー派遣ギルドを作るわ」
エリカは暗い洞窟の中、高々と拳を突き上げ、晴れやかに笑った。
***
「わーい、王都の一等地、タダでもらっちゃったー。ウェーイ」
エリカはニコニコ顔で建物の中を見回る。王家をちょーっと脅したら、一等地と建物をもらえたのだ。
「俺のおかげ。大体全部、俺様の力」
いつもは半笑いのオットーが、今日は全開で笑っている。
「オットー様。ありがとうございます、マジで」
エリカはオットーを拝み倒した。どの場所がいいか、どこなら隣近所と軋轢を生まないか、オットーが走り回って調べてくれた。
「ていうか、結局いつものメンツだわねえ。オットーはまだしも、ライアンとジョーは田舎に帰ると思ってたのに」
「俺、元婚約者にはとっくに振られてたんだ。討伐に出てから一年後ぐらいかな。もうこれ以上待てませーんって手紙が来た。村の他のヤツと結婚して、幸せになってるみたいだ」
「なんでそんな。もっと早く教えてくれればよかったのに」
「そんなカッコ悪いこと言えるかよ」
ライアンは肩をすくめる。ジョーも苦笑しながら答えた。
「俺は母ちゃんに、帰ってくんな、王都で働けって言われたんだ。仕送りだけすればいいってさ。田舎に俺みたいな大食いが来たら、食べ物がなくなるって。たまに顔出すぐらいでいいってさ」
エリカはフンフンと頷くと、腰に両手をあてて皆を見回す。
「まずは優秀な従業員を雇わなくっちゃね。それはオットーと私でやるから。ライアンとジョーは酒場とか通りで、優秀な冒険者に声かけてきて」
エリカはポーイッとふたりを建物の外に追い出した。
「優秀な受付け嬢が必要よ。受付け嬢が、勇者パーティー派遣ギルドの成否を握ると言っても過言ではないわ」
「どんな子がいいか言ってよ。探してくるから」
「そうねえ」
エリカはツラツラと欲望を垂れ流す。オットーは聞きながら遠い目をしている。
「エリカ……。いや、分かった。探してくる。待ってろ」
オットーは頭を振りながら出て行った。オットーは優秀だ。オットーなら大丈夫、エリカは信じて待つ間、別の仕事をすることにした。
「やらなきゃいけないことを、書き出していきましょう」
小さな紙をたくさん用意して、やらなきゃいけないことを思いつくままに書き出す。
「従業員を雇う。ギルドメンバーを集める。資金は王家からもらってたんまりあるけど、お金の管理する人が必要ね。ギルドメンバーの教育計画。学園に頼んで、魔法や魔物討伐の授業も入れてもらわなきゃ」
習うより慣れろで、いきなり実践に放り込まれ、死にかけたことを、エリカは苦々しく思い出す。
「聖女も戦士も勇者も便利屋も魔法使いも。国を守るために必要な技術は、学園できっちり教えるべきなのよ。優秀な選ばれし勇者パーティーに全てを押しつけるなんて、おかしいのよ」
最強の勇者パーティーともてはやされ、チヤホヤされ、そして魔物討伐を押しつけられた。
「最強じゃなくてもいい。そこそこの人員を、集めて育てて、みんなで国を守ればいいんだわ」
どうやって人を集めて、どのように育てたらいいかしら。エリカは考えては書き、書いたものを分類してまとめていく。
「なんとなく見えた気がする」
似通った項目ごとにまとめ、壁に分けて貼っていくと、思考がスッキリと可視化できた。
そうこうするうちに、オットーが受付け嬢候補を集めてくれた。エリカはひとりずつ面接する。
エリカは三人の女性に決めた。三人とも子どもがいる。
「女性は働く場所が少ないのよね」
エリカの言葉に三人は強く頷く。
「特に、子供がいたり、病人の介護をしてると、雇ってもらえないのよ。だからこそ、あなたたちに受付け嬢をお願いしたいの。三人で、うまく仕事を分担してね。急な用事で働けないこともあるでしょう。助け合ってほしいの」
「がんばります。あの、私、受付け嬢って顔じゃないですけど。死ぬ気でがんばります」
素朴な顔をしたサーシャが、真っ赤になりながらエリカを見つめる。
「若くて美しくて男あしらいが上手。そんな受付け嬢もいいと思うんだけど。このギルドはそうじゃないの。世の中の不条理さを知って、苦労して生きてる人がいいの。一緒に働きたい、そう思う人だけを選んでね。あなたたちが」
