1章 - 03.青山 丸一
「悪いな、手を煩わせてしまって
ただの迷子なら良いんだが」
私は本当にこの子が
ただの迷子であることを望んでいるのか。
「違うかもしれんから、わしに連絡してきたんやろ」
青山は好奇心を隠そうともしないきらきらとした瞳で
好奇心を見透かすように私を見つめた。
確かに、自分で警察に引き渡しても良かった。
こんな、青山を使って調べてもらう必要なんてなかった。
タバコをやめた日に面倒事からも足を洗ったはずだ。
私には守るべき家族がある。
…でも、出来なかった。
この腕に舞い降りた、
掴んだ好奇心を自分から手放すなんて、出来なかった。
青山がくたびれたソファーから身を乗り出し、
私の腕にしがみつくように隠れている少女に訊ねる。
「じょうちゃん、自分が誰で、どこから来たのかわかるかい?」
「I'm Alice. I…」
「あ~、…おい、佐々木部、訳頼むわ」
お茶の用意をしていたらしい佐々木部が
エプロン姿でしゅんしゅんいっているヤカンを持って現れた。
「はい」
佐々木部が訳したところによると、
名前はアーシャ・ベーカリー
通称、アリス
誕生日は1865年11月26日
歳は今年で10になるという。
家は、イギリスにある小さな町で
父親は大学の先生をしているとのこと。
「1865年・・・、ねぇ・・・」
青山はタバコを取り出し、火を付けた。
そのまま、すぅっと大きく吸い、吐いた。
煙は私とアリスへ当たった。アリスはケホっと小さく咳き込んだ。
1865年だって?
そんなこと、本当にあるのか。
過去の人間がタイムスリップしてきたというのか。
考え込んでいたら、スマホにメールが届いたことを知らせる音が鳴った。
妻からだ、スマホの画面に時間が映る。
もう、22時を回っていた。いつもであれば、家で就寝している時間だ。
"どうかしましたか?連絡もなく心配です"
「すまない、続きは明日にしよう。・・・、それで」
ソファーから腰を浮かす。
「あ?あぁ、わかっとる。アリスはここに置いてき。佐々木部に世話させるから、心配するな」
「何から何まですまん」
「しょうがないやろ、お前の家には連れてけんだろ」
しがみついていたアリスは眠くなってしまったようで、
うつらうつら、船を漕いでいた。
辛うじて握っていた裾をゆっくりはずし、そのままソファーに寝かせた。
青山が渡してきた赤い毛布をアリスへ掛ける。
「佐々木部さん、これ、必要なものが有ったら」
佐々木部に万札を数枚握らせる。
「橘、気にせんでええって」
青山が小声で声を掛けてきた。
佐々木部は
「橘さん、当社は成功報酬しか貰わないシステムなんですよ」
とお金を返してきた。
「成功したら、お願いします」
と付け加えて。
私は、急ぎ足で探偵事務所を後にした。
振り返ると、細長いぼろいビルを覆っている青々としたツタの間から
オレンジ色の光がぼんやりと漏れていた。
まるで、おとぎ話のお城の様だな。
電車を待つ間に妻に連絡しなければ。
駅のホームで通過電車を見ていると
ホームの明かりで自分の顔が車窓に映った。
少し、笑っているような、変な顔だ。
自分の顔なのに他人の様な変な気分だ。
首筋に汗が流れる。
夜になったというのに、むしむしと熱い。
上着を脱ぐと、マルボロの匂いがした。
1-03.青山 丸一




