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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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プロローグ 死の始まり

【王国滅亡編】

第1章


 乳母のエマには読むことができない古書をセシリア―トはいつものように読み漁っていた。誰も寄り付かない旧神殿跡に佇む塔。苔の生えた冷たい石造りに隙間風が奇妙な音を奏でている場所。ここには二人しかいない。生まれた瞬間から処刑を待つだけのセシリア―トにとって、とても穏やかな時間と空間だ。


 本を読んでいたセシリア―トの顔に、さらりと紫水色の髪がかかった。それを青白い自身の手で耳にかけた。エマがいる手前、鬱陶しい髪に舌打ちしたい気持ちをぐっと我慢する。


 この国の王であり父親であるらしい男の紫水色の髪に赤茶色の瞳を受け継いだ自分の容姿が好きではなかった。どうせなら死んだ母親に似て美しい深緑の髪色であれば良かったのにと、願わずにはいられない。


「ねえ、エマ。髪の色や瞳の色はそんなにこの国では重要なのだろうか」


 床に寝そべって本を読んでいるセシリア―トは、椅子に座って破れた服を縫っていたエマにそう問いかけた。すると、唐突な質問にエマは変わらず穏やかに答える。


「そうですね、セシリア―ト王子様。王族の紫水色は覇者の証、神殿の黒髪は()(わざ)の通行証。この国ウィンザー王国の根幹である《神》の信仰によると、そうなっています」

「『なっています』って……エマは信じていないんだね。《神》の信仰も、《神の御業》も」


 太古の昔にあった人知の及ばぬ力《神の御業》。そして《神》の信仰。誰もが信じるそれをエマは信じていなかった。

 苦笑しながらもセシリア―トは本から視線を外さずにエマの言葉を聞く。


「あなた様に下された()()()()が真っ赤な嘘だと知っている以上、仕方ありません。今や神殿は国の根幹に深く根付いてしまった権力の奴隷。腐った巨木です」

「嘘じゃないよ、エマ」

「はい?」


 縫物が丁度終わったタイミングで、意味深なことを言ったセシリア―トに、エマは怪訝な視線を投げかけた。それを後頭部で受けながら、悲しくも逃れられない現実をセシリア―トは淡々と言う。


「私が生まれた瞬間、母上が死んだ」

「……王妃様の死はあなたをお守りするためでした。それをあなた様が悔やんではいけません。それに私は生きています。あなたのお傍に七年おります。しかし、死んでなどいないでしょう。つまり、『死を招く(わざわい)』などという予言は真っ赤な嘘です」

「私が王子などと偽らなければ、潔く王女として死んでいれば、母上は死ななかった。また二人目の子供でも生んでいれば良かったのに」


 自嘲するわけでも悲しむわけでもなく、ただ淡々と意見を述べるセシリア―トに、エマは違和感を覚えた。いつもならこんなもしもの話をだらだらと続けたりはしない。まだ七歳の子供といえども、セシリア―トは恐ろしいくらいに早熟だ。すでに三十歳の自分と考え方も感情のコントロールも同じレベル。

 そんなセシリア―トの普段とは違う様子にエマは底知れない不安を抱いた。


「……セシリア―ト王子様、どうされました? その本に何か書かれていたんですか?」


 セシリア―トの知識の全てはエマとこの塔に眠る太古の時代に書かれた古書たち。故にエマだけでなく、今の時代に生きる人間では知り得ないようなことをセシリア―トは知っていることが多い。

 だからこそ、セシリア―トの心を乱す何かがその本に書かれていたのかもしれない。そしてエマのその予想は的中した。


「そう、だな。情報としてはまとまっていないけど、とても興味深いことばかり載っている。……本当に、恨めしいことばかりが」

「恨めしい?」


 一体、何のことだろうとエマは聞き返したが、セシリア―トはそれには答えなかった。代わりに本の構造について嬉々として説明した。話題を逸らしていることは十分、エマも理解しているが何も言わずに聞く。