エリカはひとり一人としっかり目を合わせて、その考えが浸透するまで待った。
「私たちが選ぶんですか? エリカ様ではなく?」
「基本的にはあなたたちに任せるわ。あなたたちが、イヤだな、怖いな、この人とは一緒に旅できない。そう思ったら、断ってちょうだい。邪悪な人はギルドにいれない、それが基本方針です」
魔物討伐は少なくとも一週間はかかる。一週間、イヤなやつと一緒にいたら気が狂う。エリカはそのことをよく分かっている。ライアンもオットーもジョーもいいヤツだ。だから十年を共にできた。たまに殺してやりたいって思うぐらいの大げんかもしたけれど。
エリカは立ち上がると、三人を案内する。
「ここが受付けね。奥に休憩室があるわ。それと」
エリカは奥の小部屋を開ける。
「ここを子どもの遊び場にしようと思ってるの。三人とも、子どもを連れて来ればいいわ。毎日誰かに子守り頼むのって難しいでしょう。ここなら他の子どもと遊べるし。ちゃんと保育士も雇うからね」
三人がホッとした表情で息を吐く。
「ありがとうございます。本当に助かります。ご近所中にお願いしなきゃって思ってました」
夫に先立たれ、五歳の息子をひとりで育てているメイは、涙を浮かべて喜ぶ。
「中庭にブランコや砂場も作るわ。子どものいる冒険者に、うちのギルドに入ってもらいましょう」
働きたくても機会を与えてもらえず、鬱屈とした日々を送っている女性たち。そんな女性たちに働く場所を提供する。エリカの目標のひとつが少し進んだ。
***
「この度は、弊社の採用選考をお受け頂き、まことにありがとうございました。先日の面接内容やスキル鑑定結果を精査した結果、弊社ではボルドー様が活躍できる場所をご用意することができないという結論に至りました」
スラスラとメイが定型文をそらんじる。
「せっかくご足労して頂いたのにも関わらず、申し訳ございません。まことに心苦しいのですが、なにとぞご了承いただけるようにお願い致します。ボルドー様の、より一層のご活躍をお祈り申し上げます」
メイは慇懃に一礼した。
ドンッ ボルドーは太い腕で受付けの台を叩く。メイはビクッとして飛び上がった。
「なんだってー、このブス。俺は、暁の紅パーティーのメンバーだったんだぞ。一流の冒険者で戦士だ。なんで俺が落ちるんだよ、ババア、ふざけんな」
メイは震える手をギュッと握ると、落ち着いて書類を台に置く。
「こちら、暁の紅のメンバーへの問い合わせ結果です。『ボルドーは独りよがり』『他のメンバーを見下す』『強い者に媚を売り、弱い者に強く出る』『口開けてクチャクチャ食べる。クチャラー』とのことです」
「ああー、クチャラーは無理だわ。生理的に無理」
受付けの順番待ちをしている女性冒険者たちが、納得といった顔で口々に言う。
「ほらほら、後がつかえてんだ。落ちたやつはさっさと出ていきなよ。こちとら子どもをばあさんに任せて走ってきてんだ。早く帰らないとヤバいんだよー」
たくましい筋肉をムキっとさせた女性冒険者がユラリと立ち上がる。
「く、クソッ。覚えていやがれ」
「口閉めて食べられるようになったら出直しなー」
女性冒険者たちがボルドーの背中にヤジを浴びせる。部屋にいた男たちは口を押さえ、「これからは気をつけよう」と言い合った。
メイはフーッとため息を吐くと、立ち上がってお辞儀をする。
「皆さん、ありがとうございました」
「いいんだよー。女性にブスって言う男とは一緒に働けないさ」
「だな。あと、ババアとかおばさんって呼ぶヤツもな」
「き、気をつけます」
男の冒険者たちは姿勢を正した。
国を救ってきた伝説の勇者パーティーが新たに作ったギルド。ウワサはあっという間に国を駆け巡った。我こそはと腕に覚えのある冒険者が列をなす。
ところが、名のある冒険者が断られ、無名の者が採用されることが続いた。
「漆黒の鴉パーティーの僧侶が落ちたって。で、子持ちの聖女が受かったらしいぜ」
「え、聖女って独身の乙女じゃないとダメなんじゃ」
