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二十八節

「エリちゃんっ!」


 パニックに陥りかけたあたしの目に、きれいなピンク色の光が飛び込む。


 ヤナギは牙をむき出しにしてうなりながら、眼鏡男子に向かってとびかかる!


「ヤナギ! まって!」


 しかしヤナギは、あたしの制止の声を振り切って眼鏡男子に噛みついた。


 眼鏡男子の手首に、しっかりと食いつくヤナギ。それでも眼鏡くんはピクリとも動かず、感情の断片すら見せることはなかった。


 その代わり、抵抗するように眼鏡くんの足元の闇が、ぞろぞろぞろっ! と蛇のように彼の体を駆け上っていく。


「きゃぷゎん!」


 危機を感じ取ったヤナギは、すかさず眼鏡くんの手首から離れ、大きく後ろ飛びしてあたしの隣に立った。


「エリちゃん、あいつヤナギのちからがきかないなの!」


「ヤナギ、下がってて! 危ないよ!」


「しゅごじゅーが、ごしゅじんまもらないでさがれないのなの」


 わぷっ、とヤナギは鳴いた。まるで、笑っているような鳴き声だった。


 そんなヤナギを見て、少しずつパニックが遠ざかる。すうー、はあー、と大きく息を吸って、闇を強く、強くにらみつけた。


 眼鏡男子は、今や真黒な人型の闇のかたまりになってしまった。闇が眼鏡男子の顔を覆う寸前、ちらりと目が合ったような気がする。そして、口が動いた。


 タ・ス・ケ・テ


 そう言っているようにしか、思えなかった。


 なぜかその様子は、かつて闇に飲まれたあたしによく似ていた。眼鏡くんの手が、まるで助けを乞うように、あたしへ伸ばされる。


「意識があるの……?」


 眼鏡くん自身の意識が、苦しんでいるように見えるのだ。ならこれは、闇のしわざ?


 それなら――あたしは混乱する頭の中で必死に考える。


 怖くても、身がすくんで手が震えても、考えることをやめるな、エリカ!


 闇の中で学んだんだ。考えることをやめて恐怖に流されても、闇に落ちて登れなくなるだけ。這いあがった先にしか、光はない!


「――あんた! どこの誰だか知らないけど、なんの意味があってこんなことするのよ!」


 会話は不可能だと半ばあきらめ気味に叫ぶ。相手の意図が分かれば、そこを突く隙が生まれるかもしれない。会話は、相手の思考を一定以上縛り付ける。


 すると意外なことに、眼鏡くんはぴたりと歩を止めた。


 けれど――闇は、さらに変化をした。眼鏡くんの頭の上から、しゅうしゅうと音を立てて闇がさらに噴出していく。やがてゆらゆらと不安定な人のような形をとると、真っ赤に口の中をのぞかせて、闇はニィィと笑った。それはそれは不気味に、笑った。


「呪、ワレ、たむすめ……おまエ、に、あいは、ない……」


 ぞわりと、寒気がする。


 低く、地の底から響いてくるようなどす黒い声。


 けれど、なんだろう、これは――どうしてか、この声を心から拒絶する気持ちになれないのは。


「だまるのなの! やみのぶんざいで、エリちゃんのことくちにするな!」


 何も言い返せないあたしに代わり、ヤナギが吠えてくれる。頼りになる、あたしの守護獣。でもあたしは、内心すごくハラハラしていた。


 あの闇の強さは、抜け出せない焦りは、闇に取り込まれたからよく分かる。あれは、自部の意志だけでどうこうできるものじゃない。


 深い海に沈んでいくように、手足が冷たくなって感覚もなくなって、そう、まるでゆっくりと眠るように死んでしまうような――


 そんな闇に対抗するなんて、ヤナギが危険すぎる。


 しかし闇はまったく、ヤナギの言葉などに耳を貸してはいないようだった。ニヒィ、と降格を持ち上げ、真っ赤な口を顔の半分まで裂いて笑った。


「おまえ、ニ、ともなど、いナイよ」


「――……!」


 ひゅっ、と、息が止まる。


 よくない。こんなやつの言うことなんか、聞く必要ない。頭のどこかがそう叫んでいた。聞くな、聞くな、聞いちゃだめだ!


 でも――闇にきっぱりと言い切られると、ずどんと心に落ちてきてしまう。腑に落ちてしまうのだ。それはこいつの声が原因かもしれないし……あるいは、あたしも心のどこかでそう思っているのを、見抜かれた気がしたからかもしれない。


 霆門。ナオさん。モモちゃん。カナデくん。


 友達だと思っていい人たち。友達だって言ってくれた人たち。友達になりたいと思った、大事な人たち。


 でも――人の心は覗けない。この目で見て、信じることが、どうしてもできない。


 人の心の移り変わりばかりを見てきた。優しい人が残酷な人に変わる瞬間もあった。それは幼少期の辛い出来事だったね、で片付かないくらい、辛い目ばかりを見てきた。


 たまたま今は、周りに恵まれているだけなのかもしれない。


 そしてそれは、いつか崩れてしまうもの、なのかもしれない。


 幸せで、あたたかい気持ちになればなるほど、それの喪失を恐れる。それがこんなに怖いことだなんて、今まで知らなかったの。


 あの人たちをなくして、背を向けられる未来を考えることが、一人ぼっちでいるより辛いことなんて、知りたくなかったの。


 ――お前に友達なんていないよ。


 ああ。ああ……だめだ。


 闇に飲まれる。


 ――お前に愛なんてないよ。


 視界が歪む。つぅ、と、頬になまぬるい液体が流れていった。


 反論することが、あたしにはできなかった――――

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