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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第6話 信仰の証Ⅱ


 スパイシーでどこか艶めかしさのある香りが鼻をくすぐった。

 煙たいほどではないが、その香りだけでまるでこの空間が別世界であるかのように思わせるそんな不思議な感覚に陥る。神殿内は左右にあるいくつもの細長い窓と中央にある色ガラスから入る月明かりに照らされ、至る所に紫灯のほのかな薄紫色の明かりが揺らめいていた。


 百人ほどが入れる空間に、拝礼用の長椅子が左右に七列。前の三列は空け、すでに臣下たちが座って王と王妃、第二王子の到着を待っていた。

 数人の神官や巫女たちが壁際に佇み、大神官とその補佐の神官は入口から見て最奥の場所で、儀式の準備を整えている。

 そして、大神官の背には人の頭一つ分ほどの白濁した翡翠色のような玉が黄金の燭台に置かれていた。一目見て誰もが察するだろう。あれが、聖石せいせきだと。


 ヴィンセントは最後列の長椅子に座った。セシリア―トもその隣になぜか腰を下ろしている。普段であれば、ただの侍従が王族や身分の高い人間と同じ椅子に座るなどありえないのだが、ここは神殿。さらに今日は神喜しんきの儀であり、誰もが平等に神に感謝をする時だ。身分など関係ないという神殿の意図だろう。


 臣下たちの好奇の視線をものともせず、興味津々でヴィンセントは話しかけてきた。

 もちろん声の大きさは抑えて。前との幅は十分だがさすがに厳かな雰囲気の中、いつも通りに会話はできない。


「前にあるアレが聖石なのだろうね。今日の儀式でも使うのかな」

「使わない。神喜の儀は大神官の聖詞せいしの間、王族一人一人が礼拝を行うだけだ。その他の参列者は王族のあとに順に大神官へ礼拝を行う」

「さすが。よく知ってるね」


 《神》に直接、礼拝などができるのは王族のみ。その他の人間は《神》の代理である大神官へするのが決まりだ。

 国の行事についての知識や基本的な礼儀作法は乳母のエマにきっちりと仕込まれている。セシリア―トにとって今すぐに王族として作法を披露しろといわれてもなんなくこなせるが、そんな日など一生来ないだろう。


 そうこうしているうちに、王と王妃、第二王子が神殿に到着した。

 神殿内がより一層、静まり返る。


「どうだい、久しぶりの再会は……ってあれ、再会なのか? それとも初めて?」


 デリカシーの欠片もないヴィンセントの言葉は無視して、不自然にならないように前を向き視線を下げた。正直なところ、王妃と第二王子は見たこともなければ容姿についての噂話も耳にしたことがないので今日が初めて姿を見ることになる。

 三人が椅子に座ると、大神官が静かに口を開いた。


「それでは、これより神喜の儀を行います。わたしが《神》へと通ずる道を開くために聖詞を述べます。その間、皆さまは神喜の礼拝を行ってください」


 前進をすっぽりと覆うようなデザインの藍色の神官服に、金色の刺繍、金色のボタン、金色のラインが入った丸くて独特な形をした帽子を被っているのが大神官だ。黒髪に黒色の瞳は神官のステータスとされているが、それは過去の大神官の容姿が偶然それに近かったからだ。四十代半ばほどで、柔和な顔立ちの大神官は聖石を崇めるように力強く安定的に聖詞を紡ぎ始めた。


 単調とした聖詞を聴きながら、王が立ち上がり大神官の前へ出た。セシリア―トと同じ薄紫色の髪は短く整えられて、片耳には瞳の色と同じ紅色で大粒の宝石と金色の糸で編まれた飾りがついた耳飾りが揺れている。その後ろ姿をちらりと見ただけで、セシリア―トは視線を斜め下の床へと固定した。

 王の礼拝が無事に終わりその後は王妃、そして八歳の第二王子が大神官の前へ出た。

 