「誰もが女性から産まれるのに、なぜ聖女は独身の乙女でなくてはならないのでしょう。理不尽です、って所長が言い切ったらしいぜ」
「ああ、あの伝説の聖女。国王陛下の弱みを握ってるってウワサの」
「こえー。てっきり勇者ライアンが所長だと思ってたけど。聖女エリカが所長って聞いたときは、ぶったまげた」
「まあ、しっかり訓練してくれて、福利厚生ってヤツもバッチリなんだって。だから、俺も受けた。明日結果を聞きに行くんだ」
「マジか。じゃあ、俺も受けてみっかなー」
「お前より、嫁さんの方が受かるかもよ。子持ち女性優遇だってさ。ギルド内の保育士とか、食堂の給仕係とか、病児保育の看護師とか。いっぱい仕事があるってよ」
「マジか。じゃあ、嫁さんと一緒に受けに行くわ」
男たちはいそいそと応募の準備をしに家に帰った。
***
「そんな感じで、いたって順調に職員とギルド登録者は増えているわ。あとは、少しずつ実績を増やしていきましょう」
ツヤツヤと輝くエリカとは対照的に、三人の男たちはゲッソリとやつれている。
「エリカ、魔物討伐のときより忙しいんだけど、俺」
オットーがムッツリとした顔で愚痴をこぼす。
「命の危険がないんだから、いいじゃないの。それに、ギルドが軌道に乗ったらのんびりできるわよ」
トントントンッ エリカは疲れた三人の前に、小さなガラス瓶を置く。
「聖水よ。これを飲めばスッキリするわ」
「おお、エリカの聖水。効くんだよなー。ただの水に祈りを捧げてるだけなのに。意味分かんねえ」
「おかげでボロ儲けよ」
ホホホとエリカは不敵に笑う。聖水をグビグビ飲みながら、オットーが苦笑いする。
「でもさあ、魔力がある女性は聖女に、男性は勇者にって、くくりが乱暴じゃね?」
「大丈夫よ。勇者より魔法使いがいいですって言われたら、そのように登録してるもの」
「いや、そういう問題じゃ」
ジョーが頭を抱える。
「なによー、聖剣が抜ければ、みんな勇者でしょうが」
「あの聖剣、そこそこの魔力がありゃあ、誰でも抜けるよな」
勇者ライアンが中庭の岩に、ガスッと聖剣を刺したのだ。そこそこの魔力と腕力があれば抜ける仕様だ。
そして、エリカが祈りを込めた水を聖杯に入れた。聖杯を光らせることができれば、その女性は聖女なのだ。
聖女なんてとんでもない、尻込みする人には、他の名称を名乗ってもらう。魔法使い、便利屋、戦士、賢者、商人。
「いいのよ。私たちだって、王家に似たようなことされたじゃないのよ。わけも分からず、勇者だ聖女だって持ち上げられてさ。魔物討伐を押しつけられたんじゃないの。ちゃんと給料払って、教育して、支援もバッチリなうちのギルドの方が、百倍いいわよね」
言い切るエリカに、三人は口をつぐんだ。まあ、王家には言いたいことがひとつやふたつ、いや百個ぐらいはある。
まあ、いっかあ。三人は流されることにした。どのみち、エリカに逆らっても勝てないことは、この十年でよく分かっている。
「小さな依頼でメンバーたちを育てているけれど。そろそろ難しい依頼も受けていくわ。三人はメンバーの訓練と、支援をお願いね。あくまでも支援に徹してよ」
「へいへーい」
「ハイは一回」
エリカは机に突っ伏したライアンのおでこを指ではじく。ライアンはさっとエリカの指をつかんだ。ライアンは顔をあげると、エリカを優しい目で見つめる。
「あんまり働きすぎんなよ。シワが増えるぞ」
「し、シワなんて、まだありませんから」
エリカはライアンの手を振り払うと、両手で頬を隠す。
「失礼だわ。私、まだ二十五歳なんだけど」
「分かってるって。冗談だろ」
ライアンはうーんと伸びをして立ち上がる。ワシャワシャとエリカの赤い巻き毛をモシャクシャにすると、笑って出て行った。
「お前ら、いい加減つき合えよ」
「俺もそう思う」
オットーとジョーはそう言うと、エリカの背中をポンポンッと叩いて、ライアンを追いかけていった。
「そんなこと言われても」エリカは小さくつぶやく。
ライアンには村に婚約者がいると思っていた。だから、気持ちに蓋をして生きてきた。今さら、好きですとか言えない。え、言える?
