片恋い戦記
そうだよ、君達には圧倒的な身体能力も、膨大な魔力も、森羅万象を司る知識も、財力すらも与えられない。たった一つのスキル【恋愛変換】が君達に与えられる力。大切な誰かを思う力で、この世界を救ってほしい。
〜揺れる音女の月:7日〜
この世界に召喚されてから7日の月日が流れた。
人間とは逞しい生き物で、早くもこのありえない毎日に順応しつつある。
あの蒸し暑い夏の昼下がり。
君から借りた小説を開いた僕の目の前に、天使が舞い降りた。
曰く。誰も知らない、遠い世界の勇者に選ばれたそうだ。
拒否権はないらしい。
与えられたものと言えば、一風変わったスキルがひとつだけ。
【恋愛変換】はその名の通り、恋心を魔力に変換するスキル。
誰かを想う気持ちが強ければ強いほど、強力な力を行使できるらしい。
で、その力で魔王を倒して来いとの事だ。無茶振り過ぎる。
親友の蓮司が一緒でなければ、きっと頭が変になっていただろう。
確かに、目の前に広がる光景に最初は高揚した。
中世を思わせる町並みに、入り乱れる様に闊歩する冒険者や亜人。
道行く露天に並ぶ魔道具や、見た事の無い魔物の肉。
これを見て何も感じない人などいないはずだ。
とは言え生活水準が高いとは言えないこの世界。
現代っ子の僕には少しキツい。
一週間も過ぎれば、元の世界が恋しくなってくる。
そんなものだ。
嗚呼、君は元気でいるのかな。
会いたいよ。
〜色めく偽王の月:14日〜
食べ物が合わない。
いや、不味くはないのだけど。
調味料の種類が乏しいのだ。
見た事の無い果実や野菜、肉で溢れているのに、実に勿体ない。
つくづく自分が恵まれていた事に気付かされる。
せめて醤油があれば良かったのに。
君が作った卵焼きは酷かったけれど。
今ではそれが、とても恋しい。
なんて事を考えていたら、顔に出ていたみたいだ。
蓮司に、急にニヤけるな気持ち悪い、と笑われた。
〜嘆き崩れる塔の月:5日〜
この世界には不思議な生物がたくさん存在する。
スライム、ヘビィタートル、ポイズンドッグ。他にも色々だ。
特にポイズンドッグ。
一見、普通の子犬にしか見えないけれど、毒をもっている。
あれはトラウマだ。
そもそも動物と魔物の違いがわからない。
強敵と戦う為に、場数を踏む必要があるとは言え。
犬を斬り伏せるのは未だに躊躇してしまう。
そういえば君は柴犬を飼っていたっけ。
今の僕を君が見たら、なんて言うだろうか。
〜焦れる奏者の月:終の日〜
蓮司が死んだ。
守れなかった。間に合わなかった。
あいつは見た事がないくらいの涙を零していた。
最後に僕に告げた言葉が今も忘れられない。
蓮司と仲の良かった図書委員の女の子を、僕は知っている。
初恋だったらしい。
ただ一度の告白もできないまま逝くのは、未練だと嘆いていた。
行きて帰る事が出来たら、僕は君に伝えよう。
好きだと。
〜誓約を守護する騎士の月:21日〜
もう死にたい。
誰か僕を、殺してくれ。
〜永久に眠る愚者の月:3日〜
どれだけ殺せば許されるのか。
いや、きっとこの汚れた手では、あの日常には戻れまい。
そもそもどうして僕は戦っているのだろう。
誰のため?何のために?
魔王とは何か。天使とは何か。
誰かから借りていた小説のタイトル。
今はもう、思い出せない。
〜探求する巨人の月:XX日〜
滅びろ。
こんな世界は滅びてしまえ。
騙されていた。
いや、真実を隠されていたと言うべきか。
天使は嘘をつけないのだ。けどそんな事はどうでもいい。
誰かを想う力を魔力に変える【恋愛変換】の能力。
しかしそれは有限の力だった。
この力を使えば使うほど、僕は君への想いを失っていく。
何故もっと早くに気がつかなかったのか。
この力を押し付けられた時の事を思い出そうとすると頭痛がする。
天使との邂逅を上手く思い出せない。
まるで霧がかかったかのように、そこだけが曖昧だ。
何より苦しいのは、君の名前が思い出せない事。
故郷を失い、親友を失った僕に、これ以上の犠牲を求めるのか。
僕はもう、擦り減った紙ヤスリのように希薄でボロボロだ。
お願いです、残酷な天使様。
他には何もいらない。
どうか僕の初恋だけは、僕に返してください。
〜交わらない心の月:11日〜
こんな力は使いたくない。
だけど使わなければ僕はただの人間だ。
小型の魔物にすら、遅れをとってしまうだろう。
みんなはこの力を崇高なものだと言う。
みんなはこの力を使えと言う。
傷ついた者を癒せと言う。
傷つける者を倒せと言う。
もうこの重みに耐えられそうにない。
勇者じゃなくていい。
ちっぽけな栄誉などいらない。
ただこれ以上、君を忘れたくない。
〜審判と紅の月:18〜
大丈夫。
まだ君の笑顔を覚えている。
天使は約束してくれた。
魔王を倒せば、元の世界に戻れるのだ。
早くしなければ。
この想いが枯渇してしまう前に、僕は魔王を滅ぼす。
〜創造と猫の月:29日〜
漸く辿り着いた。
このどうしようもなく救いの無い物語に終止符を。
僕はこれから魔王に挑む。
この戦いで、僅かに残ったこの気持ちも、恐らく枯渇するだろう。
恋する全ての人よ。
どうか聞いて欲しい。
その気持ちはすぐにでも伝えるべきだ。
恋する全ての人よ。
どうか信じて欲しい。
その気持ちは何より尊いものだ。
恋する全ての人よ。
どうか忘れないで欲しい。
結ばれて幾年の月日が流れても、最初に抱いたその気持ちを。
この手記を読む知らない誰かさん。
もし好きな人がいるのであれば、小さな一歩を踏み出して。
どうか貴方が真の勇者たらん事を、切に願う。
〜創造と猫の月:終の日〜
帰るべき場所も忘れ、抱いた気持ちも消え去った。
もうどこにも行けない。
どこにも戻れない。
残った悔恨と憎悪は我が身を黒く包み、底の無い力を与えてくれる。
そうか、そういう事か。
僕が、魔王だ。
「先生!つまり童貞は魔王になれるって事ですね!」
「違います」




