感情
レードルとステラは逃げ回っていた。
「ねえ大臣、これからどうするんですかあ?」
ステラは走りながらレードルに聞いた。
周囲には相変わらず木々が乱立しており、その中を2人はジグザグに駆け抜けている。
隠れるには最適のマップだ。
「どうするか」
レードルは周囲に気を払いながら言った。
「本当に全部の戦争で勝とうなんて思ってないですよねえ?」
「いや、思っている」
レードルの言葉を聞いたステラの顔が暗くなる。
それでも足は止めていない。
「私は、どんなことがあろうと大臣についていくつもりですう。でも明らかに間違えていることには指摘しますよお」
「この判断が間違っていると?」
「もちろん。勇気と無謀は違いますう」
「それなら私が蛮勇というもの見せてやろう」
レードルの言葉にステラは不満そうな表情を浮かべた。
急に視界が開ける。
レードルはそこで立ち止まった。
ステラも慌てて立ち止まる。
2人はマップの中央、巨大な古代樹の根元にまで来ていた。
周囲には木々はもちろん雑草すら生えていない。
古代樹に養分が吸い取られたためだ。
一帯が広場のようになっている。
陽の光は葉によって遮られた。
古代樹以外に生きているものは何もない。
あまりにも大きな力を持っているが故に。
「隠れていないで出てきたらどうだ」
レードルの言葉に反応して木々の間から人影が現れる。
「バレておったか。奇襲しようと思っとったんじゃがな」
人影は右手で長いヒゲを触りながら出てきた。
左手は懐に入れている。
「ダミアンはどこへ?」
「見当違いなところを探しておるわい」
「そうか。それで裏切り者が何の用だ?」
「何の用も何もあれはどう言う意味じゃ」
「私がスキルを発動した時の話か」
「それ以外になかろう!でなければ逃さんかったわい!」
「ドミニクが激昂するとはな」
「お主も同じじゃろう?」
2人の間に沈黙が訪れる。
レードルとドミニクはお互いに目を逸らさない。
ステラはいつでも動ける様にスキルを発動していた。
「それで、あの言葉についてだったな。そのままの意味だ」
「そんなこと許されるはずがなかろう!」
「いいや許される。裏切り者とその息子など。クールルも嬉々として2人を矢面に立たせるだろう。恩義も忘れてな」
「そんなことあるわけないわい…」
ドミニクは一瞬目線を下げた。
「自分でも信じていられないやつの為に命を賭けるのか?」
レードルはドミニクの目を見続けている。
目を通して心を見透かすように。
「……そもそもあやつは家族でも何でもない」
「その言葉を聞いて王は、国民は納得するかな?血は繋がっていないとはいえ赤子のころから育ててきたんだ。ここでそれを否定したら育ての親という存在そのものを否定することになる」
「………法律上は何の問題もないはずじゃ」
「王の考え方はそうだろうな。だが国民は違う。国民は感情で動く」
「クールル様が国民の意見を取り入れると…?」
「ああ。敗戦の責任を簡単に押し付けられるのだから」
レードルは相変わらずドミニクの目を見ている。
今度は目を通して頭に説明するように。
「それならばお主はどうするつもりじゃ?」
「私はドミニクが裏切ったせいで負けたと騒ぎ、そして今の王を殺して死ぬ。国を守る為には仕方なかったと言い残して」
「運命に弄ばれた憐れな大臣の出来上がりというわけじゃな」
「その通り」
ドミニクは苦渋の表情だ。
老人だと言うのに顔からは汗が出ている。
「一体何を望んでいるのじゃ…。わしはすでに裏切った。その事実を覆すことはできん」
ドミニクは目を鋭くしてレードルのことを睨んだ。
「今度はビル国を裏切ってもらう。未来の王か息子か、二つに一つだ」
レードルは有無を言わせないといった表情だ。
ドミニクは天を仰いだ。
右手は顔を押さえている。
「具体的にどうなるか教えよう。このままレイシュ国を裏切った場合、レイシュ国はこの戦争に負けてクールルは王になる。傀儡の、だがな。それでも当分は殺されずに王を演じ続けられるだろう。そして長い年月をかけてビル国に吸収される。もちろん息子は処刑済みだ」
レードルは得意げだ。
まるで先程のダミアンのように。
「ビル国を裏切った場合、レイシュ国は勝ち息子は生き残る。クールルは殺されるがな。そしてそれからは毎日戦争だ。死人は出ないVRで。勝つか負けるかは私次第だが、私にはまだまだ秘策がある。どうだ、こちらの方がいいと思わないか?」
レードルの言葉を受けてドミニクは目を瞑ってヒゲを触り始めた。
しかしながらその立ち姿に一切の隙はない。
どのくらい経っただろうか。
木の葉がひらひらと遠くから飛んできた。
「一つ聞きたいことがあるんじゃが」
ドミニクは片目を開けて聞いた。
「なんでも聞いていい。秘策のことについてか?それともクールルを生かす方法についてか?」
レードルは口早に言った。
「なぜルークのことを息子としか呼ばなかったんじゃ?」
「は?」
レードルにしては珍しい素っ頓狂な声だった。
ドミニクの顔は至って真面目だ。
そして真面目の中に狂気が見え隠れしている。
「お主とルークはいい関係を築いていたと記憶しておるんじゃが。それこそ皆と同じように」
「おいおい、そんなことを話している場合か?」
「やはりお主にとってはそんなことと言ってしまう程度の話か」
「何を言っている?」
「やはりワシはクールル様を信用するとしようかの」
「なぜだ!?」
「クールル様の方がお主より情がある思ったからじゃ」
「たかが呼び方だけで?」
「そう。たかが呼び方だけで」
「頭がおかしいんじゃないのか?」
「そうかもしれんのう」
ドミニクは笑った。
「たったそれだけのことで息子を見殺しにするのか!?」
「いいや見殺しにはせん。そもそもお主の話した内容が真実であるとも限らんしのう。このままレイシュ国を裏切った場合、ルークが死ぬ可能性は大方30%程度というところではないか?」
「だとしても30%だぞ!確実に息子が生き延びる方法があるというのにそれを捨てるのか!?」
「残りの70%もあればあやつは生き延びる」
「ならばクールルはどうだ!?ビル国を裏切ったとしてもあいつは90%の確率で生き残るぞ!?」
レードルは必至の表情だ。
「それでもワシはこのままレイシュ国を裏切ろう」
ドミニクの顔から汗は引いていた。
「訳がわからない…。合理的に考えてビル国を裏切った方がいいじゃないか…」
今度はレードルが天を仰いだ。
「人間は頭で判断する前に既に感情に支配されておるのじゃよ」
「合理的な選択をできないただの馬鹿だろ…」
「その馬鹿に自分の人生を断ち切られた気分はどうじゃ?」
ドミニクの顔には嘲笑や怒りではなく呆れが浮かんでいる。
「クソッ!クソッ!クソッ!!!!」
レードルは地面を蹴り始めた。
「やはりお主を選ばなくて正解だったわい」
ドミニクはそう言うと腰の刀を抜いた。




