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五節

「えーーーん……ここどこぉ……」


 ずっと歩いていて、足の裏がずきずきしてきた頃。あたしは、見知らぬ路地で立ち止まってしまった。


 普段連絡する友達がいないから、まったく気にすることはなかったけど……こう方向がわからないようじゃ、スマホが欲しくなってくる……


 でも地図もよく分からないあたしが、スマホを持ったところでどうにかなるのかな?


 とにかく、一度戻ったほうがいいかもしれない。これ以上迷っても、回りは住宅街ばっかりで道を尋ねることも難しいし……


「はあ……どうしよう」


 こんなとき、急に心細くなる。


 まるで五歳の女の子。行く場所も分からず、帰る場所もなくなって、記憶もない。着ている服以外何も持っていない。そんなあの頃に、強制的に叩き落される。


 遠くで子供たちの笑い声がした。家の窓が開け放たれて、白いカーテンが揺れていた。


どうしてあたしの世界は、あたし以外がいつもみんな幸せに見えるんだろう……?


 レジ袋をつかむ手が、じんじん痛い。サボりかな? セーラー服を着た女の子が自転車で軽やかに、あたしを追い抜かしていく。つやつやサラサラと風に流れる長い髪が、自由の象徴みたいでとてもきれいに、まぶしく見えた。


 寂しさに押しつぶされそうになる心に、体も重く感じて座り込みそうになった――その時。


 ふわっ、と、あたたかい風があたしの黒い髪を持ち上げた。


 秋にしては生暖かい、やけに優しい風。それに、かすかに甘い花の香り。


 まるで、「下を向くな」と勇気づけてくれているような。


「……いやいやいや。ただの風じゃん」


 そうだ。あたしは非現実的なことなんか信じられない。あたしを救ってくれるとしたら、現実的で物理的なこと以外ありえないんだから……。


 それでも、その風に背中を押されるようにあたしはふらふらと歩き始めた。行先なんてわからない。戻ろうという気持ちも、いつの間にかなくなっていた。辛いばかりのあの家にも、帰りたくない。


 あたしはもはや、半ば自暴自棄に足を進めた。いつでもそうしてきたように。絶望を引きはがすように、現実に生きてるあたしは歩き続けるしかない。


 どこか休めそうな場所を探して、さまようあたし。だが、そんなあてのない散歩も角を三つ曲がったところで、唐突に終わりを迎えた。


「――やあ。お嬢さん」


 神社……なのだろうか。


 どす黒い鳥居に、瓦が落ちまくったどんよりとした屋根。掃き清められたところのない落ち葉だらけの石畳の上には、清廉な赤袴と白い着物に身を包んだ、長身の男の人が声をかけてきた。


「あ、どうも……」


 何気なく声をかけられたので、ついこちらも返答してしまう。だがあまりにも、なんというか……


「さびれてる……」


「えっ」


 あぁっ! あたしの馬鹿! こういう下手に言葉を我慢しないところが嫌われるって、短い学生時代のときに学んだでしょーが!


 神主らしき人はしかし、あたしの発言に一瞬目を丸くし――怒るどころか、ぷっ、と噴出した。


「あっははは! そうなんですよ、正直なお嬢さん。すっかり寂れてひどい有様でしょう?」


「あっ、いえ、その……! ごめんなさい! 急にへんなこと……」


「いえいえ。事実ですから、お気になさらず。やあ、お買い物途中でしたかな」


 あたしの買い物袋を目で指しながら、涼しい顔でにっこりと微笑む。黒髪をそっとなでつけ、オールバックにした姿は神社の神主さんというより、エリート商社マンとしてスーツに身を包んだほうが似合うのではないかと思うくらい、「長身のイケメン」を見事に体現していた。


 男性にあまり面識がないあたしはなんて答えたらいいかわからず、こくこくと首を縦に振りまくる。


 やばい。こんなイケメンに、なんて言ったらいいのか分からない。何歳なんだろう。三十は越えているだろうけど、つるんとした白い肌から年齢は読み取れず。ふっと細められる切れ長の目は優しくこちらを見ていた。


「あなた……」


 神主さんが、雪駄の音も軽やかにこちらに近づいてくる。あたしはすっかりビビりあがって固まってしまい、神主さんの動きを目で追うばかりだった。


「……わたしは、こちらの月石神社で神主を務めております、十河和緒(とがわ なお)と申します。失礼ですが、お名前をうかがっても?」


「えっあっのあのあたしっ、神籬エリカといいますっ」


 コミュ障陰キャのイケメン免疫皆無な体質の日陰女子は、悲しいながらイケメンを前にすると日本語能力が宇宙までぶっ飛ぶ。


「ひもろぎ、さん」


 神主さん――十河さんは、涼やかな目元をいっぱい開いて、そのままじぃっとあたしを見つめる。どうして十河さんがこんなに見てくるのか分からなくて、自分の容姿にあまり自信がないあたしは見てほしくなくて、思わず目をそらす。


「あ、アハハ、その、珍しい苗字ですよね。ていうか書くの難しすぎ! みたいな。小学校までびみょーに間違えたまま、テストとかに記入してたりして~」


 気まずくて何と言っていいかわからなくて、無駄に早口でまくしたてるあたし。頭の中ではもっと冷静に、クールビューティーに年上イケメンと余裕ぶって話している妄想が補完できているのに、現実はなんと無様なことか。


 陰キャの特徴「話始まりは「あ」から言わないと死ぬ病気」なあたしの話し言葉を、しかし十河さんは穏やかににこにこ笑いながら聞いてくれていた。神かな。この人が創世神か。


「そうなんですか。確かに、あまり聞かないお名前ですよね。ああ、そうだ」


 十河さんは十段ほどの階段を降りると、あたしと同じ道路に立つ。隣に並ぶと、そのすらりとした長身っぷりがさらに強調された。


 お香、だろうか。とても大人っぽい香りに、あたしの心臓が余計にどくどくと早鐘を打っている。心臓、壊れないかな。


「今、お時間あります? 知り合いからもらったお茶をたくさん作ったんですが、わたし一人では飲みきれなくて。お茶菓子もありますよ」


 変な神主さんだ。お茶なんて作りすぎたら飲まない分は保存しておけばいいのに、わざわざあたしなんかに勧めるなんて……


「あ……はい。いただきます」


 あたしの心の声とは裏腹に、口から飛び出した言葉は同意だった。


 自分でも驚くほど自然と出た言葉に、今更後悔してさらに口を開こうとする、前に。


「それは良かった! 伊豆の新茶らしいんですがね。わたしも一人でお茶はさみしいなあなんて思ってるうちに、たくさん用意しちゃってね。さあさあ、お上がってください」


 にこにこ十河さんにぐいぐい背中を押されて、ついでにさっとレジ袋も持ってもらっちゃって、イケメンの押しの強さに青ざめているあっという間に、あたしは神社の本殿に迎え入れられたのだった。

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