「古代レヤ語をさらに暗号化しているから、ただ古代レヤ語を知っている考古学者でもこれを読み解くのは至難の業だろう。だから余計に読んでいて楽しい」

「楽しいだなんて表現するのはあなただけですよ、セシリア―ト様。古代レヤ語を読めるというだけでも重宝されるんですから。私なんて見ただけで頭が痛くなってしまいます。もはや絵と変わりありません。……、それに…………」


 エマは貴族出身の上級侍女だ。前王妃に使えていただけあって、教養もしっかりと学んでいる。だから古代レヤ語は読めなくても、見ればそれが古代レヤ語だと認識はできる。しかし、この塔にあるセシリア―トが読む古書はどれも古代レヤ語とは少し違う。微妙に何かが違うのだ。

 が、その違和感にセシリア―トは気づいていない。塔以外にある古代レヤ語の文献を見たことがないから比べようがないのかもしれない。


「それに、何だ?」

「……いえ。……いつになったら眠るんですかっ、セシリア―ト様?」


 言いかけ、エマは話題を変えた。

 努めて明るく振る舞うとセシリア―トはぎくりとしてそそくさとベッドに潜り込む。ここ数日夜更かしをしてエマに怒られてばかりだ。さすがにこれ以上はエマの堪忍の尾が切れると悟ったのか、本を閉じてセシリア―トは大人しく従った。


「ふふふ。では、おやすみなさいませ。セシリア―ト王子様」

「……ああ、おやすみ。エマ」


 静かに二人はいつものように眠りについた。

 ひとつを除いて。



 その日の深夜。誰もが寝静まった時間。

 セシリア―トは分厚い本を片手に塔を抜け出し神殿に忍び込んだ。


 しんと静まり返る神殿内は、不思議な香りがした。整然と並ぶ礼拝用の長椅子、月明かりがさし込む左右の壁の細長い窓、そして中央前方に崇められるように存在する古代レヤ様式の絵画が施された色ガラス。施された絵画は《神》を象徴していた。


 そんな場所で、今までとは違う明らかに異質さを放つ本をセシリア―トは冷めた目で見つめる。そっと本を開き、あるページをくしゃりと掴んだ。


「『《神》からの祝福は、聖なる御石にて反応する』か。ならば、あの予言が嘘か本当か。試すしかないじゃないか」


 セシリア―トの目の前には黄金の燭台に置かれた翡翠色の玉がある。一見、ただの水晶のように見えるそれは、《神》を象徴する色ガラスの絵画の真下に位置している。


 かつてセシリア―トに下された『生まれてくる御子は常に血の香りを漂わせ死を招くわざわいとなり、この国を滅ぼすだろう』という予言。これが嘘か本当か、証明する術をセシリア―トはやっと見つけたのだ。

 どんな結果であれ証明が終わり次第、この石は叩き壊してしまおうと心に決めてそっと石に触れた。


 触れて数秒、


「……は。……ははっ………あははははっ!」


 真っ赤に染まった。

 赤黒く、毒々しい。

 まるで人の生き血のような、そんな吐き気がする色で石が染まり上がった。


 正しかった。

 あの予言は正しかったのだ。

 セシリア―トにチカラがあることを、予言を下した大神官は見抜いていた。つまり、大神官もまたチカラを持つ者だと考えられる。


 ――ガタンッ。


「ッ!」


 突然の物音にセシリア―トは反射で振りかえった。


「なんということだ……」

「……?」


 襟や袖、不思議な形をした帽子に黄金の刺繍が丁寧に施され、全身を包み込むような紺色の服を着た老人が一人、立っていた。月明かりしかない神殿内で風貌はよく見えないが、その老人は目を見開きセシリア―トを凝視していることはわかった。


