第7話 信仰の証Ⅲ
神からの啓示を受けた場面で、突然扉を開け放つという奇行に走ったヴィンセントに、セシリア―トを除いた全ての人間が呆気にとられた。
だがさすがは王。はっとしてすぐに厳しい目を向ける。
「エバンスの王子、ヴィンセント・ラファ・エバンスよ。何のつもりだ」
固く、責めるようなその口調にヴィンセントは肩を竦めて見せた。
「突然の無礼、お許しください陛下。しかし、どうもここは息苦しくて。このままでは俺もそちらの方々のように床に転がるはめになるかと、居ても立ってもいられませんでした」
苦しいところなどどこもないくせに、ヴィンセントは頭が痛いかのようにこめかみあたりをさすりながら言った。憂鬱そうな表情もまた絵になるところが憎らしい。
そこでようやく王は床で苦しそうに倒れている臣下に目を向けた。明らかに顔色が悪く、もはや立ち上がることができない者も数名いる。
「ちょっとどいて。陛下! 啓示の審議など後になさいませ」
そこに、凛とした良く通る女性の声が響いた。
ヴィンセントが扉を開け放ったことで中に入ってきたのは、白く長い服を着た小柄な女性。二十代半ばほどの若さだ。艶やかな黒髪は一つにまとめられ、腰に緑色の帯を緩く締め手には大きな薬箱を持っていた。きりりとした力強い瞳は何者にも屈しないという強い意志を感じる。
「ランリャ医師か」
女性に対して王がそう呼んだが、臣下の一人がカッと怒鳴った。
「ランリャ医師! 陛下に対して無礼だぞ。口を慎むん」
「黙れ。私は医師よ。目の前に苦しむ患者がいれば優先するのは当たり前。吠える暇があるなら出て行って。邪魔よ」
「なっ!」
ランリャはピンピンしている人間たちには目もくれず、床に倒れ込んでいる人の傍に素早く歩み寄った。どこにどんな異常が現れているのか、脈を見たり目を見たりとてきぱき診察を進める。その様子を見た王もこの場においての優先順位は何であるかを明確にすべく口を開く。
「神の啓示に関する審議は明日とする。まずは病人たちの治療を優先させよ。動ける者は病人たちをランリャ医師の近くへ運べ」
王の命令のもと、啓示にたいして騒いでいた者たちが渋々といった様子で動き始めた。まるで惜しい機会を逃した、そんな風に。セシリア―トもその隙に入口にいるヴィンセントのもとへ歩み寄る。気分の悪そうな振りはもちろんしたままで。
「ランリャ医師と言えば、この国で一、二を争うほど優秀な侍医の一人。これで安心だね」
こそりと耳打ちをしてきたヴィンセントに、セシリア―トは返事をする代わりにジロリと睨み返した。何が『安心だね』だ。床に転がる人間たちの安否などこれっぽっちも気にしていないくせに。
だが、セシリア―トはそれ以上の行動はぐっと我慢した。ヴィンセントからランリャ医師へと注目が集まっている今、下手に動いてまた注目が戻るのを避けるためだ。
「なにこれ」
「どうした、ランリャ医師」
数人を診たランリャがさっそく疑問を口にした。
「中毒症状と似ていますが、原因がわかりません。食中毒なら腹の痛みを訴えるはずですが、皆、痛みは胸あたりにあるようです。毒なら目や爪、皮膚に症状が現われますがそれでもない。遅効性のものなら症状が分かり辛くてもおかしくないですが、それならこんなに早く痛みを訴えるはずがない。妙だわ」
優秀な侍医と名高いランリャは厳しい表情で王の問いかけに答えた。応急処置を施すが、根本的な治療にはなっていないと顔をしかめる。
「陛下。仕方ありません。それは病気ではないのですから」
今まで黙っていた大神官が若干割り込むように、静かにそう言った。それにランリャがキッと鋭い視線を飛ばしたのは、セシリア―トの見間違いではないだろう。
「つまり其方が言っていた、神への感謝が足りないせいなのか?」
なんとも言えない表情の王に対して、大神官はゆっくりと頷く。
「ふっ」
そのやりとりに思わずセシリア―トは笑ってしまった。周りにはバレないようにすぐに平静を装う。隣にいるヴィンセントは気づいているだろうが今更だ。
「ならばこの者たちを助ける方法はないのか?」
「陛下。残念ですが《神》への信仰心が弱いことは罪なのです。その者たちの命運を握っているのは《神》であらせられる。わたしたちにできることはただ、待つことです。……医師にできることはせいぜい痛みを和らげることでしょう」
