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+:✿。華蝶風詠。✿:+  作者: 如月 宙
1/3

○*甘い香りと花一匁*○ 螢×楼主

【第二夜:その後、大変でした】と【第三夜:故意に、逢いを交わす】の間、髪の手入れの話。





今、私は座卓(ざたく)の前に()えた座布団に座り。

いつぞやの楼主の指示通りに、両肩は寝衣からむき出しで、印を付けてくれと言わんばかりの状態でいる。


勿論、気まぐれに背では無く胸元に印を付けられては敵わないから、両手はしっかりと、襟元に添えている。



今まで、言葉での意思疎通がとても困難だったように思う。

……というか、楼主が部屋を訪れる度に、精神的に消耗している気がする。


明日からもきっと、横になる度に今夜の事を思い出してしまって、寝付きが悪くなる様な気がしてならない。



ーー(くだん)楼主(オニ)は、というと。


元々この部屋に(しつら)えてあった鏡掛けを、私の顔が映りこむようにと角度を調整しつつ、桐箪笥から畳へと下ろし終えたところだった。


磨かれた丸い鏡に映るのは、複雑な表情の自分。

見慣れたはずの淡い翠の瞳の中で、不安の色が揺れている。


そうして準備が整ったからか、櫛の歯先が肌に当たらぬよう、楼主の左手が毛先に添えられ。

背後で静かに髪梳きが始まった。




訪れた無言の時間。


互いの表情は見えないのに、髪に触れられているというだけで、何ともこそばゆい。

自分で梳くのとも、髪結師が手際よく束ねながら、スイスイと軽く梳いていくのとも違う。



ふと。そのうち「髪が伸びた分、背の印も下に付ける」などと楼主が言い出したりはしないだろうな、と嫌な考えが過った。


寝衣を下ろすにも限界がある。

せめて印を付ける箇所くらい、私にも意見を述べる権利があると良いのだけれど。



コト、と軽い音をたてて座卓に暗褐色の小瓶が置かれた。

湯浴みの時に皆が使う椿油の洗料とは違う香りのする香油を、楼主は持参してくるのだ。



確か、私の髪に使っているのは茴香(ういきょう)だと教わった。

温かみのある沁み通るような甘さのこの香りは、嫌いではない。


その香油を髪に施す苦々(にがにが)しい人物とは正反対の甘い香りに、いつの間にかゆっくりと深呼吸をしていて、安らかに寝付く事が出来るから。



ーーその前に、緊張と羞恥でいっぱいいっぱいになるせいかもしれないけれど。



キュ、と短くコルクが鳴り、ふわりと香りが鼻をくすぐった。



「…香りが……前と違う?」


「安息香。木の樹脂から採れる精油だ。茴香よりも保香性に優れている」


「なんだか、穏やかで…優しい、香り……」



自然と瞼を落とし、僅かに漂う仄かな香りを楽しむ。



「茴香よりも、安息香が良い、と?」



あいも変わらず、平坦な低い声で事務的な確認をされた。

その間にも、楼主の指がするすると毛先に向かって香油を馴染ませていく。


どこかで嗅いだ覚えのあると思った。

この、甘くて、優しい香りを。


少しだけ、美味しそうな…



「あの、白い菓子の……香りに、似ています」


「……白い、菓子」


「私が幼い頃に、楼主様が一つだけくださった、甘くて柔らかい……菓子です」


「香りはバニラに似ているからな。十年以上も前に、一度だけやった菓子を覚えているとは…」



「よほど、幼少期は甘味に縁がなかったようだ」と。楼主は先程よりも感情の滲む声で揶揄う。


覚えているのは誰のせいだ、とばかりに、私は夢にまでみるあの雨夜の事を本人に伝える事にした。



「菓子だけではなくて、楼主様と誰かが薬棚の部屋で密談をしていたことを、覚えているのです。

………花一匁の唄のような、やり取りを」



互いに顔は見えない。


でも、決して話を聞きもらすような距離では無い。


楼主が自分から言いだした髪の手入れ中にならば、はぐらかされることも無いはず。



「……ほう?お前を人買いから競り落とした覚えはあるが。胡蝶蘭の赤児の話まで童唄に聞こえた、と?」



ーー私を買った時のことなんて、すぐにでも忘れてもらって構わない。

私も、覚えてはいるけれど。



「……もしや、十四年前に楼主様方(・・・・)が身重の胡蝶蘭様に、なにか盛ったのでは、と」



