第4話 塔の日常と侵入者Ⅳ
この世をひっくり返さないか。
セシリア―トはヴィンセントに言われた言葉を頭の中で五回ほど繰り返して、やっと自分の中で見つけた答えを口にした。
「冗談か」
「違うよ」
「…………」
なんとか自分の中で納得する答えを見つけたというのに、ヴィンセントは間髪入れずにそれを否定した。会って二日目の相手に何を言い出すのか、この男は。そんな気持ちでセシリア―トはヴィンセントを睨みつける。
「わー、口にしなくてもその視線だけで何を言いたいのかはわかるな。『一体、何を言い出してるんだこいつは』だろう?」
返事はもちろん頷くことさえしないセシリア―トに、ヴィンセントは変わらない態度でづけづけと続ける。
「君さ、不満はないのかい。本来なら第一王子として、さらには王位継承者として大切に育てられているはずだったのに、こんな幽閉生活を送っていることに」
「……」
「しかも君を縛る“予言”は所詮、人の口から出てきたもの。例え、それが真実か嘘かなんて誰にも証明できない。言ったもの勝ちってやつだな」
「……」
セシリア―トが生まれる前に下された残酷な予言。
――生まれてくる御子は常に血の香りを漂わせ死を招く禍となり、この国を滅ぼすだろう。
何の躊躇いもなくセシリア―トに近づくヴィンセントは、もしかしたら予言のことを知らないのではないか。ほんの少しそんな考えが思い浮かんでいたが、どうやら違ったようだ。何を考えているかさっぱりわからない隣国の人質王子はセシリア―トに関する予言、そしてそれによるセシリア―トの境遇をしっかりと理解していた。
早々にヴィンセントから視線を外したセシリア―トはただじっと何かに耐えるように地面を見つめた。そんな様子をちらりとも見ずにヴィンセントはまるで攻撃するかのように続ける。
「この国がかつて《神の御業》を独占した古代レヤ大国の血筋を引く者たちで成り立っているとしても、果たして本当に“予言”を下した大神官とやらにその力はあったのか。確認しようにもすでに死んでいるしな」
「……」
やれやれと頭を振ったヴィンセントは立ち上がり、見下すようにセシリア―トを見る。燦燦と輝く太陽を背に、長身の影は俯くセシリア―トをすっぽりと覆うように落ちた。
「もう一度聞く、セシリア―ト。君は、予言という不確かなもので他人に人生を決められたことに不満はないのか。大神官やそれを強いる父親たちが憎くはないのか」
「だまれっ!」
ついにセシリア―トは声を上げた。
セシリア―ト自身についてだけでなく、ウィンザー王国で王の次に力を持つ大神官、さらには王のことまで侮辱するような発言をするなど、愚かすぎる。どこに誰の目と耳があるのかわからないのに、だ。
セシリア―トはおもむろに立ち上がり、逆光になったヴィンセントの顔を見上げた。立って並んでもこれだけ身長差があることに苛立ちを覚えながら叫ぶ。
「不満? はは、笑わせる。不満があったとしてどこにぶつけるんだ? ここにあるのは冷たい石と日を浴び雨に打たれる草花だけ。憎しみ? 大神官や陛下を憎んで何になる? 私が声を上げればあげるだけ自分の首を絞めることになるんだ。8年前、第二王子が生まれたのに、いまだに生きている私はまさに薄氷を踏むよりも危険な状況にいる。いつ処刑されるかわからないのに、ふざけたことを言うな!」
まくし立てるように一気に言葉を紡いだせいで、セシリア―トは肩で息をしていた。上がった息を整えるように深く息を吸おうとするがなかなかうまくいかずにただ顔をしかめるだけ。
その一方、内心で自分がここまで怒れるのかと驚いてもいた。幼い頃はエマに駄々をこねたことも数回あったが、すぐに自分の置かれている状況を理解しあらゆる感情は自然と死んでいった。怒りで肩がぶるぶると震え、無意識に力強く拳を握っているなど初めてだ。
黙ったヴィンセントに対して、セシリア―トはこれ以上踏み込むなと忠告をする。
「……ただの好奇心ならここまでにしておけ。縁もゆかりもない国で、誰かの巻き添えで死にたくはないだろう」
自分を守るために死んだ母も、毒を盛られて死んだ乳母のエマも、ただ一心にセシリア―トの穏やかな生活を望んでいた。そしてそれはあと5か月で手に入るのだ。5か月後、セシリア―トの16歳の誕生日を迎えた日、この王城から抜け出す。
ここではないどこかで穏やかな人生を歩むことだけを希望に耐えてきたのに、世をひっくり返すなど、そんなバカげた話に関わる理由などセシリア―トにはない。
背を向け塔へ戻ろうと視線を外したその時、ヴィンセントの口角がわずかに上がった、そんな気がした。
「俺でいいじゃないか」