 ――が、突如、紫灯の明かりが消えた。紫色に照らされていた神殿内が暗闇に包まれる。


「きゃあっ」

「な、なんだっ!?」

「陛下っ!」


 突然の暗転に目が反応せず、何も見えなくなる。

 神殿内は一瞬にして混乱に陥った。辛うじて窓から月明かりがさしこむだけで、外に待機していた騎士たちが神殿内に立ち入ろうとする気配がした。

 しかし、次の瞬間にはあっという間に神殿内が真っ赤に染まった。

 次々に起こる予想外の出来事に、呆気にとられる者がほとんどの中、一部の人間が動いた。


「何事だ!」

「陛下をお守りしろーっ!」


 臣下の一人が王を守るように騎士たちに叫んだ。

 しかし、なぜが騎士たちは神殿に入ってこない。

 厳かだった儀式は一瞬で物々しい雰囲気へと一変した。

 席を立ち王や第二王子、王妃のもとへ駆け寄るのは侍女や侍従たちだけで、臣下たちは恐れのあまり一歩も動けずにその場に蹲っている者もいた。


 そんな見事なまでに滑稽な光景を、セシリア―トは至って冷静に眺めていた。


「――お静かにっ!」


 慌てふためく臣下たちに大神官の鋭い制止が飛んだ。

 穏やかそうに見えた大神官にしては驚くほどの大声だ。セシリア―トはその声の大きさだけで肩をびくりと揺らしてしまった。

 大神官の前では尻餅をついて床に転がる第二王子がいる。薄桃色の柔らかそうなくせ毛の髪は現王妃によく似ている。慌てふためいていた臣下たちは大神官の制止で面白いほどにぴたりと動きを止めていた。

 そして大神官がまるで何事もなかったかのように静かに皆に言い聞かせる。


「落ち着いてください。これはまさに神からの啓示です。わたしの聖詞により神のお力が目に見える形で表れたのです」

「……神からの啓示?」


 黙って様子を見ていたヴィンセントが隣で呟いた。臣下たちのように慌てふためく()()だけでもすべきではないのかとヴィンセントに対してセシリア―トは思った。だが、自分自身、平然と座ったままのことを思い出して諦めた。今更やる方が不自然だ。

 大神官の言葉に、神殿内は違う種類のざわつきに包まれる。侍従に守られていた王がおもむろに立ち上がり、大神官の前へ歩み出て第二王子を起こした。王自ら、わざわざ手を貸して。


「続けよ」

「はい、陛下。その前に、侍医を呼んでおいた方が良いでしょう。神の力に直接触れた者の中に、神への感謝の意が足りない者がいれば苦しむことになるでしょうから。もちろん、この中にそのような者がいないことを願っておりますが」


 一瞬訝しんだ王だが、すぐに頷いて傍にいた侍従に侍医を呼んでくるように言った。


「それでは、我らが主の啓示を大神官であるわたしがお伝えします」


 大神官は目を瞑り、まるで何かに祈るように啓示を述べた。


『赤の(ともしび)、それは人の生き血。天に昇る太陽を赤き若人が食い千切るときは近い』


 神殿内が赤く染めあがっているのは、紫灯が赤色の灯りへと変わったから。それがより一層

大神官の述べる神の啓示に拍車をかけていた。

 静まり返った臣下たちは息を呑んでお互いの顔を見合わせた。そしてはっとしたように口々に言う。


「赤き若人とは、もしや!」

「なんておぞましいっ」

「これは、きっと神がお怒りなんだっ。まだアレが生きているからっ」


 セシリア―トは隣からの窺うような視線を無視して、ただ状況を静観する。


「大神官よ、その意味を申してみよ」


 第二王子を王妃に任せ、王は大神官に問いかけた。

 《神》の信仰で成り立つウィンザー王国では、王ですら神殿、特に大神官の言葉は《神》の言葉と同義。簡単に聞き流せるものではない。自身の子供に関することですら《神》の言葉に従うのだから、なおさらだ。


「お答えいたします。天に昇る太陽、それはすなわちこのウィンザー王国の王、陛下のことでございます。そして赤き若人、それは赤い瞳を持つうら若き男児。――つまり、塔にいるあの者です」

「……それで」

「包み隠さずお伝えいたします。塔のあの者が陛下を害する日が近いと」


 決定的なその言葉に神殿内はざわつきに包まれた。王妃は「まあ!」と驚きの声をあげ、第二王子をしっかりと腕の中に抱く。周りの侍女たちはぶるぶると震えて王妃と第二王子を守るように囲っていた。

