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2.いきなりですが実戦です

呼吸を荒くなるのに胸が締め付けられそうになりながら俺はスマホを片手に走っていた。

ディスプレイには『アイオーンクロック』に表示された3枚のカードが映っている。

しかし、それを確認している暇はない。

後ろからは大地を響くように鳴らして、口から涎をこぼした全長5mほどの狼が追ってきているのだ。

何故、絶滅した狼がここにいるのか?

その疑問は勿論あるのだが、俺が今走っている場所は町中であり決して山中などではないし、そもそも5mの大きさもある狼が存在するなんて聞いた事もない。

大狼は俺を睨み、追うように走る、走る、走る。

次第に距離は詰まっていくのを感じていた。

人間と四足獣では走る速度が違うし何より体の大きさが一歩の距離を差にする。


「くそ、周りの人は誰も気づかねーのかよ!」


そう叫ぶ声は風に消える。自分の周りにいる人々はまるで動こうとしていない。スマートフォンを片手に歩いている女子、友人と喫茶点で話し合っている学生達、スーツ姿で手首にまかれた時計を見つめている男。そんな彼らは全て張りぼてのように一動すらせずに止まっている。

そして大狼に突き飛ばされようと力学的に吹き飛んだりせずに、そのまま空中で固定しているのである。

異常としか形容のしようのない空間。

まるで自分とこの大狼以外の時間が止まってしまったかのようだ。

自分はまるで今夢の中を歩いているかのようだ。

呼吸が尽きるのと同時に背中に大きな衝撃が走る。

俺はその痛みにバランスを崩して滑り込むように倒れた。

即座に立ち上がろうと手足でアスファルトを押そうとするが背中に大きな重量がのしかかる。

蛙のような声を出して俺は再び体をアスファルトに付けた。


「まったく、これだから初心者狩りはやめられない。」


そういう男の声が聞こえる。大狼の涎が俺の頭にこぼれ牙が目の前に突きつけられた。


「降参したまえ、詰みだ。それともここでゲームオーバーになりたいのかね。」


男は俺の前に立って言う。地に伏せられた俺にはその顔を見ることが出来ない。

見えるのはスーツの裾らしき紺色のズボンと綺麗に磨かれた革靴だけだ。

息も絶え絶えに事態に理解が追いつかず言葉を失う俺に対して、男は俺の顔を蹴り上げた。

頬に革靴の先が辺り、奥歯が折れる。

激痛。

この痛みが夢のわけがない。

ならば、この非現実だとしか思えない今は現実だというのか?

続け様に一発。

痛い。

「はやくッ」

もう一発。

「降参しろってッ」

痛い。

「言ってるんだよッ」

もう一発。

何故、こうなったのか?

痛みの中で俺は思い返した。



俺が『アイオーンクロック』を導入した次の日の話だ。

期待していたものと違うこれじゃ無い感に襲われて今ひとつ『アイオーンクロック』を起動する気が起きなかった。

いつも通り遊んでいるアプリを起動してゲームしてスタミナを消費した後、登校し、いつも通り授業を受けて帰って宿題を投げ捨てて夕食を食べて寝る。

そんな一日。

そんな当たり前を過ごそうとしていた日の放課後。

帰りの電車の中でポケットがスマホのバイブレーションで震えるのを感じた。

訝しんでスマホを見てみると


――――


『ジライヤ』から対戦申し込みを受諾。レートを決定してください。

対戦者5:5トレードを希望。

残り時間20秒。


――――


と画面に表示されていた。デッキ枚数残り30と下に細くされるように数字が書かれており、そこに赤文字で-5と書かれている。

最初なにごとかと思い目を見張ったが、すぐに俺はそれが『アイオーンクロック』の事だと気づいた。

俺は昨日読んだルールを朧気に思い出す。


対戦を挑まれたものは、対戦を拒否することが出来ない。


対戦を挑まれたものはトレードするカードの枚数を提示する事が出来る。

それに挑戦者が同意した場合のみ対戦が開始される。

トレードするものがカード以外の場合も双方が同意した場合は可能とする。


つまり今、俺は対戦を申し込まれた状態にあるというわけだ。

昨日いきなり対戦したいと思ったわけではあるが、その時はこのゲームをやろうという身構えがあったからよかったもののこう急に対戦申し込みが来るとたじろいでしまう。

しかし、対戦を受けた者は対戦を拒否することは出来ない。

思いつく解答パターンは高レートにつり上げて相手をゲーム自体から降ろすという手段だ。

だが、こちらは初心者。

もし相手が玄人であり受諾された場合、ほとんど勝ち目無しの戦いにレート分のカードを全て捨てる事になる。

そのリスクを思い俺は思わず、笑みがこぼれてしまった。

どうもいけない悪い癖だ。

不利な状況になると後先を考えず、それはそれで面白いのでは無いかと考えてしまうのだ。

俺は頭を振って、思い直す。

悪い癖だ。これで何度失敗したことか……。

すぐにスマホを操作してレートを変更。

1:1トレードでの希望にした。

勝てるとは思っていない。

こちらとしてはまずゲームを体験してみたいのだ。

だから低レートでの対戦を希望する。


―――


対戦者がレートに同意しませんでした


―――


これにて対戦はご破算。

相手からしてもこのような低レートでは対戦する旨味が無いという事だろうか?