「……は?」
脈絡のない言葉にセシリア―トは思わず聞き返してしまった。自分の行動に舌打ちする間もなく、ヴィンセントはしっかりとセシリア―トの瞳を見据えて言う。
「不満をぶつける先。不満だけじゃない、今みたいに怒りも。悲しみも喜びも憎しみだって、全ての感情をこれから俺にぶつければいい。俺は君の全てを受けとめる受け皿となろう」
「何を……言って、いるんだ」
なぜか背中がひやりとした。
ヴィンセントの瞳の奥から、孕んだ狂気がほんの少し顔を見せたせいだろうか。
「君が殺してしまった感情が俺とこうやって関わることで、また息を吹き返しつつある。自分でもわかっただろう? 今、まさに」
「そ、れは」
「それに、君はただ死を待っているだけかと思っていたけど違うようだ。待っているのは死ではなく、ここから抜け出す機会。それをただじっと待ってる、15年も」
どくりと心臓が鼓動を打った。
なぜこの青年はこうも容易く無神経に人の心をかき乱せるのか。金縛りにでもあったかのようにセシリア―トは一歩も動けずヴィンセントの言葉を半ば茫然と聞く。
「だが、果たしてここから抜け出した先は君にとって良い環境だろうか。穏やかな人生を送れる場所なんだろうか」
「……ここは地獄だ。ここ以外ならどんな場所でも私にとって穏やかな人生を送れる」
「違う。断言できるよ。ここから抜け出したとしても君に穏やかな人生はない」
「っ!」
一瞬にして頭に血が上った。何を根拠に!
そう叫びたかったのに喉がカラカラに乾いて声が出せなかった。その代わり、頬を生温い涙が伝った。いつぶりの涙か、そんなこともう思い出せもしない。
それでもヴィンセントは言葉の攻撃をやめない。
「なぜなら、君という人柱でこの国は支えられているから」
「……やめろ」
「第二王子派と民の不満のはけ口とするため君を生かしている。それなのに易々と王と大神官が君を手放すと?」
「やめろ」
「君は“普通”を知らない。ここから抜け出したとしても普通で穏やかな生活なんてできないよ。国中全てが敵なのにどうやって身を隠しながら逃げる? それに、王家の特徴である髪の毛の色は隠せても……その瞳は無理だ。絶対に」
「やめろッ!」
燃えるように赤い紅色の瞳がより一層、ぎらついた。
ヴィンセントの言葉に堪らず頭を振って、空を仰ぐ。嫌なほどこの青年は他国であるウィンザー王国の情勢をわかっている。国内に間者がいてもなんら驚かないくらいだ。だがそれ以上にヴィンセントは聡明で陰険で、有能すぎる人物だとわかってしまった。そしてそれが理由で兄弟に疎まれ人質としてここにいるのだということも。
セシリア―トは大きく息を吸った。
「あなたは、私にどうしてほしいんだ」
「言っただろう。『この世をひっくり返さないか』と」
「私にそんな力はない」
「使い方を知らないだけさ。……いや、もしかすると使わないようにしているのか」
「あなたの目は節穴だ」
「残念。これでも人を見る目はあるんだ。特に人の感情の機微には敏感だよ」
ならば今、目の前の人間が抱く感情をしっかりと把握してここから立ち去れ!
そんな言葉が喉まで出かかってセシリア―トは踏ん張った。いちいちヴィンセントの言葉に反応していては話が進まないことはすでに経験済みだ。
セシリア―トは心を落ち着かせるように深く息を吸ってはっきりと言葉を紡ぐ。
「あなたは先ほど言ったな。『予言によって決められた人生に不満はないのか』と。いいだろう、答えてやる。あるさ! あるに決まってる! なぜ私なんだ、なぜこんな人生なんだ。そう何度も思った。けれど、だからこそ予言を現実にはしたくない。あの予言は正しかったのだと、証明したくなどない! 今ここであなたの言葉に唆され、私が動いたらどうなる? まさに予言の通りになるだろう。そんなの滑稽すぎる」
自分自身を嘲笑うかのようにセシリア―トは顔を歪めた。
胸の内に秘めていた言葉を吐き出しながら静かに涙を流す。ほぼ初対面の相手にここまで感情的になるなど悔しい気持ちでいっぱいだが、セシリア―トにとってヴィンセントの言葉に乗ることの方が何百倍も愚かな行動だ。
すると突然、胡散臭い微笑を浮かべていたヴィンセントの顔から表情が消えた。氷のように冷たく氷柱のように鋭い視線がセシリア―トを捉える。
「セシリア―ト、君は臆病で愚か者だね。俺、見誤ったかな」
「好きに言えばいい」
「そしてあまりにも弱い。自分を守ることしか頭にない。人の死の上でしか生きることができないクズだ」
「……なに?」
「君のお母上の死も、乳母の死もただの無駄死にのようだ。もしかして、君の趣味は命を弄ぶこ――」
ぱんっ!