 皆が王の言葉を待っていると、突然臣下の一人がうめき声を上げた。


「うっ、うぁ」


 そのままその場に倒れ込む。

 そして一人、二人と次々に苦しそうにもがきながら床に伏していく。その光景にセシリア―トは目を細めた。


「何が……」


 隣にいるヴィンセントが状況を掴めず困惑している。何かの襲撃ならすぐに体が動くのだろうが、《神》の力などという未知のものへはすぐに対応できないらしい。

 だがその異様な光景を目のあたりにして、セシリア―トもなぜここにいる全ての人間ではなく、数人の臣下たちだけが倒れていくのか見当がつかずにいた。


 大神官がはじめに言った『神への感謝が足りない者がいれば苦しむことになる』なんて馬鹿げた言葉は信じていない。そうであったとすれば、真っ先に隣にいる腹黒い金髪碧眼の男が苦しむはずなのだから。


 ちらりと隣に視線だけを送ると、それに気づいたヴィンセントがこてんと首を傾げた。殴りたい。とてつもなく殴りたい。こんな面倒ごとによくも巻き込んでくれたな、そんな気持ちでひとまずセシリア―トはヴィンセントを睨んだ。


 すると、焦ったように臣下の一人が王の前へと出て声をあげた。


「陛下! 発言をお許しください」

「許可する」

「感謝いたします。此度の啓示、無視することはできません。塔のあの忌み子を処刑なさいませ! もとより八年前、アイネリオ様がお生まれになったときに死ぬべき存在だったのです! 陛下が害されるなど、つまりそれは国の存続に関わりますぞ!」


 その発言に、他の臣下たちも続いて早く処刑しろだの、神の啓示を蔑ろにしてはいけないだのとはやし立てる。


「……こいつらは何をやっているんだ」


 ぽつりとセシリア―トが呟いた。

 きっと隣にいるヴィンセントにしか聞こえないくらいの大きさで。

 啓示に対しての審議をやるより、今ここでやるべきことがあるだろう。自分たちの隣に転がる息も絶え絶えの人間たちが目に入らないのか。

 セシリア―トの中に、ふつふつと純粋な怒りが湧いてくる。隣に座るヴィンセントは、名目上はこの国にとってただの客人。傍観者に徹していても違和感はない。だが、それでもヴィンセントを含め、ここにいる他の人間たちはまず先にやることがあるだろう。人として、一体何を考えているのか。


 高ぶりつつある感情を抑えるため、セシリア―トは大きく深呼吸をして――ぴたりと動きを止めた。


「……ああ、そうか」


 神殿内の香りが、入ってきたときとほのかに変わっていることに気づいた。

 隣にいるヴィンセントをつつく。


「ん?」

「扉を開けに行け」

「え?」

「今すぐに。馬鹿げた茶番は終わりだ」


 神殿で何をやろうが知ったことではない。再び予言や啓示を受けようがどうでもいい。だが、くだらないことに巻き込まれるのは御免だ。さっさとここから抜け出したい。


「さん、に」

「うわ、強引」

「――いちっ!」


 その合図で、ヴィンセントは後ろの扉に向かって駆けだした。同時にセシリア―トは倒れこむ振りをして注目を浴びないように床に膝をつけ、体を縮める。

 突然駆けだしたヴィンセントにすぐに反応できる者はいない。扉の前になぜか立っていた神官数名を軽々押しのけ、ヴィンセントは勢いよく扉を開け放った。


 ばんっ!

 その音と同時に外から吹き込んだ清々しい風に神殿内の空気は一気に変わった。皆が一斉に音と風の出所へ目を向ける。そして入口では、ヴィンセントがこちらを向いてにこりと微笑んでいた。


「皆さん、一旦落ち着いたらどうですか? 今宵は満月。月光浴でもして気分を落ち着かせるのも良いですね」


 黄金のベールのように降り注ぐ月明かりを背に、ヴィンセントの金髪は輝くことしか知らないかのように、美しく黄金に輝いていた。


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