クマ
「どうしたの?レイン」
女の人はその綺麗な瞳に不満そうな色を混ぜながら言った。
「ごめん、ソフィア。ちょっと昔の事を思い出していてね」
レインは女の人ーーソフィアの顔も見ずに、窓の外を見ながら言った。
外は雨が降っている。
「じゃあ、私の話を聞いてなかったってこと?」
ソフィアは今度は言葉に不満の色を混ぜた。
「…そういうことになるね」
ようやくレインはソフィアの方を向く。
ソフィアの髪はくすみのない金色に輝いていた。
服は純白のワンピースを着ている。
まるで天使がそのまま大人になったかのようだ。
「そう、私の話はあなたにとってどうでもいいことなのね」
今度はソフィアが窓の外を見ながら言った。
「ソフィア、悪気があったわけじゃ無いんだ。ただ…」
「ただ?」
ソフィアは直ぐにレインの方を見た。
言葉には今度は幾分かの怒気が含まれていた。
「…何でもない。僕が悪かった。ごめん」
「あら、今日はやけに素直ね」
ソフィアは目を見開いて言った。
「そんなに驚くことかい?ひどいよソフィア」
レインは苦笑いしながら言った。
「ふふ。あなたがいつも言い訳ばかりするからでしょ」
「そんなことして…なくもないか。頑張って直すよ」
レインは木製テーブルの上に置かれているコーヒーを、スプーンで混ぜながら言った。
どこにでもあるようなボランタリーチェーンの小さなカフェには、レインとソフィアの2人しか居ない。
「じゃあ話を戻すけど…」
ソフィアがそう言うとレインの手が止まった。
「ねえ、レイン。どこから聞いてたの?いえ、違うわね。どこから聞いてなかったの?」
ソフィアはなるべく感情を出さないように聞いた。
「…初めから」
レインはコーヒーを見つめながら答えた。
レインの声はか弱かった。
「はあ。仕方ないわね。最初から話すわ」
ソフィアは溜息をつき、呆れながら言った。
「ありがとうソフィア。君は女神だ」
レインはそう言ってコーヒーを一口飲んだ。
「そんなことで騙されたりしないからね」
ソフィアは紅茶を一気に飲み干した。
「もう。ちゃんと聞いててねレイン」
「うん。わかった。ちゃんと聞くよ」
ソフィアは紅茶のカップを両手で持ちながら言う。
「私たちはこれからレイシュ国とビル国との戦争に参加するわ」
「うん」
「じゃあ、今はレイシュ国とビル国のどっちにいると思う?」
「…レイシュ国?」
「そう。なんで疑問系だったのかはこの際聞かないわ」
「ありがとうソフィア」
レインはソフィアに笑顔で言った。
ソフィアはそのレインの笑顔を見て顔を赤くした。
「ソフィア?」
「ゴッホン!何でもないわ!」
ソフィアは咳をした後、軽く頰を叩いた。
「続けるわね。レイシュ国にいる理由は、純粋にレイシュ国に雇われたから。明日にはこの国の軍部大臣と面会する予定よ」
「確かレードルだったよね?」
「ええ。レードルは戦略家としても有名なの。きっとレインは話が合うはずよ」
「そうだね。でも有名な戦略家なら傭兵なんて雇わなくても戦いそうだけど」
「そう、それこそが今回重要なところよ。この国は今敗戦ムードにあるの」
「レードルがいるのに?」
「レードルが軍部大臣になったのはつい最近のことなの。それまでの軍部大臣がそれはもう、お粗末と言えるほど戦争が下手でね…」
「何でそんな人が軍部大臣だったの?」
レインはコーヒースプーンをいじりながら聞いた。
「前の軍部大臣の名前は知ってる?」
「いや、知らないな」
「名前はクールル・レイシュ」
「それってつまり…」
レインはソフィアの目を見た。
「ええ。この国の王族よ」
「それは何というか…」
「この国の王族だった為に皆クールルのやり方に口を出せなかったの。けどあまりにも負けが続いてね。ついにどうしようもない所まで来てしまったの」
「王族とは言え王様じゃなかったんだよね?王様は何も言わなかったの?」
「この国の人達は身内に甘い、で有名だから」
「…ご愁傷様です」
「だからこの国は今、本当にギリギリなの。国家存続の危機ね」
「レードルも大変だ」
「レードルはこの国の出身でね。それまではメシュ国で戦略補佐をしていたのだけれど、王様に泣きつかれたみたいだわ」
「それでレードルが軍部大臣になったと」
「この国についてはわかったかしら?」
「うん。ありがとうソフィア」
「どういたしまして。さっきも言ったけれど明日はレードルに話を聞きに行くからね」
「わかった」
レインとソフィアはそれぞれ飲み物をもう一杯ずつ頼み、それを2人は会話を楽しみながら飲み終えた。
「そろそろ行こうかソフィア」
「そうね」
そう言って席を立ち、料金を支払って外に出た。
外は時折車がタイヤを水で濡らしながら音をたてて通っている。
雨は止んで居た。
「行きましょうレイーー」
ソフィアがレインに呼びかけようとした時、急にレインはソフィアにハグをした。
「ちょっ、ちょっと!?レイン!?」
レインの身長の方がソフィアより頭1つ分は高い。
ソフィアはレインの背中を抱きしめようか悩んでいるのか、手をワタワタさせている。
「ソフィアは本当に凄いよ。ソフィアのお陰で今の僕があると思うんだ」
レインはソフィアの背中をしっかりと抱きしめて目をつぶって言った。
「そ、そんなことないわ!」
ソフィアは大きな声で、慌てて否定した。
「そんなことあるよ。今だってこうやって情報を集めてくれて」
レインは数十秒ハグをした後手を離し、ソフィアの頬を両手で優しく包み込んだ。
ソフィアは軽く上を向く形になっている。
側から見れば今にもキスしそうな雰囲気だ。
レインはソフィアの目を見つめながら言う。
「ソフィアにはずっとそばにいて欲しい。
ソフィアがいない人生なんて考えられない。
僕はソフィアとずっと一緒にいたい。
僕はソフィアがいないと生きていられない。
だから」
包み込んでいる手の親指はソフィアの目の方に向かう。
「そ、それって…」
ソフィアは瞳をウルウルさせながら息を飲んだ。
ソフィアの目にはレインしか写っていない。
車が通る音はソフィアには聞こえていないようだ。
2人だけ、時が止まっていた。
「…だから」
レインはソフィアを見つめ続ける。
そしてレインは、親指でソフィアの目の下をなぞった。
「だから、休むときはしっかり休んでね」
「……え?」
ソフィアはクマをなぞられていることに気がつく。
レインの言葉の意味を理解したソフィアは真っ赤にさせた。
「わ、わかったわ…」
ソフィア小さく答えた。
「よし!約束!」
レインは手を離し、ゆっくりと歩き出した。
ソフィアも少し遅れてからレインの後をついて行く。
「絶対に無理しちゃだめだからね!」
レインは前を向いたまま言った。
「…こういう所がずるいのよね…」
ソフィアは呟くように言った。
「ん?何か言った?」
レインは振り返って聞いた。
「なんでもないわ!行きましょう!」
ソフィアは走ってレインに追いつく。
そしてレインの腕を掴んで隣を歩きだした。
空は雲も無く澄んでいて、太陽が眩しいくらいに輝いている。