少し残念に思いながらも俺はスマホをズボンのポケットに入れて電車から降りた。

するとまたポケットでスマホがバイブレーションを鳴らす。

俺は立ち止まってスマホを見てみる。


――――


『ジライヤ』から対戦申し込みを受諾。レートを決定してください。

対戦者10:10トレードを希望。

残り時間20秒。


――――


思わず目を開いた。

先ほどと同じ『ジライヤ』からの対戦申し込み。

対戦を断ったというのにまた対戦を申し入れて来ている。

先ほどよりレートをつり上げてだ。

このレートで受けない限り、対戦希望を入れ続けるという事だろうか?

内心勘弁してくれと思いながら、俺は先と同じ条件を返す。

辞退、すぐに再申し込みが来る。


「あー、もう!」


そう声を挙げてスマホを弄りながら歩いている。

人が前にいることに気づかずぶつかり後ろに転ぶ。

「どこ見ているんだ馬鹿野郎」と怒るぶつかった人に俺は謝ろうとした瞬間、スマートフォンからテロテロリンと昔のRPGライクのSEがなった。

俺は慌てて、スマートフォンを見る。

すると画面には――



―――


……対戦条件を許諾


―――


「おい、おい、ちょっと待ってくれ。」

俺は慌ててアプリ自体を終了させようとするがスマートフォンはその操作を受け付けない。



―――

……レート15:15

……アイオーンへの粒子散布を要請

……許諾

……時間固定開始

―――


その瞬間、空から大きな光が降り注いだ。

光りは粒子となって周囲に散布されていく。

その光景に誰も気づいた様子がなく、ただ、ゆっくりと周りの人の動作がゆっくりとなっていく。

やがて、鳥は空に静止した、人は片足をあげたまま止まった、影は動かなくなった、音は鳴らなくなった。

静寂とした空間、まるで自分以外の時間が止まってしまったような世界に迷い込んでしまったかのような感触を受ける。

俺は言葉を失い。

スマートフォンを見る。


―――

アイオーンクロックSTART

『カラス』 VS 『ジライヤ』


―――



と表示画面上部に表示され中央にスロットのような受け口、その下には3枚のカードのようなものが表示されていた。

『加速』

『風塵弾』

『跳躍』

これが初手という事だろうか……?

カードの効果を確認しようと俺はカードに触れようとした時、地響きのような音がなった。

町の大通りの真ん中を一匹の大きな生物が走り駆けてくる。

俺は遠くから迫り来る生物。

最初は何だろうかと目を細めていたが、それがおおよそこの世の生物ではないとわかり俺は口を大きく開けた。

肉食獣特有の鋭利な牙、槍のように先に出た鼻に鋼のような体毛、体中に切り傷や刺し傷の痕を残した狼のような化け物だった。

そしてそれは全速力で俺のいる方に向かってきている。

俺はその大狼が俺を狙ってきているとわかり、背筋が凍り付くような感覚を覚えて静止する。

それを叫ぶ事で中和して、震える足をなんとか動かして俺は逃げるように走った。

何度道を曲がっても大狼はその鼻で俺の居場所を突き止め、狭い路地に入ろうと硬い体で強引に周りを壊して入ってくる。

それから逃げ惑った結果……俺は今、拘束されている。

膝から下しか見えないが『ジライヤ』と思われるスーツの男が片足をあげて俺の血が付いた革靴をハンカチで拭いていた。


「んー、大体君さー普通5:5レートを1:1で返す?3:3ぐらいなら慎重派なプレイヤーだと言えるかも知れないけど1:1じゃお互いに旨味ないでしょ。そんな我が身可愛さのプレイをするっていうのは十中八九初心者なんだよ。」


言われてみれば、その通りで歯がみした。保身を思い1:1レートを提案したが、結果的に見ればそれは自分が初心者ですと言っているようなものだ。


「このゲームの良い所はさ、対戦を申し込んだ人は対戦を拒否出来るって所なんだ。だから君みたいなレートを返してくる奴を探して、他は拒否していけば安全に勝てるってわけさ。」


