別れ
「んがあ゛ぁぁぁぁぁ」
帰宅途中にある桟橋に、脱力して寝そべる一人の変人がいた。
ファッションセンスの欠片も窺えない格好。
寝癖隠しなのか、目深くかぶられたハンチング帽が、ただでさえ近寄り難い雰囲気に拍車をかけている。
時刻は平日の昼下がり。
社会人なら働き、学生ならば勉学を教授している頃合だ。
なのに、その少女は何をするでもなくアホズラを晒して呑気に昼寝をしている。
とても目立っている。言うまでもなく悪い意味でである。
散歩に勤しむ老夫婦が指をさして笑いものにするくらいには悪目立ちしている。
しかし、変人改め私はたじろぐこともしない。
笑われるのには耐性がある。
いくら陰口を叩かれようとも私は自分のことをおかしいとは思わない。
別段地面に思い入れもなければ、木の感触に満悦する異常者でもない。
俗に言う、「か、勘違いしないでよね」だ。
私だって、学校でのいざこざさえなければこんな所で五体投地なんてしていない。
確かに、ファッションセンスに難のある私が私服で登校したのはまずかったとは思うけど。あそこまで言うか普通。
「どなたかは存じ上げないが、ここはコスプレ会場じゃないんだ。通報されたくないなら出ていってくれ」
教室で顔を合わせて第一声がそれだ。
教師!おい!
教え子の顔くらい覚えててよ!
登校拒否で日数が空いたにしてもあんまりだ。
もう二度と行くもんかあんな学校。
落胆か憤りか分からない溜息を吐くも、心中に変わりはない。
思わず顔を顰めたのは、まだどこかに不登校となった事件への後悔が燻っているからか、たんに水面に照りつける陽射しを煩わしく感じたからかは、まだ私には判断つかない。
ひとまずは、脳裏に浮かんだ若ハゲ教師が全て悪いことにして気分を切り替える。
なんにしろ、暇を持て余していることに変わりはない。
このまま家に帰ってゲームでもいいが、折角家から出たのに即帰宅では、なんだか味気ない。
どうせなら、何かしらのイベントでも起きて欲しいところだ。
「」
誰か、私の背にナイフを生やしてくれないかな。
そんな世迷言をつらつらと思い浮かべながら、私は何の気なしに辺りを見渡した。
「あっ……………………………………………………………………………………………………………」
一旦逡巡して、私は起き上がり、桟橋近くの芝生へと駆けた。
緩い傾斜のついた、道路沿いのスペースだ。
「あららぁ〜猫さんじゃないかぁ」
目に入ったのは芝の上で、横向きに日向ぼっこをしている猫の姿。
三色の毛並みをした三毛猫は野生には似つかわしくない無防備な姿を晒して眠っている。
惰眠を貪るその体制はまさに怠惰。
どうやら、防衛本能をどこかに忘れてきたらしい。
似たような姿で寝ていた私が言える立場ではないが。
「ごめんだけど少しだけ癒しをわけてくださいねぇ」
猫なで声で懇願してみるも、反応はなし。
横に変人が居るにも関わらず一切動じない。
こんな所で寝てたら悪い人にイタズラされかねないのに豪胆な猫だ。
ほんの少し臭いに難はあったが、そんな事は些事に過ぎないとすぐに気にならなくなった。
可愛いは無条件に正当なのである。
それにしてもこの猫大人しいな。
首輪をつけていないのは引っかかるが、妙な落ち着き具合を見るに、どこかで飼われているのかもしれない。
ゆったりとした手つきでお腹を撫でる。
ピクリとも動かない姿に疑念を抱きながらも、左右に揺れる手は止まらない。
若ハゲ教師から負わされた傷心も手伝って、頬は終始締りがなかった。
予期しなかった日常の癒しに充足を感じる。
しかし、だ。
警戒心がないのは生物としてあまり善い傾向とは思えない。
起こしてしまうのは忍びないが、これも教育だと悪い人こと私が罪悪感半分、悪戯心半分で体を軽く揺する。
「お〜い、猫さんやーい。起きてくれよぉ〜」
しばらくの間揺らし続けるが、猫は案の定というか、当然当然動かない。
遠目から私を眺め、何やらささやきあっている人達。
顔を歪ませ、不快感を惜しみなく露わにしているも、何事かを伝えようとはしてこない。
うん、気になんないよ。あんな人達のことなんかね。
「寝坊助さん。こんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよぉ〜」