エリカはその場面を思い浮かべて、やっぱり無理ーと目をつぶった。
十五歳から二十五歳まで。ずっと心を押し隠してきたのだ。だって聖女は純潔じゃないとダメって言われてきたし。ライアンには好きな人がいると思ってたし。
「なんかいい雰囲気かもって思うことはあったけど。気のせいだって、うぬぼれるなって」
このまま純潔で、大聖女にでもなって、余生を神に捧げるんだって。
「神よ、私は純潔を捨てますけど。十年もの若い盛りをあなたへの祈りに捧げました。純潔じゃなくなっても、祈りますから、お許しください」
エリカは真摯な気持ちで祈った。いいよー、と神は返事をしなかったが。エリカはもう気持ちを決めた。
「今からひと花咲かせますー」エリカは叫んだ。
***
エリカが覚悟を決めたとき、遠くの地で魔王が立ち上がった。
「あのうっとうしい勇者たちが王都に戻った。今のうちに勢力を拡大するぞ」
魔王は密偵たちから、勇者パーティー派遣ギルドのことを聞いて、考えこんでいたのだ。
「魔王を、増やす。俺が討たれても、すぐに次の魔王が立てるようにな。フハハハハハ」
魔王の不気味な笑い声に、地上の動物たちはバタバタと逃げ出した。
***
「なーんか最近、魔物の動きが活発なのよねー」
エリカは各地からの依頼書を読みながら、うーむとうなる。
「まさか、魔王のヤツ。まーたやる気になったんじゃないでしょうねえ」
エリカは椅子に背を預けると、天井を見上げる。
十年の間に、魔王とは何度か直接対決をした。そして、決着がつかなかった。
「もういい加減、飽きたわ。休戦しましょう」
そう言って、直接対決はやめることで合意をしたのだ。
「人は人の領域で。魔物は魔物の領域で。お互い干渉せずに生きていきましょうよ」
「いいぜ。ただし、跳ねっ返りの魔物は出る。全てが俺の言うことを聞くわけでもないからな」
「分かったわ。あなたが出てこないなら、いいとしましょう」
そんな感じで、うまくまとめたはずなのに。
「あいつー、まったく信用ならないわね。まあ、魔王だものね」
エリカは壁に貼られた地図にまち針を刺していく。依頼を出してきた場所に刺せば、どこで魔物が暴れているか、一目瞭然だ。
「北部が多いわね。寒くなる前にカタをつけたいわ」
エリカはギルド登録メンバーの書類を見ながら、誰をどこに派遣するか考える。
勇者や戦士など前衛で戦う人と、聖女や回復系の魔法使いを組み合わせる。
「まとめ役は必要よねえ。ジョーならきっとうまくやってくれるはず」
ジョーは、エリカの頼みを渋々引き受けてくれた。
「こういうのは、ライアンの方が向いていると思うが」
「うーん、ライアンだと途中から面倒になって」
エリカは少し口ごもって、コソコソとささやいた。
「全部自分でやっちゃいそうじゃない。それじゃあ、他の人たちが育たない」
「あー」
その点、ジョーは忍耐強い。ギリギリまで新人育成の支援に回ってくれるだろう。
「分かった。分かったけど、三十人って多くないか? 統率とれるか不安」
「十人ずつ組になって、交代で討伐すればいいと思うんだ。魔物が多い時は臨機応変に」
戦士ジョーは国の英雄だ。英雄と共に魔物討伐ができるとあって、ギルドメンバーの士気は一気に高まった。選ばれた三十人は誇らしげに旅立った。
律儀なジョーはきっちり報告書を送ってくれる。
『街を挙げて歓待されている。支援も問題ない。今日は街の冒険者たちと共に見回りに行った』
『ダンジョンになりかけの洞窟を見つけた。潰した』
『アンデッドが出そうな雰囲気。エリカの聖水を送ってくれ』
『アンデッドが出そうな墓地に、エリカの聖水をまいた。爽やかな空気』
『ガチンコのケンカが起こったが、放っておいた。たまに発散させるのもいいだろう』
