剣術
トキハカシノカミの提案を受けてツキヨミは、時空の旅に出かけることにした。従者を連れずに、一人の旅を選んだのは、マナの無い世界を懸念した事もあるが、時空の旅は神威を纏う者しか使えない、ニニギがこの世界に来れたのは、ツキヨミの助けあっての事であった。
カグツチにツキヨミは日本刀の製作を依頼した、たぶん長い旅になる。身を守るため、そして剣舞のための剣でもあった。ツキヨミは迷うときよく舞を舞う、虚空にあって剣舞を舞うこともある、剣の刃に身を置くとでつまらない迷いなど吹き飛んでしまう。
カグツチの操る火を眺めながら、恍惚とした表情でツキヨミは傍らに座っている。この時間が永遠に続けば良いと思った。なぜに火を操るカグツチの傍らがこんなにも心地よいのだろう、
「その笛は?」カグツチはツキヨミが持っている笛に興味をもった、美しいしかし華美でない、ツキヨミに似合う横笛である「竜笛でございます、アメノウズメ様より頂きました」カグツチはツキヨミの笛を所望した。ツキヨミは笛を奏でた、舞と音楽の神アメノウズメに愛され、全ての技能を授けられたツキヨミの笛は殷々と神威を乗せて響きわたる、曲に名は無い、その時々のツキヨミの心を笛は奏でる。竜笛の凛とした音はカグツチも心を奪われる。
紫の刀袋に入れられた日本刀をツキヨミは押し頂いた。「私の命です、大事にします」
巫女姿でツキヨミは鈴の結んである杖ひとつで出かける、空間収納庫に全ての荷物を入れて、外見は手ぶらに見える。心を集中して時間と行く先を思い描く、そのとき、偶然か、時空間の嵐がツキヨミを襲った。
ツキヨミは時空の狭間にいた。景色は常に変化し、平衡感覚が乱され、地面はたゆまなく変化する、最初は歩くこともかなわなかった。数日が過ぎるころ、やっと数歩歩けるようになった。さらに一ヶ月、手探りで、掴まりながら歩けるようになった。さらに半年、走れないが普通には歩けるようになった。さらに半年、走り回ることが出来るようになった。悪意ある植物のつるが、何度となく襲い掛かってくる、3年の月日が過ぎるころ、暗闇でもつるの動きを先読みし、気負いもなく普通に歩けるようになっていた。植物の実で飢えをしのぎ、小動物を精神魔法で操り、食料を集めさせた。
3年が過ぎたころ、いきなり空間が変化した、ツキヨミは別の空間にいた。人々の声が聞こえてくる、里と言うより街の中であった、ツキヨミの記憶の中にある日本の景色があった。剣術道場の門前でツキヨミは倒れたらしい。
「あんた、大丈夫か」野太い男の声に、助けられた、と心の内で安堵の声をつぶやいた。
道場主の娘が甲斐甲斐しく看病してくれる。多くの門人たちがいる、学校を兼任している大道場だ。
時空間の狭間という、特殊な環境での3年間は、ツキヨミの体を弱らせた。娘の名は、かおり、ツキヨミと同年輩の十代後半の明るい娘である。
「こちらに知り合いはいないのですか。なら父上、こちらで働いてもらいましょう」かおりは道場主の父に頼んでくれた。人手が欲しいのも事実らしくツキヨミは住み込みで働く事になった。
「ツキヨミさんは、剣術をならったことがあるのですか」道場主に声をかけられた、「僅かですが、あります」ツキヨミの日常茶飯の動きに、師範は初めから注目していた、「立ち会っていただけますか」師範の言葉にかおりがびっくりした。「父上、何を言っているのですか」、かおりの言葉を無視して師範はなお続ける、「お願いします」これ以上断るのはまずいと思って「わかりました、仕度をしてきます」ツキヨミの試合仕度は、長年剣術に親しんで来た者の雰囲気と変らなかった。ツキヨミは入力されたデータとして剣術を知っているだけだったが、ツキヨミの場合データは知っていることと同意語であった。師範の剣は凄まじかったが、時空の狭間の3年間はツキヨミを防御の天才にしていた。ただ攻撃が不得手だった。
師範はツキヨミの才能にほれこみ、自身の知る全ての剣技を覚えさせた。また体術、様々な武器術、暗殺術、忍術、水泳術、罠術、追跡術、読心術、治療回復術、護衛術、戦争戦術、戦争戦略術、奇襲術、どうやらツキヨミを自分の後継者に据えたいらしい。数年の時がたったころ事件がおこった。
道場に城主が視察に来た、この道場は単なる道場でなく、総合大学のような道場であった。城主の前でツキヨミは剣舞を披露した。つるぎの舞の水の流れるような一太刀、一太刀に神威と荘厳な静謐を感じる。そこにいた全員が神の御前にいるような気持ちになった。
「まだ、ツキヨミには話していませんが、ツキヨミを道場の師範代にしようと思います」師範が領主に報告した」「まだ年若い女性だが、不満が起こらないか」城主はツキヨミの剣舞を見ているが、道場の運営を考えると、技術だけでは納得しない者が必ず出る、若い女性というだけで問題になる、ましてツキヨミは美しすぎる、まるで女神を見ているように城主には思える。
「実技を見てみたいですね」奥方が城主に話しかける。「私の護衛部隊を戦わせてよろしいでしょうか」領主は了解した、10人の年若い女性がツキヨミと対峙する。気合一声、1人が打ち掛かってきた、ツキヨミは木刀を左手に持ったまま、右手で相手の手首を取り、気を合わせるように投げ飛ばした、一瞬護衛隊はびっくりするが、次の瞬間、全員でツキヨミに掛かっていた。瞬時に二人、四人、九人と木刀を使うことなく、合気で投げられる。
全員が呆然となった。合気術の奥義を見た思いがする。全員の思いである。
「居合術を見てみたい」城主がつばを飲み込むような声でいった。ツキヨミはカグツチが打った自分の刀を持ち、居合いの全ての型を見せた後、居合いからの据物斬りを演じた。十体の据物を一息で斬ったあと、兜割りを成功させた。
「あなた、この方なら、もしかしたら」奥方が城主に語りかける。