猫はもう、動かない。
「そっか…………」
声が震えたことに疑問は浮かばず、ゆっくり私は猫から手を退けた。
「猫さん」
拒絶していた事実を、自分に言い聞かせるように、言葉にして、噛み締める。
「死んじゃうのは悲しいじゃないか」
最初の一撫でで猫から体温を感じないのは分かっていた。
温もりがなけりゃ、そりゃ気づく。
ましてや手に液体がまとわりつくのだから嫌でも理解させられる。
最初の一目で分かっていた。
なぜなら、
その猫の首から上は、
原型をとどめることなく、
四方に飛び散っているのだから。
私は、その情報がもたらす真実に悲愴してしまう。
この場所が道路に面していることからこの惨状をもたらしたのが人間であると思い至り、続けざまに怒りが湧いてくる。
何故、生前を知らない猫の死にこれほどまでの怒りの感情が湧くのか。
それは一重に、この猫を親友に照らしてしまったからである。
こんなにも人目のつく場所に居るのに、誰も近寄ろうとはしない。
そればかりか、眉を寄せては離れていく。
同族がやったと理解していて見て見ぬふりをする。
その光景が、引きこもる原因となった親友の死を彷彿とさせたからである。
唇を噛み締め、鉄の味がする。
「猫さんは生涯を楽しめた?」
猫の亡骸に話しかける私は、きっと周りから見たら忌避される存在なのだろう。
馬鹿でひねくれてて、不器用で何も出来なかった私には相応しい報いだ。
だけど、この猫には…………せめて一言だけ。ほんの一言だけ。
私の自己満足のために言わせてくれ。
「お疲れ、さま」
この世界を最後まで、精一杯生き抜いたこの子を尊敬する。
私が諦めて逃げた事を、この子は果たしたのだ。
この子は、なにか残せたのかな……。
何も残してくれなかった親友が考えをよぎり、ふとそんなことを考えた。
まだ日の高いお昼過ぎ。
こんなにも悲しい光景に、しかし、世界は美しい時間を刻み続ける。
雑多な喧騒は相も変わらず騒々しく。うだる熱気に立ち向かう草花は、昔に劣らず可憐で強かだ。
私とは違うその強さに、馬鹿馬鹿しくも嫉妬してしまう。
まったくもう…………荒んだ心をいじめるのも大概にしてくれよ。
ミャ〜
込み上げてきた悲壮感を必死に押さえ込み、呼吸を整えると、不意に背後から聞こえた鳴き声。咄嗟に、俯きかけた顔を向けた。
道路を挟んだ向かい側に、まだ幼いながらも拙い足取りで、懸命に近ずいてくる子猫達の姿がある。その毛色は、手元にいる猫と同じく三色に染まっていた。
嗚呼……君は、残せたんだね。
この世界に生きた、確かな証を……
この広い世の中で、この子のことを悲しんでくれる存在がこんなに居る……。
私は近寄ってきた子猫の一匹を腕に抱いて、横たわった親猫を見やる。
「君は本当によく頑張った…」
知らない間に涙が頬を伝っていた。
私の中で悶々としていた何かにほんの少し整理がついた気がしたからかもしれない。
拭う気は無い。今暫くは、この愛おしさに感情を預けておきたいから。
改めて、この名も知らぬ母猫に、尊敬と敬意を込めて……
「ありがとう、お疲れ様」
その時だった。
体の芯をふるわせるような轟音が鼓膜を揺らす。
それは日常的に耳馴染みのあるクラクションの音だった。
目の端にとらえたのはクラクションを鳴らしたであろう車。
そしてその正面には、あろうことかこちらに向かってくる途中だった子猫の一匹が突進してくる車に目を丸くして硬直していた。
駄目だ。
その子は…………駄目なんだ。
気がつけば、私は子猫を守る形で道路に飛び出していた。
次第に近ずいてくる車はとてもゆっくりに見え、死を予感させるには十分な時間だった。
これが走馬灯………………?
そうか、死ぬのか私……。
何もやって来なかった。
何も残せなかった。
後悔に振り回された人生。
でも、せめてこの子を助けられるなら、母猫の宝物を守れて逝けるなら。
私の人生にも、少しは意味があったのかな……。
その思いに返答はなく、辺りには鈍い衝突音が聞こえるだけであった。
新参者なので誤字脱字や感想を送っていただけたら嬉しいです!
これからも、この作品をよろしくお願いしますです。