『イナゴの大群が飛んできた。焼いたが、イヤな感じ。準備をよろしく』
***
「北でスタンピードの兆しがあるって?」
ライアンとオットーがエリカの部屋に飛び込んでくる。
「イナゴが来たって、ジョーから連絡あった」
「どうする? 俺が行こうか?」
ライアンの言葉にエリカは首を振る。
「オットーが適任だと思う。魔物を操るの、得意だもん」
「まあなあ。アイツらをイラッとさせることにかけちゃあ、俺の右に出る者はいないからな。なんせ、ただ立ってるだけで、腹立つらしいからな。ひでえ」
オットーはエリカからの大量の荷物を受け取ると、ニヤッとして北に向かう。
「うーん、相変わらず緊張感のないヤツ」
「そこがオットーのいいとこよね」
「まあな。俺も、いつでも出れる準備しておく」
「うん、お願い」
***
オットーがエリカからの支援物資と共に、ジョーたちと合流する。
「ありがたい、間に合ったか」
ジョーがガシッとオットーの肩を抱く。
「いやあ、空気がピリピリしてるね。ヤバいね。明日かな」
「ああ、準備はできてる」
なぜだかは分からないが、たまに動物や魔物はスタンピード、集団暴走を起こす。狂乱状態で暴走し、街をなぎ倒し、崖から落ちて死ぬまで止まらない。スタンピードの兆候を察知したら、人は逃げるか、地下に潜ってやり過ごすかだ。
この街には幸い、大きな地下施設があったので、住民は地下に避難した。
「うーん、何が来るかねえ。虫じゃないことを祈る」
「そういうこと言うなよ。言うと、そうなりがちだろ」
「大丈夫。俺、神様へのつけ届け、きちんとやってるから」
オットーはグッと拳を握った。ジョーは疑いの眼差しでオットーを見る。
「任せろって」
そんなふたりの、あまり安心できないやりとりを、ギルドの新人メンバーたちは祈るように見守った。
翌朝、オットーは踊りながら大はしゃぎをしている。
「うっひゃー、来たー。かっわいいー」
オットーは鼻高々だ。神様へのつけ届け、効いたらしい。
城壁の上に立つ討伐メンバーの視線の先には、モフモフの大洪水。
「バロメッツがトマトを転がしながらこっちに暴走してきます」
羊に似た魔物、バロメッツ。トマトのような実になる羊。トマトが本体のはずだが、羊がモフモフと走っている。新人たちは、これは恐ろしいのか、笑う場面なのか、よく分からず混乱している。
「じゃあ、俺行ってくるわ」
「骨は拾わんぞ。無事に戻ってこい」
オットーは手をヒラヒラさせながら、身軽に城壁を降りると、気軽な足取りで羊とトマトに向かっていく。
オットーはしばらく歩くと、湖のそばで立ち止まった。ただ、のほほんとした様子で、ボケラーッと立っている。
モフモフとトマトが、イヤな音を立てながらオットーに迫る。一部の羊はトマトを潰したようで、真っ赤に染まっている。かわいいような、エグいような。目の前に広がる光景に、新人メンバーは悲鳴をあげた。
「オットーさんっ」誰かが叫んだ。
「逃げてー」若い聖女が泣き叫ぶ。
白と赤のフワフワが、モフッとオットーにのしかかろうとした途端。
「消えた」
モフモフとトマトは一瞬でかき消えた。
「えっ、どういうこと? オットーさんは?」
目を凝らすと、オットーは元の場所で手を振っている。
ドドドド また地響きが辺りを揺らす。
「ヒッ また来たー」
モフモフとトマトがまたオットーを踏み潰そうと押し寄せ。
「消えた」
「えっ、えっ?」
モフモフとトマトは押し寄せては消え、モフモフしては消えを繰り返す。
「湖のこっちとあっちに転移陣を敷いたんだ。スタンピードは、獣がバテるまで円形に走らせるのが一番だから」
ジョーが、オットーの前のあたりと、湖の向こう側を指し示す。
皆がヘナヘナと崩れ落ちる中、ジョーはいつまでもオットーを見守った。夜がとっぷりとふけ、朝日が昇ったとき。