あのレート提案がこの男に目を付けられる原因になった。その事実を知り、自分の馬鹿さ加減を殴りたくなった。

男は俺の頭の上に足を置いて体重をかける。


「あー人の頭に足乗っけるのって気持ちいいい!普通の世界でこんな事したら社会で生きていけなくなるけど、このアイオーンクロックの停止空間じゃ人の目もないからこんな事をしても誰も僕を裁けない。糞上司にヘコヘコしなくて済むし、糞同僚のミスも問題ないよなんとかしとくからなんて歯が浮くような事を言わなくて済む。こんな良い世界あるかぁ?ああ、ずっと止まっててくれねぇかな……世界……。」


口の中に砂利が入る。


「そろそろ、リタイアしても……あーそうか、お前、初心者で一人回しもしたことない口か……リタイアの仕方しらないんだな?」


そう言ってスーツの男はゲラゲラと笑った。


「簡単だよ、スマホに向けて『ジライヤ様ぁ。私の負けですぅ。』と唱えるだけさ……。それでアイオーンにお前の敗北が受理されて、空間は元通り動き出す。おーけい?」


そう告げて何度も足で頭を踏んづけられる。

痛みが何度も響き、やがて痛いという感覚が麻痺をはじめる。


「わかったら、わかりましたと言え!」


そう言って、慌てたように頭から足を話した。


「おっと、危ない危ない気絶させたら勝手に勝利が確定してしまうんだった。僕はな、君みたいな夢を抱いている若者が崩れていく様を見たいの。だからね、気絶負けなんてくだらない事をしないでくれるかな……。」


気付けをするように頬を叩かれる。


「俺は…………。」


負けた。

そう言おうとする口が動かない。

何故かそう言うのを拒みたくなる。

こんな奴に屈服すること、それを許したくないような衝動。

それが俺の体を走った。


「結構、我慢強いなー、ボク。」


我慢強くなんてない。痛くて痛くて泣き出したくてたまらない。

あんたに蹴られた顔もずっと後ろの狼に体重をかけられている体も……。

けれど、それと同時に疑問がわき上がるなんで自分は生きているんだろうか?

何せ自分の体の上に乗っているのは全長5mもの大狼だ普通踏みつけられただけで自分のやわな骨なんて砕かれてしまうんじゃないだろうか?

俺は右手に握られたスマホを見た。

そのディスプレイには文字列が表示されている。


―――


『加速』発動中

残り8秒。


―――


その時、気づいた。

そもそもとしてあの大狼から逃げる事が出来たのだろうか?という疑問に……。

逃げ切れなかったとはいえ本来ならば逃げることすら出来ない程に身体能力に差があるのでは無いだろうか?

それなのに何故か、自分はあの大狼から逃げるという立ち回りをする事が出来た。

それは、『加速』のカードが発動していたからなのではないか?

そしてもう一つの疑問が脳裏に浮かぶ。

通常人間は音速には耐えられない。

正確には速度ではなく、音速になった時にかかる抵抗に人間が耐えられないのだ。

だから音速を得るということは音速に耐えうる体を得るという事である可能性も高く。

この『加速』が発動している間は、俺は人間を超えた身体能力を獲得している可能性もある。

俺は全身に力を入れた。

こんな大きな生物に押さえつけられたら、立てる筈なんてない。

そういった思い込みから抵抗すらしていなかった。

しかし、音速に耐えうる体を手に入れた今ならば出来るかもしれない。

アスファルトに掌を付ける、膝に力を入れて全力で押し出す。

そしてゆっくりと体が浮き始める。


「な、なんだ、デッドウルフの体が持ち上がっている?カードを使っている暇なんてなかった筈だ……一体どうやって……。」


全身が軋むように痛い。

けれどもう効果時間の残りが少ない。

叫び声と共に立ち上がり、デッドウルフは5m級の体を後ろに倒す。


「そうかお前、捕まる前にカードを発動してやがったな!」


自分より大きい物を押しのけて立ち上がった達成感。

それは彼が音速に達する事が出来る非現実的じみた身体能力を付与するという事の証明に他ならない。


―――

『加速』効果時間終了

―――


絶望的だ。

ルールもよくわかっていない。

相手は少なくともこのゲームをやり慣れたプレイヤー。

初心者は熟練者に狩られるものだ。

それが自明の理。

勝ち目なんて無い最悪の出目。

それほど絶望的な状況だというのなら――


「じゃあ、楽しむしかないか!」


俺は笑って絶望を楽しむことにした。


使用者:『ジライヤ』

カード名:デッドウルフ

種別:サモン

カードスペック

ATK:■■□□□

DEF:■□□□□

SPD:■■□□□


"傷だらけの狼に触れてはならない"

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