心苦しいとばかりに大神官はランリャをちらりと見た。しかし、言葉の端々にランリャのことを馬鹿にしているようなそんな雰囲気が伝わった。それだけでセシリア―トもヴィンセントも大神官とランリャ医師との間に何かしらのわだかまりがあるように察した。
大神官の言葉を聞き、王はここにいる全員に告げる。
「神喜の儀はこれにて終了とする。病人……いや、罪人たちはランリャ医師の指示に従い騎士たちが運べ。その他の者は直ちに部屋へ戻るのだ。……エバンスの王子、ヴィンセントの勝手な行動については不問とする」
「陛下っ」
「感謝いたします、陛下」
ヴィンセントへの処遇について異を唱えようとした臣下を、王は手で制した。これ以上、事を荒立てる気はないのだろう。
悔しそうに顔をしかめるランリャは王の命令に従い、騎士たちに病人を運ぶように指示した。それを横目に、セシリア―トは目立たぬようにこっそりと神殿から出たのだった。
セシリア―トとヴィンセントは人の目につかないように神殿から遠ざかり、塔の方へと向かっていた。塔がある旧神殿跡を囲うように生える木々たちの間に入ってから、セシリア―トはぴたりと足を止めた。いつまで、どこまで、ついてくるのかわからないヴィンセントも同じように足を止める。
「はあ、あなたの提案に乗ったばかりにとんだ目に合った」
「それは申し訳ない。けれど興味深いものは見れたね。俺が期待していたものではなかったけど」
含みを持たせた言い方にセシリア―トはうんざりとする。期待していたもの、きっとそれは聖石のことだろう。神殿に入る直前であんな不意打ちを食らわせるなんて、油断も隙もあったものではない。
「ところで、いつまでついてくるつもりなんだ」
すでに夜空には月が輝き、寝る準備を始めても良いくらいの時間帯。ヴィンセントも自分の部屋へ戻るべきだ。しかしいつまでもついてくる様子に、このままでは塔まで来るなと察してセシリア―トは先手を打った。早く帰れと。
だがヴィンセントは相変わらず飄々と答える。
「さっきの仕掛けの真相を聞かないと、気になって眠れないよ。言ったよね、君。『馬鹿げた茶番』だって」
「ちっ」
余計なことを口走ってしまったとセシリア―トは大きく舌打ちをする。なぜかヴィンセントの前では失態を犯してばかりだ。
少し強い生温い風が木々の間を通り抜けていく。それを全身で感じて、胸に溜め込んでいた嫌な空気を大きく吐き出した。
「神殿に入る前に何か口にしたか?」
「……神殿に行く前、神喜の儀用の食事だって運ばれてきたものがあったけど、食べなかったよ。最近は自分で作ったものを君と一緒に食べるから。それが何?」
突拍子もないような質問にヴィンセントは素直に答えた。するとセシリア―トは無言で近くの草むらを漁り始める。それをヴィンセントが黙って見守っていると、やがて小さな薄桃色の花弁がついた花を二輪手に持って振り向いた。
「あれの原因は、れっきとした毒だ」
「毒?」
「――その話、私にも詳しく聞かせて」
突然、ヴィンセントの背後で声がした。
セシリア―トが僅かに驚いて見ると、そこにはランリャ医師がいた。ゆっくりと背後を振り返るヴィンセントは、きっとランリャ医師がいることにすでに気づいていたのだろう。
口を開きかけたセシリア―トだが、警戒するように黙り込んだ。それに気づいたのか、ランリャは一歩前に出て自信たっぷりに言う。
「私は医師よ。苦しむ患者がいるなら治療をするのが義務なの。それ以外に興味なんてない。あんたが誰でなぜ医術の心得があるのかなんてどうでもいい。ただ、原因を知りたいだけよ」
「…………」
「……俺とランリャ医師はたまたま誰かの独り言を聞いてしまった」
ランリャのフォローをするかのようにヴィンセントはどこでもない空間を見つめて言った。同意するかのようにランリャも頷く。
「……はあ」
扱いが面倒そうな人間がもう一人増えた。
原因を聞き出すまで永遠と追いかけまわされそうだ。こちらに実害がないのであればさらけ出してしまってもいいかもしれない。知識なんて減るものでもないのだから。そんな風に自分に言い聞かせるようにセシリア―トは諦めて教える。
「あれは、単純な“食べ合わせ”の問題だ」
「食べ合わせ? 城内の食事は医師たちの了承のもと出されるわ。そんなのありえない」
