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爺さん、翔ぶが如く  作者: 熊子
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第三話 暗中模索



 ダラララッ……

  ダララッ……ダララララッ


 仲谷の軽ワゴンは遅々とした足取りながら、着実に正蔵の留置いた軽トラに向かっていた。

 雨粒が持つ位置エネルギーより遥かに強大な風に煽られて、不規則に車体を撃っている。

 雨脚は猛烈に強く、フロントガラスは勿論のこと、横の窓からも眺望を奪っている。

 その為、田畑を縫う様な細い道を踏み外さぬよう、仲谷も速度を上げられない。

 無論、それは周囲の注意を払っている助手席の由紀恵にせよ同様である。

 ただでさえ老眼が進み、視力には自信が無い上に、街灯もほとんどない農村で、この風雨となれば、いくら目を凝らそうとも殆ど何も見えないと言っても過言ではない。


 「アレ、正蔵のか?」

 雨粒が跋扈する闇に、それでも目を向けていた横からの問いかけに、由紀恵はバネで弾かれた様にフロントガラス越しに見えてきた軽トラに向き直った。

 しかし指さされた軽トラにはまだ遠く、間違いないとは言い切れない。

 「仲さん、橋渡れるかい?」

 「今渡ると、帰って来られるか分からん、出来るなら行きたくは……」

 仲谷の言葉は煮えきらない様子だった。しかしそれもその筈、既に用水路の水面は、石橋の桁スレスレまで増していた。更に言えばこの先、正蔵の物と思われる軽トラが止まっている場所は、用水路と他の家の田に挟まれた行き止まりの場所だ。

 よしんば橋を渡らない選択をしたとしても、事態が好転する訳でもない。

 やむなしと判断した仲谷はそろりとアクセルを踏み込んで、橋の上に車を乗せた。


 幸運な事に仲谷らの乗る車が渡り切る前に、橋が冠水する事は無かった。

車が停車するのを待たずに由紀恵はシートベルトを外した。

 レインコートのフードを被り、一〜二度懐中電灯を明滅させて、不具合が無い事を確かめると、わずかな振動を伴って停車した車内から、風雨など気にもかけないと言った風に降り立った。

 仲谷の車の前側に迂回して、軽トラのナンバープレートを照らす。

 間違いない。正蔵の物だった。

 由紀恵とは反対側、つまり車の後部方向を見ていた仲谷が、少し遅れて由紀恵の隣に来て聞いた。

「やっぱ、正蔵のかい?」

 由紀恵が返事を発する事は無かったが、フードの中で頭が上下し、肯定を告げた。

 それを見た仲谷は、首筋に鳥肌が立つのを感じ、正蔵の軽トラの運転席の方に懐中電灯を向けた。


 その時だった。


 軽トラの運転席から、用水路に向かっている足跡が、懐中電灯に切り裂かれる闇の中に、くっきりと現れた。

「由紀恵さん、これ、足跡だ! 運転席から続いてる!」

 逆側、つまり助手席側から車内に正蔵の姿が無いかを探っていた由紀恵は、仲谷の声に軽トラの正面方向へと灯りを向け、まさに用水路へと向かう足跡を追った。

 二人は競う様な必死さで、闇の中から浮かび上がる足跡に灯りを向けて行ったが、やはりと言うか、恐れていた通り、既に濁流に成り果てた用水路の手前でその足取りは途絶えていた。


 仲谷は絶望にも似た、諦めにも近い想像に苛まれながら、周囲を見回し、頭を巡らせた。

 正蔵が用水路に落ちたのは疑いようもない。

 そうでないならば、軽トラを乗り捨てている理由が無い。

 この暴風雨の中、帰宅するには徒歩という訳にはいかない。

 よしんば、落ちた後、どこかで上陸したとしても、後から来た自分達でも橋は渡れたのだから、やはりここには戻って来るはずだ。

 しかし懐中電灯を周囲に向けても、歩いてこちらへ向かう人影は認められない。となれば……


「由紀恵さん、酷かもしれんが、早く俺の車に乗ってくれ」

 弱々しく膝立ちの姿勢で視線を泳がせる由紀恵の肩に手を置いて、仲谷は言った。

「こんな事を言うのは俺も辛いんだが、安否はともかく、正蔵は用水路に落ちたんだろう」

 仲谷は言葉を選びながらではあったが、けれど残酷な事実を浴びせられた由紀恵は、強張った視線を向けて言った。

「もっ、もしかしたら、まだ用水路の中に居るかも……」

 由紀恵の声は震えていた。

 落ちたのが今しがたであるならば、自分が水中を探せば、見つけて助けられるかも、そう由紀恵の視線が告げていた。

「それはあり得ない。俺が由紀恵さんの所に行く前からこの軽トラはここにあったんだ。それに加えてこの流れだ。正蔵はどちらにせよもうここには居ない。それに早くしないと、俺達も戻れなくなる」

 仲谷の毅然とした言葉が雨粒と共に由紀恵を打つ。

 でもと返そうとする由紀恵に対して、仲谷は更に言葉を続ける。

「ここに俺達が居ても、正蔵は見つからん。流されたのなら、俺達もあの橋を渡って戻らなけりゃ、ここより下流を探す事もできん」

 その言葉に一瞬冷静を取り戻し、由紀恵はよろよろと立ち上がる。

「分かった。ありがとう、仲さん」

 その瞳には弱々しいながらも、希望が宿っているようだった。


 二人が引き返し渡ったのを見計らうかの如く、濁流は橋を冠水させた。

 離れ行く正蔵の軽トラが、バックミラーの中で、ハザードランプをチカチカと明滅させていた。

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