第80話:嵐の前の静けさ―Sylph―
サキュバスNo.777もといサラが和神の部屋を後にしてから程なくしてミネルヴァがやって来た。
「お邪魔します。」
「失礼する。」
その後ろにはシルフがいた。
「シルフ様もご一緒したいというのですが・・・よろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ。」
和神は2人を歓迎した。2人は部屋に入って早々にサラがいた気配を感知した。
「あのサキュバス・・・和神様のお部屋に?」
「ええ、さっきまで。気配が残ってますか?」
「・・・少し。だが・・・先刻までいたとは思えぬ程に・・・薄い・・・。」
ミネルヴァに代わってシルフが答えた。どうやら和神の影響で既に気配は殆どないらしい。
「和神様・・・いくら彼女の命を救ったとはいえ、相手は魔物。恩を仇で返すなど彼女らには何の躊躇いも無いことです。努々《ゆめゆめ》お忘れなきよう。」
「はい・・・。」
「これは・・・どう食す?」
神妙な面持ちの和神とミネルヴァの間にカップ麺を持ったシルフがふわふわと漂ってきた。どうやら早く食べたくて仕方がない様子である。和神は2人にカップ麺の作り方を教えた。教えたといっても今時のカップ麺はラベルに作り方まで書かれている上、元より大して難しいものではないため、2人はすぐに自分のカップ麺を用意した。
「湯を注ぎ3分待つ・・・。斯様な方法で料理が・・・。」
「人間のこういった発展は目まぐるしいものですね。私が幼少の頃など頻繁に“飢饉”など起きていたものですが。」
飢饉・・・。ミネルヴァの幼少期が何年くらい前なのか和神は聞きたかったが、年齢を訊くのと同義になるため自重した。同時に、自分が僅か22年しか生きていない“人間”であり、目の前にいる彼女たちは自分よりも遥かに多くのものを見聞きし、遥かに長い時間を生きてきたことを実感した。取り分けシルフはミネルヴァや他の妖たちなどよりも更に永い時間を生きているのである。和神は、どこか近くに感じ始めていた彼女たちへの認識を改めようと心得た。
「む・・・3分。」
不意にシルフが告げる。和神が時計を見ると、確かに3分経っていた。どうやら、時計を見なくても時間の流れが分かるようである。
「では、蓋を開けて少しかき混ぜてから食べて下さい。」
和神の言う通りにして食べ始める2人。
「美味!」
「えぇ、美味しいです。」
やわらかな笑みを浮かべる2人は本当に幸せそうである。きっとミネルヴァは普段もっと高級なものを食べているだろう。そのミネルヴァにも美味しいと思わせる昨今の“庶民の味”の水準を和神は噛み締めた。と、ここで1つの疑問が生まれた。
「シルフさんは、普段どんなものを食べているんですか?」
和神の問いにシルフは麺を頬張りながら答える。
「うむ・・・別に食す必要は・・・ない。随時霊力は、湧き出している・・・。だが、食せばそれは・・・追加の霊力となる・・・。」
「そうなんですか・・・。」
「精霊という存在は妖とも大分違いますからね。不思議な部分も多いかと思います。」
「そうですね。」
3人で卓袱台を囲んでカップ麺を食べるその光景は、さながら家族のようであった。
「ふぅ・・・美味・・・だった。」
シルフもミネルヴァもスープまで残さずに完食した。
「ありがとうございました和神様。流界の食を1つ味わうことができて良かったです。」
「いえ、喜んでもらえて良かったです。」
「あ。」
シルフが何か思い出したような声を出す。
「シルフ・・・って呼ぶの・・・やめて。」
「え?じゃあ、何て呼べば?」
「・・・“フウ”・・・って。・・・そう呼んで。」
和神とミネルヴァは思い出す。それはかつて人間の“小娘”に呼ばせていた名であることを。
「・・・わかりました、フウさん。」
「だーめ・・・。その、敬語も・・・なし。ミネルヴァもね。」
「私もですか!?」
「そ・・・。ほら・・・。」
シルフもとい“フウ”はそう呼ぶよう急かすようにミネルヴァに顔を近付ける。
「は・・・はぁ。フウ・・・?」
半ば強引に言わせると、今度は同じように和神を急かす。
「フウ・・・よろしく。」
「うん。」
満足そうににっこりと笑うその表情は人間の少女のそれとなんら変わらなかった。
第80話:嵐の前の静けさ―fu―




