拳骨伝
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はああ、どうも暑い日続きで参っちゃうよなあ。6月に入ったら、少しは暑さも衰えてくれるといいんだけど。
いやね、友達が結婚式をあげるんだよ。ジューンブライドだかなんだかで。男ってさ、肩とか背中とか出せる女と違って、パリッと服に身を包んでんじゃん。今以上の気温であの装備とか、汗をかきまくって仕方ないと思うんだけど。
結婚式場か。俺、足を運んだことないけど、エアコンとかきいている場所だといいんだがな。それとも、それらなしのガチンコな式場なんだろうか。
しっかし、結婚式って「冠婚葬祭」に入るだけあって、めちゃくちゃ手間がかかることみたいだぜ。
創作だったら告白から結婚まで中略、なんて手も使えるんだが、あれになじんでいると、いざリアルに自分がやるとなったら、億劫さが勝つんじゃないかと不安になってくるんだが。指輪の用意とかも、どの店ならいいのか、まじで給料三ヶ月分をかけなきゃいかんのか、とかもな。
……ああ、そうそう。指輪といえば、最近、少し風変わりな話を仕入れたんだよ。
お前、物を書いているなら、ネタはいくらあっても困らんだろ? 聞いてみないか?
とある日本の集落には、村人が毎日、小さい頃から行っている習慣があった。
それは両手の指を、丹念にもみほぐすこと。家族がいる場合は交互に相手の指を、居ない者は空いている手を使って、前後から、左右から指先で挟み、圧をかけていくんだ。
健康法という側面もあったが、ある変調が身体に起きていないか、調べる意味が大きい。
この村には、夏が近づくと厄介な客が訪れる。それに対抗するすべを見極めるためだったとか。
それは、今日みたいにとても暑い日のこと。
朝早くから諸用で出かける、両親の留守を預かっていた少年が、日課となっている指揉みをしていたんだ。
しかし、その日はどうもいつもと感触が違う。小指の付け根の部分が、妙に硬くなっている。他の部分と揉み比べてみると、明らかな差だ。まるでその部分だけ、鉄が仕込まれてしまったかのような。何度触れても、治る様子はない。
にわかには信じられなかった。必ずしもすべての人に現れることではないと聞いていて、自分に当たることなど、内心では信じていなかったこと。その事態が、本当にやってきてしまうなんて。
結局、両親が帰ってくるまでの間、彼はひたすら、自分の硬くなってしまった小指部分を、懸命に指圧し続けていたとか。今からでも、これを取り消すことができないか、という願いを込めて。
隠し立てをすることもできず、彼は両親にも指を揉まれて直に確かめられた後、村長のところへ連れて行かれる。出迎えてくれた村長も、顔色からすぐに事情を察したらしく、彼を預かると自分の家の離れへと連れて行った。
そこには老若男女を問わない、十数人の村人達がいた。体つきもまばらだが、その指にはある特徴が見受けられた。
どの指も付け根の辺りに、指輪らしきものをつけているんだ。色は白を基調としているものの、その汚れ具合は人によって異なっている。ほとんど灰色に近い者もいた。
「自分に課されること、分かっているな?」
彼の背中を支え、ここまで案内してきた村長が尋ねてくる。
「――指の付け根が固くなりし者は、集まって『戦士』としての訓練を受けなくてはいけない」
彼は、親に言われた通りのことを繰り返す。この骨が硬化する時は、自分が戦うべき時が来たということ。そのための準備として、訓練を積まなくてはいけないということ。
「そうだ。そなたもこれから皆に混じって、来たるべき時に備えて鍛錬しなくてはいかん。
あらゆるものを溶かしめる物の怪。それを打ち倒す力をつけるためにな。
なろうと思って、なれるものではない。そなたは選ばれたのだ。非常に名誉なことなのだよ」
村長は、どこかうらやましげな声音だったが、彼としては冗談ではなかった。
その日から彼は、離れに集められた者たちと寝食を共にし、昼も夜も倒れる直前まで、戦闘訓練を繰り返すことになる。それはずっと後にボクシングとして語られる、「拳闘」と少し似ていて、相手を拳打で打ち倒したり、相手からの拳打ちを受け流したりといった内容が主だったという。だが、その内容は後世のボクシングとは、少し形式が異なる。
双方、常に白い指輪をはめる必要があるんだ。左右合わせて、最大十の白い指輪を骨が硬くなっている部位に重なるようにつける。そして拳を繰り出す時には、必ず指輪が目標に接するようにすること。
これが非常に痛い。かかしなどの訓練用の道具が相手でも、指輪越しに硬くなった骨を伝わる衝撃は、かなりの強さ。彼も最初に行った時には、わずか二回の殴打で涙が出てきてしまうほどだった。それでも、訓練が取りやめられることはなかった。