「全てが口から入るわけじゃない。一つは直前に出された食事の中に。もう一つは香りだ」
ヴィンセントが何かに気づいたように「あ!」と声をあげた。
「あの神殿内の香りか。だから扉を開けろと」
「ああ」
「待って。神殿内のあの香りはインカの花を乾燥させて香として炊きしめているだけよ。相性が悪い食べ物なんてないし、瞑想時に流用されているもの。むしろ心を落ち着かせる効果はあっても組み合わせで毒を生成するなんて聞いたことないわ」
インカという木はウィンザー王国内にしか生息していない植物で、その花から抽出される液は紫色で心を落ち着かせる効果がある。そのことから別名、紫心木と呼ばれ、国を代表する特産物でもある。神殿内では蝋燭の中にもその液を含ませることで紫色の火が灯っている。実に神秘的で幻想的な光景から、他国との交渉材料になることも多々あるのだ。
故に、インカは国内でも研究し尽くされている植物。ランリャが疑問を口にするのも当然のことだ。だが、それは一般的な話。
「途中、紫灯が赤色に変わっただろう。あれが今回の仕掛けだ」
「確かに変わってたね。何の演出だろうとは思ってた」
「もうっ! もったいぶらないでさっさと原因を教えなさいよ」
セシリア―トは手の中で摘んだばかりの花を遊ばせながら一気に答えた。
「インカの花ではなく、蕾の状態で抽出した液は燃やすと紫色よりも赤色の方が強く現れる。そしてザガルの実と合わさることで毒を生成するんだ。今回はそれを利用したというだけ。……単純で、愚かで、哀れな奴ら」
「そんな特性があるなんて初耳よ」
にわかには信じられないといった表情を浮かべるランリャに、セシリア―トは当然だろうという目を向けて言う。
「古代レヤ大国時代に書かれた古書にしか載っていない毒の生成法だからな。それに抽出手順はとても複雑で、少しでも間違えればこの特性は現れない。偶然で見つけられる方法なんかじゃない」
「つまり、誰かが故意的にやったってことだね。誰だろう。何のために?」
「今はそんなのどうでもいいわ! あんた、解毒薬の調合は知ってるの?」
ヴィンセントの言葉を一刀両断して、ランリャは己の義務を果たすべくセシリア―トを急かした。視線は手元の花。ランリャ自身、薄々勘づいているのだろう。だからセシリア―トは無言で手の中にある桃色の花を差し出す。
「なんてことないどこにでも咲いているレストの花。だが、忘れ去られた万病の解毒薬。花弁だけをインカの花と一緒に煮詰めて湯に溶き飲ませるんだ。ただし、レストの花は摘んで三十分以内のものでないと効果がない。あとはその人間の気力次第だ」
「物は試しね」
そう言ってランリャは素早くレストの花を受け取った。初めに言った通り、彼女はその他のことは何も聞かずくるりと体の向きを城の方へと向けた。去り際に、セシリア―トへ向けて言う。
「独り言に感謝なんか述べないわ。だからこれは私の独り言。……白くて細い身体に爪の色は若干白濁している。目の下の隈は黒色よりも紫色に近い。髪の毛に艶はなく、きっと最近は眠りも深く誰かに呼ばれても気づかない。日光を浴びても食事の量を増やしてもそのままじゃ意味ないわ。摂取量をもっと調節しなさい。早死にするわよ」
その言葉にばっと振り向いたヴィンセントが厳しい目を向けてきた。改めて顔色や爪の色を確認して吐き出すように呟く。
「……愚かではないだろうから気にしてなかったけど、毛色の違う馬鹿だったのか君」
「おい。あなたも同じことをしているんだろう」
「見た目に現れるほど多量ではないよ。それで倒れたら元も子もないじゃないか。健康な状態に戻るまでは禁止だよ」
すでにいなくなったランリャの言葉で、ヴィンセントは察したのだ。セシリア―トが一体何をどのくらい日常的に摂取していたのか。それは毒殺という危険が常に付きまとう王族という同じ立場だからこそ気づいたことでもあるだろう。
ここ数日何度も顔を合わせた中では珍しいほど、真剣な顔つきのヴィンセントに対してセシリア―トは手をひらひらさせて返事の代わりにした。
だが、真剣に取り合おうとしない態度に何を思ったのかヴィンセントがぐいと手首を掴んで引き寄せた。突然のことにセシリア―トは軽々ヴィンセントの腕の中へ。
そして頭上から、
「俺、錆びた折れかけの剣なんていらないよ」
恐ろしく冷たい声が降り注いだ。