15.終わらない
……………。
勝った……。
死ぬかもしれないと思った。
でも、勝てた。
私は……危機を退いたのだ。
地面には私が切り落とした髑髏が、光を失って転がっている。
体はずた布のように間隔をおいて裂けている。焼け爛れて臭う箇所もあり、思わず眉を寄せてしまうが、心中は穏やかだ。
悲観はなく、歓喜するでもなく、凪のようにゆったりとしている。
…………ステータス。
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名前:未設定
年齢:0♀
種族:暗猫
Lv.26
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パラメーター
HP:1020/1800
MP:2090/2180
筋力:830 瞬発力:3066
防力:228 魔攻力:1500
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スキル
隠蔽Lv1 呪眼Lv1
魔法Lv.4(火、水、風、闇) 毒付与Lv.3
インベントリLv.Max
希少スキル
経験値増大 能力向上幅増大 限界突破 バーサーク
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称号
立ち向かう者 血染めの疾走者
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レベルは26に上がれてるね。
これで、上限って書いてたらこれまでのはなんだよってブチ切れてたよ。
改善して少しかっこよくしても私は前のを忘れていない。
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バーサーク:瀕死状態までダメージを蓄積した場合発動。冷静さを欠くが、傷の痛みを大幅に和らげる。
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これのおかげで私は倒れずに立ち向かえたみたいだね。
感謝しないと。
あ、そうそう。
レベルが一気に上がったってことは、私の作戦が上手くいったってことだ。
元々はレベリングの為に閃いた技法だけど、何が役に立つかわからないね。
安心安全がテーマのやり方だったのにまさか戦闘中にやるはめになるとは。
種を明かしてしまえば簡単なカラクリで、今回使ったスキルは2つだけ。隠蔽も入れれば3つか。
リッチが察知できてなかったようだし、役に立ってたはずだ。
魔法特化なのに、わかってなかったのかな……。
使用したスキルも、とった行動も、実はいつもやっている事と変わらない。
毒付与と風魔法。このコンボは凶悪だ。
少し前に遭遇したモンスターハウスで実証したとおり、時間さえあればこの階層の魔物は倒せる。それはあの空間にいた大量のリッチも例外ではない。すし詰め状態で気づいてたのかどうかは判断できなかったけど、最終的には耐えれてなかったし。襲ってきた個体が特別に毒耐性を持ってないのは呪眼に統合された鑑定で知ってた。でも、私はあえて毒風をダンジョンの中へと放った。目前の敵に気取られないように。
だって、たとえ無色だったとしても、魔力を感知できなくても、流石に自分の体調がおかしかったらその原因を探して暴れるだろう。だから、私は保険として自分のレベルを上げる方法を取った。実際勝ったし。
レベリング方法として実績はバッチリだな。
っ!
そういえば怪我してるんだった。
レベルアップはしたのに傷が治らないなんて不親切なことだ。
品揃えの悪いことに回復系スキルの持ち合わせはない。
今はできたとしても、荒療治に傷口を焼いて止血するくらい。
根本的解決にはなっていない。
自己治癒力を待っていては、元の状態に戻ることはないだろう。
折れた骨は捻れてくっつくだろうし、傷口だって、水で洗い流しただけでは疾患を患う可能性もある。
助かる方法としては、
新スキルの取得。
最下層に行ってダンジョンマスターか、もう1人の子供に頼る。あとは、望みは薄いかもしれないが、下の階層で回復薬として使えるものがあるかもしれない。
兎にも角にも目指すは下だ。
このまま痛みと余生を過ごすのなんて私は嫌だからね。
◆◇◆◇
ヒュー…………ヒュー。
脆弱な呼吸音が、リズムを刻む度に刺すような痛みが全身を這う。
血を流しすぎたのだ。
HP:462/1800
傷は焼いたが、あれから体力も減り続けている。
視界も朧気で、気を抜けば敵の接近を許してしまいそうだ。
幸いにも、まだ鉢合わせはしていないが、それは本当に運がいいだけ。
これまでの道のりで、私はスキルの維持すらまともにできておらず、痕跡も他分に残してきた。
やらないではなく、できないのだ。
それ程までに私は摩耗している。
足取りは不安定でスキルも使えない。
襲われればひとたまりもないだろう。
歩き始めて数分でこの調子だ。
きっと、私が下に到達することはないだろう。
状態はよく知っている。
見ず知らずの場所で1人きり。幾度も降りかかる死の恐怖。
気丈に振る舞ってはいるが、内心いつ何が起こるかわからず怯えている。
死にたくはないけど、強くならないと死んでしまう。
焦りから、安全性を考慮しないことばかりしてきた。
そのつけが今になってきたのかもしれないと思うと、どうしても笑えない。
何をしているんだ私は。
揺らぐ足取りのせいでよろけてしまい、壁によりかかる形で膝を折る。
つくづく思い知らされる情けなさ。こんなにも、私は弱い。
支える人が居ないと立ってすらいられない。
かつての自分の、なんと恵まれていたこと。
帰り、たいよ…………。
あの頃に戻りたい。
学校の帰りに寄り道して、クレープを分け合ったあの日に。
はしゃぐ私を収めてくれる、彼女のいる頃に。
「帰りたいよね?」
つっ伏す私の耳朶が震えた。
ハッと前を向くと、そこにはよく知る人物が笑顔で座っていた。
「嫌だよね、こんなにも必死なのに苦しい道しかないなんて」
濡鴉色の髪と瞳。冷徹な風貌に反して人好きがする笑をたたえる、ズレた女。私の嫌いな顔。
「おかしいよね、なんで私ばっかりこんな目にあってるんだろうね」
同情的に呼びかける声が脳に張り付く。
私が嫌いな声だ。
「でも大丈夫!これは夢なんだから。きっと、目覚めた後にはいつもの日常に戻ってるよ」
いつものって、彼女の居ない空虚な毎日でしょ。
「ゆうちゃんも居る。今度こそ間違えないよ」
黙れよ。その顔で彼女を呼ぶな。
「でも、ゆうちゃ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈」
“私の分際で”何いけしゃあしゃあと語ってやがる!
