○*目利きの日*○ 螢×楼主
「……なに、手塩にかけて育てれば良いだけだろう」
瞳も、髪も装いも。
漆黒が似合うその人はそう言って。
わたしの顔に添えていた左手の親指で、涙の跡が付いたままの頬が、軽く拭われた。
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品定めをするかのように、珍しい色合いのこの翠の眼を覗き込まれることは何度もあった。
それでも「髪と眼の色は珍しいが、病弱な小娘では、使えるようになるまで育たない」と皆同じように難しい顔をしたまま、首を横に振るのだ。
会ったばかりの名も知らない大人からも、生まれ育った村で聞いたものと同じ事を言われてしまう。
ーーわたしにだって、優しい両親が居たのに。
ーー好きで、病にかかるのではない。
ーーこの将来、自分はどうなるのだろう……
口には出せない思いが、浮かんでは消える。
朝日の明るさで目を覚ますたびに、頬には涙の流れた跡が付いていた。
昼間はひたすら歩いて、歩いて。
日が暮れるまで泣く暇もなければ、体力も残って無いから、寝てる間に勝手に涙が零れるようになったのかもしれない。
なんでも、"市"のようなところで"競り"があるらしい。
そこからまた、生まれ故郷から遠くに売り飛ばされるのか、と考えただけで体だけでなく心も重くなる一方だった。
初めから、何処にも行くあてなんか無いけれど。
ゆっくり横になって休めるところなら、もう何処でもいいかもしれない。
暗い瞳の、ふらふらと足元の覚束ない若い女性や、不安そうに沈んだ表情をしている、自分と同じような年頃の童女。
長旅だったのか、皆埃っぽく、みすぼらしい格好をしていた。
そんな女達を、荒々しい言葉を吐きながら手荒に引っ立てては、物のように扱う人買い。
ちらほらと居る身なりの良い人達は、この"女と童の市"に慣れているのか、目の前の状況にも"どこ吹く風"の表情で、人買いとなにやら交渉している。
何も視界に入れたくなくて唇を噛み、俯こうとしたら「顔を上げろ」と後ろから小突かれてしまった。
ーーいつの間にか、わたしが値を付けられる番だったらしい。
ここに来るまでに寄った何軒かの宿場でも「ウチの"飯炊き"には向かない」と言われてきたのに、顔を上げたくらいで、何か変わるのかわからなかった。
「……さっさと来い。お前は花街の旦那が買った」
はなまち?なんて聞いたことがなくて、思わず口に出していた。
「…….女ばっかりの街のことだよ。そこでの仕事は、きれーに着飾って、見世に来た男の相手をすること」
近くに座り込んでいたお姉さんは、"はなまち"を知っているらしい。
「ふぅん……?」
「好いても地獄、好かれても地獄って噂だから、気をつけな?お嬢ちゃん…」
「わたしは…もう、横になってゆっくり休めるなら、どこでもいいよ…」
「あは。それなら天職かもしれないね……まあ、見世への借金こさえないように、せいぜい気張りぃ」
また聞いたことがない。"てんしょく"?
地獄は、生きてた時に悪いことばかりした死人が行く、辛くて大変な場所だったはず。
誰かを好きになっても、誰かに好かれても、辛くて大変な"はなまち"。。。
ぼーっとお姉さんが教えてくれたことを考えながら、とぼとぼと人買いの後を付かず離れずついて行くと。
わたしと同じような年頃の童女を二人連れた、真っ黒な着物の人の元へ来ていた。
その人は急に屈んで目線の高さを合わせるなり、添えた左手で、わたしの顔の角度を少しずつ変え、何かを確かめているようだった。
「光の加減、というわけでは無さそうだな。………珍しい瞳だ」
「ちぃとばかり他より細いのは、病みあがりらしくて、村から歩きづめだったからでしょう。今は、特にどこも悪くねぇんで」
……そう。
"次の季節の変わり目に、体調を崩す前に"って厄介払いされたの。
「お前っ余計なことを……!!」
ーーわたしを買った人なら、知っておいた方がいいと思ったから、小声で付け足しただけなのに。
人買いが振りあげた拳は、頭だろうか。
それとも、頬に振り下ろされる?
痛みを予感しただけで反射的に、ぎゅっと目を瞑ったけれど。
不思議なことに、いつまで経っても打たれた痛みはやってこなかった。
「この者はすでに華苑の花芽。手を出さないでもらおう」
そっと片目を開けると、目の前にいるその人は、人買いからわたしを隠すように右の袖で庇ってくれていた。
近くにいただけの二人の童女も怯えているというのに、わたしは初めてのことに驚きでぽかん、と口を開いたままだ。
「わたしはもう、"かえんのはなめ"?」
「華の苑で育てる幼い童女を、華苑では皆そう呼ぶ」
どうやら、"かえん"には童女が他にも居るらしい。
そして、この人は今し方、人買いの暴力からわたしを庇ってくれた。
それだけで、今まで聞いたことも見たことも無かった"はなまち"への不安も、軽くなるから不思議だ。
勝手にぼやけていく視界の端から、ポロリと落ちた涙が頬を伝う。
「他の子より……体が、弱くても、だいじょう、ぶ?」
「……なに、手塩にかけて育てれば良いだけだろう」
低すぎて聞き取り辛い声に、誰と話す時でも無表情で、冷たい眼をしていて。
たとえ真っ黒な着物を着た、若い男のひとでも。
わたしの翠の眼が、この人の目に止まって、よかった。
細い手足に、病に弱い体でも"要らない、使えない"と顔をしかめて放り出されることは無いらしい、から。
ーー父さん、母さん。
わたし、これから"はなまち"に行きます。
螢は"かえんのはなめ"に、なりました。