セシリア―トの右手がヴィンセントの頬を容赦なく叩いた。綺麗に整っていたヴィンセントの金髪が少し乱れる。
「はぁっ、はぁっ……。無礼にもほどがある。言葉に気をつけろ」
怒りに燃える紅色の瞳のセシリア―トに対して、腰に手を当てもう片方の手で雑に髪をかき分けたヴィンセントは、「はははっ!」と仰々しく笑った。
「セシリア―ト、状況は刻々と変わるものだ。君に望まれていた君だけの『穏やかな人生』はもうこの状況下では無理なんだよ。いつまで過去に囚われ、死んだ人間に縋っているんだ。自分自身でこれからを考えられない人間に一体、何が成し遂げられるのか。目を覚ませっ!」
決して大きくはない声だが、力強く鋭いヴィンセントの言葉はセシリア―トに深く突き刺さった。びくりと体を震わせたセシリア―トの瞳からは怒りの色が消えている。
「……縋ってなど」
「いない? ならなぜ、君のこれからの選択肢が『穏やかな生活』しかないんだ。やりたいことは? 学びたいことは? 行ってみたい場所は? なぜ自分の意見がないんだ」
セシリア―トにとって生き残ることで精一杯の毎日で、それ以上を望む余裕なんてなかった。ヴィンセントが言う、自分の将来を思い描くことなんて夢のまた夢だ。そう思うセシリア―トは苛立たし気に口を開いた。
「生きることで精一杯の私にそんな余裕があるとでも? やはり、あなたになどわかるはずがないんだ」
「わかっていないのは君の方だ、セシリア―ト。『穏やかな生活』など人生の目的にはならない。むしろここから抜けだしたあと、君の人生はもっと虚しいものになるだろう」
「そんなはずがっ」
「あるよ。なぜなら、君の望む『穏やかな生活』はここでの幽閉生活で支えられているのだから。空想に全てを託す君は、自分が如何に不安定であるかわかっていないだろう? 目を覚ませと言ったのはそういうことさ。セシリア―ト、『自分の目的』を持つんだ。人が言う『正しい道』など、所詮、生から死までを決められた家畜と変わらない。正しい道を探して歩むのではなく、自分が選んだ道が正しい道だと皆に知らしめるんだ。それでやっと君は自分の人生を歩んでいることになる」
ただ冷たく鋭いだけでなはない。セシリア―トの中に何かを見出したような、何かを期待しているようなそんなヴィンセントの視線に居心地の悪さを感じた。しかしそれ以上にセシリア―トは、もうこれ以上、ただヴィンセントの言葉を聞き流し、関わるなと拒絶することができなくなっていた。
いつの間にか見苦しく流れていた涙は止まり、怒りのあまり握りしめていた拳からは力が抜けていた。
そんなセシリア―トの変化に当たり前のように気づいているヴィンセントは穏やかに言う。
「セシリア―ト、もう一度言うよ。予言など所詮、人の口から出てきたもの。しかもこの国が信じる大神官も信仰もこの国限定だということを覚えておくといい。ここで問題だ。とても簡単な問題。……俺はどこの国の誰でしょう?」
「……西と中央にまたがる大国、エバンス王国の第三王子ヴィンセント・ラファ・エバンス」
仰々しく「おお、正解! さすが!」と言ったヴィンセントにセシリア―トは大きく舌打ちをする。だが、相手が何を意味して言っているのかわかり、しかもそれをすでに受け入れている自分がいてさらに苛立った。予言などただの戯言で、一歩外にでれば何の意味もないものなのだと。セシリア―トを硬く縛る鎖を壊す剣は、自分自身が持っているのだと。
頭の中で何かがガンガンと鳴り響いている。それが危険を知らせる音なのか、歓喜の叫びなのか、セシリア―トは知りたくもない。
力を抜いた両腕がだらんと両脇にぶら下がった。
「私が『自分の目的』を持つことと、あなたが成し遂げたい望みに一体どんな関係があると?」
今までの話を聞いて、いまだ納得できず理解もできない疑問をセシリア―トはぶつけた。すると、整ったその顔を最大限活かしてヴィンセントは朗らかに言った。
「君には俺が必要で、俺には君が必要。ただ、それだけだよ。俺は君のための受け皿となり、君は俺のための剣となれ」
「……私という剣で何をしたいんだ。……いや、いい。何度も聞いたな」
愚問だったとセシリア―トは自分の言葉を自分で遮った。
「さあ、今度こそ答えを聞こうか。セシリア―ト」
にこりと笑ったヴィンセントを見てから、清々しいほどに雲1つない空を仰いだ。そして再びヴィンセントに視線を戻してはっきりと力強くセシリア―トは言った。
「いいだろう。私があなたの剣となってやる! だが、私の意に反することを強制したその時、私は容赦なくあなたを殺してやる」
「もちろん、君の望むままに」
到底仲間同士とは思えないセシリア―トの視線と言葉を、ヴィンセントは言葉通り何ともない表情で受け止めた。