後編
そして時は流れ───
直樹は同窓会の開催されるホテルへと急いでいた。会社の仕事がちょっと長引いてしまったため、三十分くらいの遅れだろう。それは妻にもメールしておいた。今日の同窓会は特別だった。それは、あの神楽覚がやってくることになったから。卒業してから一度も高校の同窓会には出席しなかった彼が、今夜はやっと出席することになったのだ。これは絶対に顔を出さなくては。
「直樹、早く早く!」
会場に着くと、彼は先に来ていた妻に呼ばれた。
「遅かったのねえ。もう神楽くん来てるわよ」
「よ、直樹、久しぶり」
会場は立食形式で、みんな思い思いのテーブルの傍に立ち、飲み物や食べ物を持って食べながら飲みながら話に花を咲かせていた。もちろん、神楽の傍には特に人だかりが多かった。それもそのはず、今や彼は知る人ぞ知るといった立場の人間なのだから。
「この間の新曲、あれ買ったのよ。いい曲よねえ」
「今度、歌番組に出るんでしょ?」
「いいなあ。あの浜崎ヒカルとも逢ったことあるんじゃないの?」
そんなみんなの質問にニコヤカに答える彼、神楽覚、いやさ、ゲクトは「木村薫とは親しくしてるよ」と答える。
「ああ、あの薫クンね。彼もかわいいわよねえ」
それにそう答えたのは直樹の妻だった。
「おや、真美ちゃんって薫のファンだったんだ?」
「薫クンというより、薫クンの持ってるスクーターのファンって言ったほうがいいかも」
「ジョー?」
「そう、ジョーの」
「僕はまだジョーには逢ったことないんだよね」
「そうだったの? じゃあジョーに逢ったらサインもらってきてくれる?」
「おいおい、真美。それって彼に失礼じゃないか?」
直樹は苦笑しつつ話に割って入ってきた。
「あ、そっか」
真美はペロッと舌を出してみせた。
同窓会がお開きになった後、直樹と真美はゲクトに誘われてとある場所に連れて行かれた。そこはちょっとした洒落た店で、路地の奥まった場所にあるためになかなか人が見つけにくい場所となっていた。そんな場所にそんな店があったとは、直樹も真美も知らなかった。
「ここさ、僕の知り合いが経営してる店なんだ。この町に戻ってくるといつもここに寄ることにしてる」
「へーそうだったんだ」
「素敵な場所ねえ」
三人は店の奥まった場所に座ると、香りのいいコーヒーを飲みながらさらに話を続ける。
「それにしても、君らが結婚したとはねえ」
早速ゲクトが口を開く。その言葉に隣同士座った直樹と真美は顔を見合わせ笑った。
「あたしたち同じ大学に行ったの。都会の。そこで付き合うようになって、大学卒業して彼は地元で就職してあたしは家事手伝いして、で、ゴールイン」
「そっか…あれから君がどうなったかちょっと気にしてたんだ。君らは卒業して地元を離れてしまったし。僕はしばらくこっちで音楽活動してたけど、結局、美弥子とは別れてしまって、それでこの土地を出て一からやり直そうって頑張ったんだけどね」
「そうか。あの時の彼女とは別れたのか」
直樹の口調は重かった。その様子を心配そうに見詰める真美。かつて、直樹が真美に言った言葉が現実のものになったのだ。二人ともいい気はしなかったのだろう。
「嫌いで別れたわけじゃなかったんだ。どうしようもなくてね。だから、しばらくはすごく僕も荒れたよ。けど、そんな僕を立ち直らせてくれた人や、そして何よりも音楽が僕を救ってくれた。そして、今は僕の歌で救われるって言ってくれる人がいる。だから、僕は今幸せだよ」
「あたしも今は直樹と一緒になれてよかったと思ってる」
真美も晴れやかな笑顔でそう答えた。それをゲクトは眩しそうな目で見詰める。
「今、真美ちゃんが独身だったら、絶対物にしてるな」
ゲクトに見詰められて真美は真っ赤になってうつむいた。そんな姿もなかなかそそられると、恐らく今のゲクトなら間違いなく思ったことだろう。
「おいおい、神楽、なんてこと言うんだ。今は俺の奥さんだぞ」
「冗談だよ、冗談。でも、そう思った気持ちはホント。俺、今フリーだからさ」
いつのまにか昔の神楽の口調が戻ってきていた。ゲクト用の口調ではなく、ごく私的な彼の素顔が垣間見れるラフな口調に。
「まったく…しょうがない奴だな。じゃあ、俺も言いたいこと言うぞ」
苦笑しつつ、直樹はあの時の真美に喋ったこと、神楽がいつか彼女と別れるかもしれないから、落ち込むなと言ったことや、真美が告白していた時に物陰から見てたこと、それから、自分がどんなに神楽に嫉妬していたか、そんな後ろ暗い思いをずっと抱き続けて友達付き合いをしていたことを正直に洗いざらいぶちまけた。
「ふぅん…」
それを無表情にゲクトはずっと聞いていた。真美のほうはというと、少し驚いた顔をして、夫が実はずっと昔から自分を好きだったこと、恋敵のことをいつも聞かされていて心を痛めていたことを知り、少なからずショックを受けているようだった。だが、直樹は構わず話し続けた。そして話し終わると「はースッキリした!」と言い放つ。その彼の顔は晴れやかな顔だった。