「モフモフがビショビショになってるー」
羊とトマトは、湖の中で呆然としている。
「少しずつ、オットーの前の転移陣を湖に寄せて行ったんだろう。水に濡れれば、あいつらも目が覚めるはずだ」
ジョーが下に向かって叫んだ。
「行ってくれ」
馬に乗った男たちが、牧羊犬を引き連れ湖に走る。
ワウワウワウワウッ 牧羊犬に追い立てられ、ビショ濡れの羊とトマトは、牛の放牧用の囲いの中に入れられた。羊たちはそこで、トマトに乗って寝始めた。全体的にのどかな雰囲気に落ち着いた。
「う、うわーい」
ギルドメンバーは小声で喜び、小さく飛び上がる。
地下施設から出てきた住民たちは、羊とトマトに大喜びだ。
「ありがとうございます。これから羊毛を刈ります。売上の半分をギルドメンバーにお渡しするというので、いかがでしょう?」
街の代表者の説明に、ジョーはオットーを呼ぶ。
「俺はそれでいいと思うけど、エリカにも聞いてみるわ。じゃあ」
オットーは転移陣に乗って、さっさと王都に戻った。
***
エリカの部屋の転移陣が光った。眠そうなオットーが立っている。
「お帰りー。大丈夫だった?」
「大丈夫。よゆー。てか、お前の方が大変だったろ。あんなデカい転移陣、よく縫えたな」
「ギルドの女性たちが手伝ってくれたから」
オットーが袋から大きな缶を取り出し、エリカに渡す。
「手荒れに効く軟膏だ。手袋、血がにじんでるぞ」
エリカはさっと手を後ろに回した
部屋にライアンが入ってくる。
「オットーお帰り。無事でよかった」
三人は羊毛や褒賞の分け方について話し合う。
「あとは私がやっておく。オットーは家帰って寝なよ」
「おー、そうするわ。転移陣、ちゃんと金庫にしまっておけよ」
オットーは大きな布をエリカに渡すと出て行った。エリカは本棚の後ろにある金庫を開けると、転移陣を中に入れた。
「バロメッツとはな。皆が無事でよかった」
「そうね」
パタンと金庫をしめ、本棚を戻した。
「エリカ、座りな。軟膏、塗ってやるから」
ライアンに促され、エリカは椅子に座った。ライアンが椅子を持ってきて、エリカの前に座る。エリカはゆっくりと手袋をとった。ライアンが一瞬顔を歪める。
ライアンは丁寧に、エリカの指に軟膏をすりこんでいく。
「とても若い女性の手だとは思えない。傷だらけ、タコだらけだな」
「ライアンの手だって剣ダコだらけじゃないの。傷もいっぱいあるし」
「勲章さ。エリカの手も、勲章だ。よくやったな」
「うん」
コンコンコン 扉を叩く性急な音が、ちょっとしたイイ雰囲気をぶった切った。
「はーい、どうぞ」
息せき切って入ってきたサーシャは、ライアンとエリカの距離の近さを見てハッとする。
「あわわわ、お邪魔しましたー」
慌てて出て行こうとするサーシャを、エリカが引き留める。
「サーシャ、何があったの?」
「あああの、王家からこれが届きました」
クルクルと巻かれた羊皮紙。仰々しい王家の封蝋が施されている。エリカは慣れた手つきでパキッと封蝋を割ると、羊皮紙を広げる。
エリカはすぐに羊皮紙をライアンに渡した。ふたりは顔を見合わせ、ため息を吐く。
「またか」
***
『北で龍害の兆しあり。対応されたし』王家からの簡素な依頼に、エリカとライアンはテキパキと準備を進める。
『例の羊毛、全部送ってくれる? 龍害だから、王家からそちらに補填が入る』
『了解』
エリカが転移陣でジョーに手紙を送ると、すぐに返事が来た。十年間の魔物討伐で、エリカたちは地道に各要所に転移陣を敷いたのだ。対になる転移陣のどちらかに、エリカの魔力を流さないと発動しない。討伐の間で知り合ったエルフが、あれこれ試行錯誤して作ってくれた転移魔法陣。