更に辛いことに、時間が経つにつれて骨が硬化する箇所が増えていく。いずれも手の指の骨の付け根、そのどれかなんだ。最終的に、全員が十の指輪をはめた状態で殴り合うことになる。
防ぎ方も尋常ではない。相手が拳を繰り出してくる一瞬に、自分も拳を出して迎え撃つ。両者の指輪がしっかりとぶつかり合うように、だ。ほんのわずかでも拍子がずれれば、これもまた激痛は免れることはできなかったという。もちろん、まともに受けることになっても。
日々、苦悶の声が響き続け離れの中。しかし、どれほど苦しんでも指輪は外すことは許されない。これがおのずから必要でなくなる時まで、彼らは修練を積まなくてはいけないのだ。
離れの中にいる数人は、もう指輪をつけていない。しかし、その指の付け根には代わりに、指輪の形を模した、白い骨が取り巻いていたんだ。
これらはすべて、内側から皮膚を突き破らんばかりに形を変え、鍛え上げられた硬い骨。指輪をはめた者と打ち合っても、その痛みを受け止めて本体にまでは伝えない、頑強な防具でもあったんだ。
今、離れにいる全員が、この状態になることを望まれたという。はめた指輪の束縛、抑圧を弾き、砕き散らすものへ、自らの骨を変化せしめることが、この鍛錬の最終目的だった。
彼はこの形態に身体を持っていくまで、4年の月日を費やした。どれほど涙を流し、指輪と共に血ににじんだ、己の指を見下ろしてきただろう。けがをし、けがをさせたことも数知れず、酷使され続けた両腕は、若年とは思えない太さを持っている。
ここまでして、鍛え上げなければ行けなかった理由は、夏になるとやって来る、ある者を撃退するためだったという。
ついにその仕事を任されることになった彼は、昼の熱気も冷めやらない日暮れの村の中を巡回していた。すでに村の各所には同じ役目を帯びた人が何名も散っている。
村長の話によると、今日みたいな陽気の日こそ、「奴ら」はよく現れるのだという。
「きゃつらと相対したならば、何よりも落ち着くことじゃ。その鍛えられた指の骨をもってすれば、必ず打ち倒すことができる。だが、わずかにでも骨から反れた位置で触れるのならば、崩れ落ちるのはそなたらの方になるかもしれぬ」
気味の悪さを覚える忠告ではあったものの、彼はすでに度重なる過酷な訓練で、すでにちょっとやそっとの苦痛では動じなくなっている。喰らった時の心配など、喰らってからすればいい話で、ひたすら目の前の仕事を終えたい気持ちでいっぱいだった。
そして、その願いはすぐに叶うことになる。
ある一軒家の裏手へ回り込んだところ、そこには白いもやが漂っていたんだ。
風呂を焚いたりして出たものとは思えなかった。この辺りには、漏れ出るための窓がない。もやもまた怖いほどに整った、抱きかかえられるほどの球形を保ちつつ、その場で浮かび続けて動きが見えない。
彼はすっと、今まで鍛えた通りに拳を構えた。「できれば現れないで欲しい」と思っていたが、もう4年前に離れへ向かった時とは違う。心の内にあるのは疑惑ではなく、使命感だ。
球状のもやが、ぐっとわずかに浮き上がり、身を縮こまらせたかと思うと、広がりざまにこちらへ向けて、無数のもやの断片を飛ばしてきた。
矢のような速さで迫るそれらを、彼は拳打で打ち落としていく。自分の身体に直撃するものだけを選りすぐり、残りはぎりぎりのものも含めて、余裕を持って見送った。ひとすじ、肩先にかすったものがあり、そこからシュウシュウと泡立つ音が、耳元へ注ぎ込まれていく。背後の地面からも、同じような音が聞こえる。
そのようなやりとりが五度。もやの断片を一斉に吐き出す球形は、回を重ねるたびにどんどん小さくなっていく。五回目が終わる頃には、すでにもやは彼の握りこぶしほどになっていた。
そこで彼は反撃に転じる。とどまるもやへ向けて過たず、交互に左右の拳を繰り出し、叩きつけていく。もちろん、指輪さえもおしのけた、出っ張った指の骨でだ。一打ちするたび散りながら小さくなっていくもやだが、指先に熱を感じる。直接、火であぶられているかと思うほどで、つい更に拳を握り込んでしまう。
三十数発は打ち込んだだろうか。すっかりもやは消えてなくなっていた。ため息をついた彼が仕事を終えた両拳を見ると、あの異状に変形した骨もまた姿を消していて、数年ぶりに見る、ほっそりとした自分の指先がそこにあったという。
安堵する彼だったが、振り返った時、断片が着弾したと思しき地面には、丸く、深い穴がいくつもあいていたそうだ。
次の日。骨が消えた面々は、久方ぶりの帰宅を許される。彼もまた両親と再会し、その後を幸せに暮らしたとのこと。
しかし、今となっては、その村がどこにあったかは伝わっていない。あのもやが消えてしまったのか。それともあのもやに負けて、村のすべてが消えてしまったのか。結論は出ずじまいなんだ。