「直樹」
話を聞き終わったゲクトはこう言った。
「今のお前って、すげーいい男に見える」
「はっ?」
ゲクトはニヤッと笑う。
「いいもん聞かせてもらったよ。次の新曲、楽しみにしておけ」
茜色の空をバックに佇む二人
見詰める僕の心は嫉妬の炎の赤に彩られ
それでも二人を見守るしかない
君の笑顔を見れるのなら
君の泣く姿は見たくないから
封印しよう僕の本当の気持ち
ただ
気がついて
僕が君をずっと好きだったってこと
忘れないで
僕が君の傍にずっといたこと
抱きしめたくて抱きたくて
気が狂いそうな夜も
伝えたくて伝えられなくて
作り笑顔しか見せられない午後も
ずっと傍にいた
君と一緒に過ごしていった
まるで僕らは一枚の絵のように
いつか
あの茜色の空をバックに
あの時の二人のように
僕と君があの時の二人のように
寄り添えたら
僕は
君に向かって
そして自分に向けて
思い切りピースを作る
絶対大丈夫だと
すべてはきっとうまくいくと
それだけは確信して
僕と君の絵の欠片
一枚の絵になる
いつの日かきっと素敵な絵に
好きだから
君が
本当に好きだから
ずっと傍にいるよ
程なくしてゲクトの出した新曲「ピース」はかつての同級生の男の恋心を歌ったものだとゲクトは語った。
「彼の話を聞いた時にね、ああ、彼は一枚の絵を思い浮かべていたんだなあと思ったんだよ。自分の好きな子が他の男と寄り添っているのを見て、それが一枚の絵のように見えてて、でもいつか彼女という絵の欠片と自分の絵の欠片がピッタリとあてはまって一枚の絵ができることもあるかもしれない。だから、その絵を完成させるために頑張ろうって。そして、彼はその夢の絵を完成させたんだ。夢は叶うんだよ。見てるだけじゃ叶わない。それはあたりまえだよね。けれど、叶えようとして努力する人もいる。それでも叶わないかもしれない。でも、叶えるために努力することは、たとえ叶わなくても何かを残すと思うんだ。もしかしたら別の絵を完成させることもできるかもしれないよね。努力する姿は誰から見ても素敵だと思うし。そんな姿を見て、別の欠片の女の子が、彼の欠片に合う女の子が、いつのまにか寄り添ってくれて、それで一枚の絵を完成させることだってあるかもしれないんだからね。だから、やっぱり夢を叶える努力はすべきなんだよ。それをみんなには忘れないでほしいなって、僕はそう思う」
新曲のジャケットには男と女のピースを作った手が、ジグソーパズルのピースのように切り取られていている写真が使われていた。そして、中に収められている歌詞カードの写真は、ピースがキチンとはめられた状態の写真が使われていた。それに写っている二つの手は指を絡めている男と女の手だった。
そのCDをゲクト本人に手渡された直樹と真美は、照れくさそうに笑っていた。
「なんだか恥ずかしいな。自分の手じゃないみたいだ」
「いやだわ、もっとキレイな手だったらよかったのに」
二人とも写真の手をそう評した。そう、ジャケットの男女の手は直樹と真美の手だったのだ。
「いい手だと思うよ。僕はこのジャケット好きだな。これ見てると、あー彼女ほしいって思うもん」
ゲクトは目を細めて二人を見詰める。
「真美ちゃん」
「なあに、神楽くん」
顔を上げた彼女にゲクトは含みのある笑顔を見せて言った。
「永遠に続くものなんてないんだよ。もし君の大切なピースがなくなったとしても、ここに新しいピースがあるから、その時は思い出してくれよね」
「ちょっ…おま…なに言って…!」
直樹の目が吊り上がった。
「あはははは! お前が彼女に言ったことをそのまま言っただけだよ。それくらい大目に見ろよ」
ゲクトは大笑いすると、すぐに真顔になると言った。
「でも冗談抜きで、人の命なんて儚いものなんだよ。長く寄り添うはずだった恋人同士の片方があっけなくいなくなってしまうのを僕は何度となく見てきた。僕自身も失ってきたこともある。だから、覚悟も大事だと思うんだよ。僕はそういった覚悟を互いにすべきだと本気でそう思っている」
ゲクトの端整な顔のせいで、彼の話は本当に凄みがあるなと直樹は思った。
「忘れるなよ。今のその幸せを。幸せを大切にした者だけが本当の幸せを手にするんだ。それを忘れるな。幸せを大事にしてきた者だけが、ピースを全部あてはめて一つの絵を完成させることができるんだ。それが最後にどんなに絵になるか、それを決める為の僕らの人生なんだよ」
僕と君の絵の欠片
一枚の絵になる
いつの日かきっと素敵な絵に
好きだから
君が
本当に好きだから
ずっと傍にいるよ
人生という名の絵が完成するのはその人の死ぬ間際。それを本人は見ることはない。それでも人は生きて死んでいかなければならないのだ。それが本当に生きるってことではないだろうか。