「なぜ、ここにおられるッ」


 みすぼらしい恰好をしたセシリア―トを見て、その老人は厳しく責めた。だがその口調は名も知れない子供に対するものではない。セシリア―トが誰かを理解している態度だ。

 だから、セシリア―トもどくどくと心臓が激しく脈打つ中、目の前にいる人物が一体誰なのか瞬時に悟った。


「大……しん、かっ……ひゅっ」


 苦しい。

 体が燃えるように、全身の血液がたぎっているように、苦しくてたまらない。

 喉はカラカラに乾き、いつの間にかじんわりとあぶら汗もかいていた。


「――いっ!」


 ずきりと瞳が痛んだ。

 思わず両手で覆う。その拍子に手に持っていた本が地面に落ちた。ずきずきとまるで何かに刺されているようなそんな苦痛に歯を食いしばる。


 理解の及ばぬ急激な体の変化に戸惑っていると、気づかぬうちに大神官がセシリア―トの目の前まで歩み寄っていた。視界に大神官の靴先が見え、びくりと肩を震わせ一歩引いた。


 ――殺される。

 不思議と直観した。


「来るなッ!」

 

 そう叫ぶが、大神官が動く気配はなかった。

 その代わりに淡々とした言葉が神殿内に響く。


「かつての神国、古代レヤ大国であればあなた様のソレもわしのコレも祝福だった。しかし、今や呪いになってしまったのです。今後起こる悲劇の渦中で我々が苦痛を強いられるくらいならいっそのこと……《神》のもとに還った方が良いとは思いませぬか」

「何を……、言っている?」

「あなた様にもう未来はないのです。――どうか《神》の御許でわしの懺悔をお聞きください」


 その刹那、セシリア―トの頭上で何かが振り上げられた。

 月明かりを反射してきらりと光るそれは、命を狩り取るもの。

 無慈悲に振り下ろされるそれには一体どんな意味があるのか。まだセシリア―トにはわからなかった。


 それでも、体は、チカラは、勝手に動いた。


「ッ!」


 瞬間、全身を巡る苦痛が瞳に集約された。

 目玉を抉り取られるような激痛。しかしそれも一瞬。

 目を見開き一心に願った。助けてと。


「いやぁッッッッ!!!!!」


 叫んだ。

 途端、びくりと大神官の体が大きく揺れた。

 驚愕に目を剝く大神官の手からするりとナイフが落ちて、カランカランと場違いなほどリズミカルに床を跳ねた。やがて音はしなくなってしんと静まり返った。再び訪れた神殿の静寂は不気味さしか感じさせない。


 ゆらりと揺れた大神官の体はそのまま何の抵抗もなく床に打ち付けられる。びくっびくっと体を痙攣させ、浅い呼吸を繰り返していた。虚ろな瞳はセシリア―トを捉えている。込み上げる恐怖にセシリア―トは思わず声をもらした。


「な、なにっ……何だこれッ!? うっ、うぅっ!」


 自分が何をしたのか、受け入れがたい現実にセシリア―トは混乱した。気づけば震えていた両手で口元を押さえた。込み上げる吐き気を拭い去りたい。


「呪い……のろ、いだ……」


 熱に浮かされたように、誰に言うでもない大神官の言葉にセシリア―トは顔をしかめた。震える唇で大神官は最後の言葉を紡ぎ続ける。


「……あぁ、ひゅっ……もっと、もっとはや、く。殺して……差し上げ…れ………ば……」

「ッ!」


 途端、セシリア―トは立ち上がった。

 そのまま震える体を無理やり動かして、翡翠色の玉を手に持ち、そして――。


 がしゃんッ!

 床に思いっきり打ち付けた。

 粉々に飛び散る破片がセシリア―トの頬を薄く裂く。つぅっと伝う血はそのままに、死にゆく大神官に背を向け神殿から飛び出した。



 翌日、セシリア―トに弟が生まれた。

 それは第二王子であり、正当な王位継承者。

 これにより不吉な予言を受けても唯一の嫡男という理由で生きながらえていたセシリア―トに、生かされている理由がなくなった。

 同日、乳母のエマが毒殺された。

 その三日後、大神官の自然死が公に発表された。



 孤独になったセシリア―トの凍り付いた心を乱す金髪の青年に出会う八年前のことだった。


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