手紙
この前は、わざわざお見舞いに来てくれたのに、ごめんなさい。
ちょうど、リハビリの時間で、留守にしていたの。
リハビリはすごくつらいけど、早く退院できるようにがんばります。
よかったら、またお見舞いに来てね。
待ってます。
品の良い朝顔の便箋に、青い文字で書かれた短い文章。
それを折り目通りに畳んで戻すと、私は手紙が入っていた封筒の上にそっと置いた。
「……どう、思いますか?」
喫茶店でテーブルの向かい側に座った少年はおどおどと尋ねる。
彼の名前を、仮にA君としよう。
A君は、私の知り合いの友人の弟で、今日までまったく面識がない。
怖い話や不思議な話を集めている悪趣味なおっさん、つまり私に相談に来たのだ。
妙な手紙を貰った、と。
霊能者でもなんでもない私にはお祓いの真似事は出来ないと前もって伝えてある。
そう。ただ、話を聞いて、感想を言うくらいのことしか出来ない。
「これは、その廃病院に行った、翌日に来たんだったね?」
「はい、そうです」
永らく手付かずのまま放置されている廃病院に、昼間とはいえ、たった一人で肝試しに行ったという。
「あとで友達に見せようと思って、スマホで動画も撮ってたんですけど……」
「動画あるのかい? それも見せてくれる?」
「あ、はい。これなんですけど」
A君がスマホを操作すると、画面が一人称視点で動き出した。
チャラい実況もアレだが、手ブレのほうも正直酷い。補正が掛かってこれなのか。
「A君、度胸あるね。入るなり、いきなり三階に行ったのか」
「ああ、その、上から順番に調べたほうが効率的かなって思って」
病院内は窓が板で塞がれているので、ところどころが薄暗い。
職員用と思われる階段を急ぎ足で上がると三階にたどり着く。
この古い病院は三階建てで、在りし日は二階と三階の病室に患者を入院させていたはずだ。
軽口を叩きながら、ひとつずつ病室を覗いていくA君。
どの部屋もほぼがらんどうで、見るべきものは何もない。
ところが、ある病室に入った瞬間、画面がブラックアウトした。
「これ、何かあったのかい?」
「いえ、それが、帰ってきてから見直したら動画だけ消えてて……」
そういわれてみると、A君の声だけはさっきのお寒い調子で問題なく続いていた。
「つまり、撮ってたときは問題なかった?」
「はい。ちゃんと写ってました。他と同じで、なんにもない部屋でしたけど」
珍しい。
心霊スポットなどでは、よく電子機器が突然止まることがある。
だが、スマホの動画を音だけ残して、映像だけ消えるなんて聞いたことがない。
編集した? それなら、誰が?
その病室から出た途端に、映像は回復した。
A君の言動には、まったく変わりがない。
一人でいるのが怖くなってきたのか、やや早口になってはきているが。
「あとは、特になにもなかったです」
「そうか……。念のために、倍速で確認してみてもいいかな」
「あ、はい」
単調で退屈な映像が続く。
というか、A君、三階と二階のほぼ全室を確認してるじゃないか。
どんだけ几帳面なんだ、この子は。
怖いのか、怖くないのか、どっちなんだ。
階段を下りて、一階の待合室へ。
「A君、ちょっと」
「はい?」
「ここで何かなかったかい?」
「……え? いえ、特に……」
「ちょっと巻き戻すから、聞いてみてくれ」
階段を下りるA君の足音。
もちろん待合室には誰もいない。
何事もなく通り過ぎるA君。
「足音が多いんだよ。ここ」
「……あっ! ホントだ!」
A君の歩幅とは明らかに違うリズムの小さな足音が、確かに聞こえる。
奥の方へと向かっているような……。
これは、子供の足音か?
そのまま、映像の中のA君は一階を一回りして、侵入した場所へ戻ると病院から外へ出た。
動画はここで終わる。
「もしかして、その足音の霊が、手紙を出したんでしょうか……?」
みるみる顔が青ざめていくA君の質問に、私は答えた。
「いや。それはわからない」
非情とも取られかねないが、私には現時点で断定することは出来ない。
「ただね、ちょっとこの手紙をもう一回見て欲しいんだ」
私はテーブルの上の便箋を改めて開いてみせた。
「文字を書いたインク、A君には何色に見える?」
「青、いや、紫ですか?」
「そう見えるね。でも、これ、元はたぶん黒だったはずだ」
「ど、どういうことですか?」
「色褪せてるんだよ。今はどうだか知らないけど、昔のインクは退色しやすいのも結構あってさ。時間が経ったり、長い間、日に当たったりすると色が変わるんだよ」
「でも、これ、昨日、うちの郵便受けに入ってたんですよ?」
私は無言で便箋の下にあった封筒の表側をA君に見せた。
「郵便番号が五ケタ。切手が八十円。それに消印が二十三年前の一昨日だ」
ご丁寧なことに古い郵便番号がちゃんと書き込まれている。
そして、住所と氏名は間違いなく現在のA君宛てだった。
「A君、あの病院に行くことを先に誰かに話してたかい?」
「いえ、あとで動画見せて、友達をビックリさせようと思ってましたから。だから、まだ兄貴にしか話してないです」
つまり、知っているのは、A君とA君の兄。
そして、私を紹介した知り合いくらいか。
「イタズラにしてはちょっと手が込み過ぎてる。便箋も封筒もすべてが古い。誰かを担ぐつもりにしても、よほど以前から仕込んでない限り、ここまでは揃えられないだろうな」
「それじゃあ、この手紙はいったい……」
「もし君が私を担ぐ気で仕込んだんじゃないなら、それこそ何もわからない」
「ウソじゃないですよ!」
「だろうね」
「でも、これ、どうしたら……」
テーブルの真ん中にある手紙と封筒。
私がそこに置いたきり、A君は触れようとはしなかった。
「これはA君宛ての手紙だ。君が好きにするといい」
「……」
「無視してもいいし、捨ててしまってもいい。塩をかけて燃やせば、気休めくらいにはなるかもしれない。ただ、こちらとしては、その後の保証までは出来ない」
「……」
「あと、これは大人として全くお勧めしないけど」
「……なんですか?」
「もう一度行ってみれば、何が待っているかわかるかもしれない」
A君が息を呑む音が聞こえた。
「でも、持ち主の許可なく廃墟に入るのは不法侵入だから、大人としてはちょっとな」
ゆっくりとA君が伸ばした手が、便箋と封筒に触れた。
「ついでにいうと、あの廃病院で幽霊が出たなんて話は、いままで聞いたことないな。なにか子供の行方不明事件がどうのこうのいう話はあった気もするが……。A君は聞いたこと、あるのかい?」
「高校の先輩から聞いた話だと、先輩の先輩が、車椅子の幽霊が出るって言ってたらしいです」
「まあ、聞こえたのは足音だったけどな」
人づての人づてから、「らしい」で終わる。
都市伝説の定型ではある。
「あの、話聞いてくれて、ありがとうございました。おれ、帰ります」
「ああ、気を付けて。飲み物代はこっちが持つから」
席を立ったA君の背中に向かって、私はもう少しだけ伝えておいた。
「三階の映らなかった部屋。あそこがクサい」
聞いていたのかいないのか、A君はそのまま早足で店を出て行った。
この先はA君自身の問題だ。
だから、私は一切関知しない。
けれど、向こうから話してくれるなら、もちろん喜んで聞くだろう。