彼女の何を知ってそんな口を聞いてやがんだよ!
何も知らないだろ!何もわかってやれず支えられなかっただろうが!!!!!
「心外だなぁゆうちゃんいつも笑ってくれてたじゃん」
気を使ってたんだよ!私のために!私のせいで!
「なんでそんな事言うの?ゆうちゃんを疑うの?」
気づくと、私の姿を象っていたものは歪に歪み、少しずつ溶け始めていた。
「どうして?なんで?やり直せるんだよ?」
そんなわけが無い。彼女は死んだ。
もう会うことも話すこともできやしないのだ。
「酷い、酷いよ。あんまりだよ」
既に人の形すら保てていないが、瞳だけが変わらずにこちらを睨みつけている。睨み返すとそれに呼応するようにその瞳が一瞬だけ怪しく揺らいだ。
!!!
全身の傷口に衝撃が走る。
何かが内側から這い出ようとしているようだ。
激痛から内容物を吐瀉する。鈍痛が止まらない。頭痛で思考が揺らぐ。気持ち悪い。
動作をひとつ起こす度押し寄せる吐き気に正気を失いそうだ。
「お前が、お前が居たからゆうちゃんが死んだ。購え。償え。己の無力に絶望しろ」
割れてしまいそうな頭を抱えて蹲る。
そこで漸く気づいた。傷口から何かが飛び出ていることに。
それはほんの一部だろうが、私の目を引きつけるには十分過ぎた。
それは、子供の手。未熟児サイズの小さい手。
それが、傷口の至る所から幾本も生え、外に出ていこうと顔を突合せて蠢きあっていた。
その光景を最後に、私の正気は失われた。
狂ったように傷口を抉り、赤子を外へかき出す。
全身から湧き出る未熟児に魔法を放つ。しっぽは切り飛ばされ、眼は潰れ、片腕は肉を残していなかった。
骨しかない腕を振って走ろうとするが、願いは叶わず、
足を掴まれ邪魔される。
目を向けると、転がった髑髏に足を噛まれていた。
トラバサミのように締め付ける髑髏に蹴りをいれるが、一向に離そうとしない。
その間にも、私だった者は距離を詰めてくる。
全体の輪郭は丸みを帯び、揺れていた瞳は爬虫類特有の瞳孔に改変していた。
エンドフロッグ。
個々によって違う魔眼を所持する魔物。
魔眼の種類は多岐にわたり、中でも強力なのが石化、絶命、そして“幻惑”の3種類である。
追い詰められた恐怖と狂乱が、自分の足を切り飛ばす。
前と後ろ足を1本ずつ失い、それでも剥き出しの骨を振って走る。
立ちはだかるエンドフロッグを焼き払い。
血を流しながら奥へと奔走する。
やがて開けた空間に出るも、それだけ。
先に通じる道もなく、魔物がいる様子も無い。
しかし、猫は走り続け壁に体をうちつける。
何度も何度も壁に衝突を繰り返す。
そして、来るべき時が来た。
満身創痍の体は動かなくなり、その場に伏す。
傷つき腫れ上がった顔。肉の無い前足と先端をなくした後ろ足。焦点の合わない瞳からは血の涙が垂れ落ち、暗闇が迫ってくる。体を抱きしめ、弱くなっていく脈動に耳を澄ます。
この時ダンジョンは、数日ぶりの平穏を迎えようとしていた。