今更過去の真相を知ったところで何もならない上、花街に生きる者の"掟"は例外なく"暗黙の了解"なのだとしても。



「……双子は元来、早産や難産になり易い。無事に生まれる事の方が稀だ。

それでも世間では一生"忌子(いみこ)"と呼ばれる事になる」


「忌子、なんてー…」


「家人がそう呼ばずとも、大店(おおだな)の隣近所や、商売敵はどうだろうな?下世話な噂好きは何処にでもいるものだ。

"花街一の華姫は、羅甲屋に嫁ぐ前に双子を産んだそうだ"と。」



世間知らずな私への、これは苦言なのだろうか。

楼主の低い声音も、毛先を弄る手元も目立った変化は感じ無いのに、いつになく饒舌な気がした。



「華苑に限らず、花街の掟が定まり、守られる所以はな、"皆が困る"からだ。

一介の遊女に限らず、見世を背負う花魁に至るまで花街の女にとって"父親の分からぬ子"は己の首を絞める存在。

想い人の子を孕むよりも、見世の禿(かむろ)を上手く育てねばならん。見世にとっても、長く客をとれない遊女は借金が嵩む。金にモノを言わせる客は、責を負うのを何より嫌う」


「で、でも。千鶴姉様と、千亀(かずき)様はー……!!」


「真実がどうであろうと、胡蝶蘭の産んだ双子を周りが疑う。

"花街一"と名高い美姫が身籠もったのは真実(ほんとうに)、羅甲屋の若旦那の子か、と」



しがない村の生まれで、花街育ちの私が唯一知っていたのは。

極々身近な存在で、想い合う千鶴姉様と千亀(かずき)様のことだけだった。


花街一と謳われた華姫の娘達として、妓楼ではない華苑で育てられることと。


"花街で生まれた、跡継ぎにはならない忌子"と世間で噂されながら、生きていくことと。



ーー望美と美月なら。

"唯一の人"の元へ嫁ぎ、花街を出てから両親と再会できた方が幸せなのでは、との考えが過った。


瓜二つの容姿では無いから、成長した二人が並んでも、知らぬ人には血筋を感じさせるくらいだろう。



自然と、視線が膝に落ちる。


花街で生まれた、というだけで。

双子だというだけで。

世間の風当たりは、幼子にも厳しくなるものなのか。



「この世は、儘なら…………っ!?」



「ないものですね」とは、続けられなかった。



すでに髪へ香油を馴染ませ終えたらしい背後の楼主(おに)は、私に断りもなく背に印を付け始めたのだ。


つきり、とした背の痛みが続く間、変な声が勝手に漏れたりしないよう、寝衣の襟ではなく、両手で口元を押さえていなければならないし。


これは……「黙れ」ということ、なのかもしれない。







.゜+:✿。.゜+:✿。.゜+:✿。.゜






ーー翌日。


昨晩は、もやもやと考えに耽っていたせいで、抵抗する暇もなく…再び2箇所、赤い跡を背に刻まれてしまった。


(コレ)のせいで、皆が忙しくしている時間帯にひとり、広い湯殿を使うようになったのには、もう慣れたけれど。



楽の音や歓談の声で賑やかな御座敷とは反対に、見世の奥へと続く階段を登る。


与えられた部屋の白い襖を静かに開けると、座卓の上に見慣れない箱が置いてあった。

自然と、そこに添えてある小さな和紙を手に取り、書かれた文字を読み上げる。



「ま…しゅ、まろ?」



ぱかり、と軽い蓋を開けると、そこには見るからに柔らかそうな、薄茶の耳と目が描かれた雪うさぎの菓子が4つ。

ちんまりと並んで収まっていた。



「か、かわいい……」



指でつんつん、としてみれば、ふにふにとした感触だった。

誘惑に負け、指先で触れた雪うさぎを口へと運ぶ。


この"もにもに"とした、口当たりの柔らかさ。独特の甘さと香り。


この可愛らしい雪うさぎの菓子……"ましゅまろ"に罪は無い。


罪は、無いのだけれど。



この甘さと香りは、香油である安息香を。

柔らかさは昨夜の背に当たる感触を、思い起こしてしまう。



「……昔も今も。餌付けされてた、のね」



しかも、自分が可愛らしいものや甘いものが好きなことは、楼主にバレているときた。


ふぅ、と悩ましげにひとつ息を吐いた螢は、残った三つの雪うさぎを複雑な思いで見つめるのだった。


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