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十五節

「わかりました。編入試験は一ヶ月後でよろしいですか? そこまで難しい問題は出ないと思いますが、街で参考書を買って勉強しましょう」


 勢いづいて前のめりになったあたしを、あざ笑うではなく穏やかに微笑んでナオさんはそう答えてくれた。


 呪いのことが気にならないわけじゃないけど、あたしにできることは少ない。なら今、あたしができることを、したいことを全力でやるだけだ。


「はい! よろしくお願いします!」


「しっかり勉強しろよ、落ちたら笑ってやる」


「あんたねー! 世の受験生に落ちるとか、みんなからボコボコにされるわよ!」


「俺が負けるはずないだろう」


 霆門のおちょくりに言い返すのも、なんだかもうあっという間にしっくりきちゃってる。


 その後はみんなでサンマを焼いて食べ、ナオさんに近所を案内してもらいながら必要なものを街に買いに行った。全部ママの家に置いてきてしまったけど、あとでナオさんが洋服を取りに行ってくれるみたいで、本当にいろいろ甘えてしまっている。


 一通りの必要品を買った後のナオさんは、両手に大荷物だ。まだ神社でやることがあると先に帰ることになった。本屋さんの場所は教えてもらっていたから、そこで参考書を買ってるんるんと帰路につく。


 神社へ向かう足取りはどこまでも軽い。今なら飛べそうなくらい。


「ふっんふんふっ――どぅわッ!?」


 軽やかにスキップしていたあたしは、曲がり角で何か重いものにドスンとぶつかり、見事に吹っ飛んだ。


 次いで「きゃっ」「なんだぁ!?」という二色の声。


 吹っ飛ばされた衝撃と衝動で、一瞬思考が止まる。


「あ……!! あんた!」


「……あ、ああ……ママ……?」


 ――ああ。そうそう。


 幸せって、必ず不幸とワンセットだったよね。そういう人生だった。


 そんなにも簡単なことを忘れていたなんて、あたしはよほど浮かれていたんだろう。


 そこには、本当に鬼かと思うような恐ろしい顔をしたママが、汗だくになりながらあたしを見下ろしていた。あたしはようやく、うれしさで周りがまったく見えていなかった事実に気付いた。


 体が途端、硬直する。


 忘れていたと思っていた記憶はまだまだ新しくて、あたしを縛り付けていた。ひとりぼっちの心細さは、豪雨の後の川に投げ込まれた小枝みたいに頼りなくてちっぽけだ。あたしは全身の血の気が引くのを自覚した。


 ああ。神社まで、あとどれくらいだったっけ。


 な、情けないな。震えてるのか、あたしは。言葉も出ず、ただただ座り込んで二人を見上げているだけの自分がほとほと情けなく感じる。


「あんた、いきなりいなくなったと思ったら怪しい男からの手紙で! 急に住み込みの巫女するとか、意味分からないわよ!!」


 ママが詰め寄る。あたしは息の仕方を忘れてしまった。頭が真っ白になる。


 そうだよ。このママが、簡単に奴隷を手放すわけない。ナオさんは納得してくれたみたいなこと言ってくれたけど、ナオさんっていう手強い人の前だと表面上は態度を和らげることくらい、予想ついたのに。


 そうであれと願ってしまった。あたしの都合のいいように、現実を願ってしまった。


 何も答えない、答えられないあたしの前に、もう一人の人物がひょこっと顔をのぞかせてきた。ママの巨体に隠れて見えなかったのは、ママの娘――香苗。


「ああ。よかった、エリカ。無事だったんだね」


「ぶ、じ……?」


 香苗はかなりプリンになった茶髪をぽりぽりとかきながら、座り込んでるあたしに目線をあわせるようにしゃがんだ。


 無事だった? あたしは今、香苗に安否を確認されたの?


「うん。そりゃいきなり出てったらびっくりすんじゃん。今は叔父さんのとこにいるんだって?」


 あたしの疑問を肯定するように、しゃがみこんだ香苗はさも当然かのようにそんなことを言う。いつもみたいなとげとげしい言い方ではない。本当に普通の、どこにでもいる女の子みたいだ。


「いったいどうしちゃったの、香苗は……別人みたい」


 香苗には聞こえない疑問を、あたしの友達はちゃんと聞いていてくれた。


「エリちゃんの闇がすくなくなったから、悪影響がへったのなの」


 あたしの足下から、いつの間にかひょこっと顔を出したヤナギがそう教えてくれる。なるほど、確かにあの闇はあたしから人を遠ざけるって、ナオさんが言ってたっけ。


 それでもヤナギは二人をイヤそうに見ている。


 あたしを守るためにこの世に残ったヤナギとしては、ずっといじめてきた二人に好感情を抱けなくても仕方ない。それはあたしも同意見だった。


 それでも――香苗の表情には、行動には、嘘はないように思えた。


「今まで、その……本当にごめん。謝って許されることじゃないと思うけど……」


 そう言って、香苗はぺこりと頭を下げた。そして恥ずかしそうに、バツが悪そうにもじもじとうつむいていた。


 正直、あたしはどうしたらいいのか全く分からなくて……それでも、香苗の謝罪の言葉がいつまでも頭の中をぐるぐるとリピートしていて、恥ずかしそうな、香苗のちょっぴり泣きそうな顔が頭から離れなくて。


「……ううん。大丈夫。もう、忘れて」


 文句でも、ましてや恨み言でもなく。


 自然と、そんな言葉が出てきた。


「エリカ……うん。ありがとう。あの……たまには家、遊びにおいでね」


「あ……うんっ」


 かなり変な返答になっちゃったけど、あたしは素直にうなずけた。それを見た香苗は少し安心そうに笑って、今まで背後でずっとゴチャゴチャ言ってるママの腕をひっつかみ、強引に引きずっていく。


「ママ、ほら行くよ!」


「香苗っ! こら香苗、離しなさい! あたしはコイツと話あんのよ!」


「必要な話は終わったよっ! 帰るよ、もう!」


 わぁわぁ言って去って行く二人の背中を、あたしはムズムズとした居心地の悪さを抱えたまま見送った。


「……エリちゃん?」


 そろり、とヤナギが足下から進み出る。そのままふわりと浮かんで、あたしの目の前まで上がってきた。


「ヤナギ……あたし……」


 ヤナギのあったかい、ふわふわの体をぎゅっと抱きしめた。震えていた体はいつの間にか落ち着き、戸惑いはドキドキに変わって、頬が熱くなるのを感じていた。


「……あたし、あの二人を許せないと思ってた。一生許すのなんか無理、って。でもあの二人も、闇に影響を受けていたんだ、ちゃんと向き合えば普通に話せるんだって思ったら、もういいよって言えたの……」


「うん。エリちゃんはえらいのなの。いらないってするより、いいよってするほうがずっとずっと難しいのなの」


 ぺろっ、とヤナギはあたしの鼻先をなめてくる。それはとてもくすぐったくて、あたしはくすっと笑った。


「そうだね。……まぁ、ママは闇の影響っていうより、あれは元々の性格だからもうどうしよーもないんだろうけど」


 でももう、関わることのない人たちだから。ママがどんな経緯で、どんな魂胆であたしを引き取ったのかはもう分からないし、分かりたくもないけど。それでも、あの二人に対してこんな穏やかな気持ちになる日がくるなんて。


「――エリちゃん! たまご、ひかってる!」

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