魔物から救った各地の代表は、エリカたちを信じて転移陣を敷かせてくれた。もちろん、緊急時にしか使わないし、誰も近寄れないように監視が置かれている。
エリカは別に王家を潰したいわけではない。国をまとめるのに、王家の権威は必要だと思っている。ただ、王家が何かしかけてきたときに、対抗できる手段があるといいな。そんな気持ちで各地に転移陣を敷いた。いざとなると逃げられるし、やろうと思えば王都を破壊できる。転移陣で王都に魔物を送り込むことができるのだから。
「もちろんそんなことはしないけど。王都には大切な人がたくさんいるもの」
エリカはせっせと手を動かしながら、ポツリとこぼす。
「でも、いざというときの手段があると、強く出られるからいいわ」
「なんの話ですか?」
隣でチクチクあみあみしていた女性が、怪訝そうな顔でエリカを見た。
「強くないと搾取されるってこと。そうならないようにがんばるわ」
エリカの言葉に、女性たちは頷いた。
「エリカ様のおかげで私もお金を稼げるようになりました。誰の稼ぎで暮らしていけると思ってんだ、夫に言われたとき、堂々と言い返しました。私の稼ぎで暮らしてんだよ。イヤなら出ていきなって」
ずんぐりとした中年女性は、満面の笑みを浮かべる。
「それ以来、夫も大人しくなりました。家事も少しだけど、手伝ってくれるようになって」
「分かる。やっぱり、自分のお金があるって強いよね。いざとなったら、子ども連れて別居してやるって思えると、気が楽になったもん」
女性たちは口々に、働けることの幸せを言い合いながら、ものすごい速さで棒針を動かす。
「もうすぐ完成ね。出来上がったら、ライアンに任せましょう」
エリカの言葉に、女性たちは満足そうに手の中のモフモフを見つめた。
***
うっそうとした森の中の奥の奥。ひっそりとした洞窟の中に、スタスタとライアンは入っていく。
「おーい、来たぞー。ライアンだ」
ワウンワウンとライアンの声が洞窟の中に響き渡る。洞窟の奥の、少し明るくなっている場所に、龍はいた。
「お前とはやり合わないことになってんだろう。何荒ぶってんの?」
ライアンの言葉に、龍は片目を開ける。
「退屈だ。ああ、退屈だ」
龍はジタバタ体をくねらせる。
ドウーン 向こうで大きな岩が落ちた。
「ああ、昔はよかったなあ。村を破壊し、兵士をぶっ飛ばし、家畜をたいらげ、女こどもの悲鳴を浴びる」
「またエリカにお仕置きされたいのか」
「されたい。すごくされたい」
はあー、ライアンはため息を吐いた。
「エリカは忙しいんだ。もうお前と遊んでるわけにもいかない。その代わり、ほら」
ライアンはフワッと白い毛布を龍の背中にかける。
「エリカの魔力をこめた羊毛で、エリカたちが編んだ毛布だ。これでゆっくり寝られるだろう?」
「エリカの魔力」
龍はトローンとした目で毛布にくるまりゴロゴロ転がる。
ガンッドンドン どこかで壁が崩れたようだ。
「これでよく眠れる。でもちょっと遊んで」
「仕方がない。ちょっとだけだぞ。王都まで一緒に飛んでやる。そしたら大人しく帰るんだぞ」
「わーい」
龍はウキウキしながらライアンを背に乗せると、あっと言う間に飛び立つ。
「エリカに会いにいくー」
龍はライアンを気にかけることなく、自由に飛んだ。グルグル回ったり、急降下を楽しんだり。それを目撃した人々は悲鳴を上げ、逃げ惑う。
「注目されてるー」
龍は嬉しそうに叫んだ。その途端、ブワーッと口から炎が出る。ライアンはペチンッと龍の首を叩く。
「はしゃぎすぎだ。もうすぐ王都に着く。行儀よくしないと、エリカに怒られるぞ」
「わーい」
王都をグルリと囲む城壁。上にビッシリと騎士が並んで槍を構えている。城壁の一番高い塔の上に、エリカが立っている。
