第361話:ノドカ
目覚めて間もなく、恐らく意識が判然としていない状態で、汚れた資料から読み取れた文字を自分の名であると思った“ノドカ”は、裸のまま研究室を見渡した。ノドカが入っていたものと同様のポッドがズラリと並んでいる。その中には、ノドカと同様に薄緑色の水に漬けられた全裸の人間が男女問わず入っているが、目覚める気配はない。
ノドカは自分の体に目を向けた。ポッドに入っている人間たちを見て自身も裸である事に気付いたようである。部屋の隅に置かれたデスクの上に、クリーニングから戻って来たばかりのように丁寧に畳まれた白衣が数着重ねられていた。ノドカはその一番上の白衣を身に纏った。少し大きいようだが、取り敢えず膝下まで全身を覆えている。
次に目を向けたのは、ドアであった。ドアノブがない、どう見ても自動扉だと分かるドア。ノドカはそれに近付き、近くの壁にある端末のようなもののモニターのような部分に手を翳す。ピピッ,という音とともにドアが開いた。ノドカは自身の掌を少し見つめていた。どうやら、自分でも何故ドアを開けられたのか不思議,といった様子であった。
ドアを出ると闇の中に真っ赤な非常灯のような明かりだけが灯ったまっすぐ伸びた廊下があり、その先は丁字路になっていた。丁字路の壁に施設内の地図が貼られており、現在位置が地下3階である事と出口までの道順が分かり、ノドカは階段を目指して歩を進める。途中、エレベーターがあったが、電源が落ちていて使えないようであった。どうやらノドカがいた研究室だけ別の電源から電気(か、それに類似するエネルギー)を供給されていたようで、施設内も明かりは地下3階から階段を上がった1階まで、全て非常灯のみであった。何か、得体の知れないものでも出てきそうな暗さであるが、物音はノドカ自身の足音しか聞こえない静寂に包まれていた為、何か出てくる気配すら感じなかった。1階に到着すると、所々にある壁の割れ目から外光が射していた。非常灯以外の光に少し目を細めたノドカであったが、その外光は決して爽やかなものではなく、どこか淀んだ光でありながら暗い印象を受ける不可思議なものであった。そんな外光に当てられながら廊下を進み、出口に辿り着いた。施設を出るまでの間、誰とも出くわさなかった。その上、施設の出入り口のドアは破壊されていた。お陰で施設の外には容易に出る事が出来たのだが。
外に出たノドカの目に映った光景は赤黒い空、赤黒い大地。そして、異常なほどに重苦しい空気であった。それは、和神が“彼の者”の“負の混沌”に呑み込まれる直前にいた世界と酷似していた。
(あの世界は、“彼の者”がいた世界だった・・・?)
他には破壊された車両や塀、住居であったのか何らかの施設であったのか、原型を留めていない廃屋などが点在していた。
「だ・・・れか・・・。」
ノドカは掠れた声でそう呟き、歩いていく。裸足のまま、荒涼とした赤黒い大地をひたすら。
1時間ほど歩いただろうか。結局、誰とも出会わなかった。人間はおろか、動植物とも、虫の1匹さえ見なかった。
「喉、乾いた・・・。」
川もない、水溜まりすらない。あるのは点在する廃屋、瓦礫とひたすら赤黒い大地と重苦しい空気のみ。重苦しい空気がノドカの歩みを滞らせる。
「誰か・・・。」
遂にノドカはその場に座り込んでしまった。誰もいない、何も聞こえない。風すら吹いていない様だった。
「だれか・・・。」
ノドカは孤独を極めていた。
オオオ・・・
「!」
何も聞こえなかった世界に、音がした。大地が、空間そのものが唸るような重低音。ノドカがその音がする場所を探すように辺りを見回す。すると、途端にノドカの視界は光と闇に同時に呑み込まれた。