龍はバッサバッサと羽をはためかせると、エリカの前に降り立った。ライアンはさっと飛び降りると、エリカの隣に立つ。
「もう、来ちゃダメって言ったじゃないの」
「だって、寂しい」
「また会いに行くから、ね。いい子で帰りなさい。人に迷惑をかけないのよ」
エリカが頭をなでると、龍は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「ネコみたい」
フフッとエリカが笑うと、龍は一層激しくゴロゴロ音を立てる。ネコというよりは、雷のような音が王都に響く。
龍はひとしきり甘えたあと、名残惜しそうに飛び去った。王都を静けさが包んだ。
***
王都が聖女エリカと龍のウワサで大騒ぎの中、また不穏な知らせが王都から届けられる。
『魔王の動きがおかしい。対応されたし』
「お前はギリギリまでくるなよ」
そう言って、ライアンは転移陣に乗った。シュワンっとライアンは消えた。
ライアンは各地の転移陣を使い、最後は馬に乗って魔王城まで駆けつけた。ライアンはカツカツと魔王城を歩く。もう何度も来た城だ。勝手知ったる親戚の家みたいなものだ。ライアンはささっと、簡易転移陣の布を足元に広げてから、魔王の前に歩いていく。
「おい、魔王。しばらくは休戦って約束だったじゃないか。何を企んでやがる」
「勇者ライアン、よく来たな。また手合わせでもするか」
禍々しい椅子に座った魔王が、嬉しそうに剣を手に取った。
「しねえよ。俺たちが戦ったら、外が大荒れになるだろう」
「つまんねえこと言うなよ。少しぐらいいいじゃないか。破壊は創造の源だろう」
魔王は立ち上がると、両腕を広げてライアンに笑顔を向ける。
「無茶言うなよ。人が家建て直すの、どれだけ大変だと思ってんだ」
「勝った方がエリカをモノにできるってのでどうだ」
魔王が人差し指を立てて、ライアンに向かって指を振る。
「そんなの、エリカが決めることだろう。エリカは物じゃないんだ」
「優等生な答えをありがとう。そんなだから、いつまでも友達以上、恋人未満なんだろ、お前ら」
魔王はフワリと空に浮かぶと、一回転。ライアンめがけて剣を振り下ろした。
ガインッ ライアンの剣が魔王のそれを受け止める。グラグラと、地面が揺れた。
魔王は楽しそうに剣を振る。ライアンが受け止めるたびに、地面がきしむ。
ライアンの顔に焦りが浮かんだ。そのとき、ペカーッと魔法陣が光る。
「くぅおらー、なにをやっとるんじゃお前ら。民家が崩壊しかけじゃねえか」
どっちが魔王かというような怒りの形相でエリカが現れる。
「聖女の聖水をくらえっ」
ビッシャア エリカが祈りを込めまくった大量の聖水。バケツいっぱい魔王にぶっかけた。
シュワシュワシュワ 魔王はみるみるうちにしぼんでいく。
そのとき、魔王の口から何やらフワフワしたものが飛び出して、エリカの口めがけて飛んでくる。
カキーン ライアンは剣の腹で打ち返した。
「油断もスキもねえ。エリカは俺が一生守る。お前は指一本触れるな」
「ええええええ。ドサクサの告白ー。キターー」
エリカは思わずライアンに抱きついた。
「おお、やっとか」
「ヘタレふたりがやっと」
続いて転移陣でやってきた、オットーとジョーが拳を打ち合わせる。
「私たち、幸せになります」
ライアンに抱きついたまま、エリカが高らかに宣言する。
「おうっ、見守ってやる」
オットーとジョーに見守られる中、エリカとライアンは初めてのキスをした。
キーーーン 魔王の魂はどこまでも飛んで行った。王国につかの間の平和が戻った。
聖女エリカと勇者ライアン。人々は、最強の男女が恋人同士になったことを喜んだ。
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