第36話:特使の仮説
特使邸・地下大浴場
大浴場の入口には、Femaleと書かれた立札が置いてある。中では、陽子と陰美が湯につかり、狗美はシャワーで髪を洗っている。
「理解できません。」
唐突に切り出したのは陰美だった。
「姉様は何故、あの男に突き動かされたのか。“受け容れし者”であることと多少体躯があるということ以外、ただの人間じゃないですか。さして顔立ちが良いわけでもない。」
陽子はクスクス笑っている。
「ひどいなぁ陰美。そんな風に言うと、狗美さん怒るよ?」
陰美は振り向いて、シャワー台の方を見る。ちょうど狗美は髪を洗い終えた様子である。その狗美の背中に陰美は訊く。
「貴女は何故、あの男と共にいるのです?」
「いたいから。」
「何故?」
「・・・あいつといると、落ち着く。何となく、いたくなる。それだけだ。」
髪から滴る水滴を見つめて狗美は真顔で答えた。
「わたしも、ね。なんか落ち着くの。傍にいたいって思う。」
狗美の言葉を肯定するように陽子も答えた。
「・・・2人とも、アレに惚れてるということか?」
「さぁな。」
狗美は浴槽に入りつつ答えた。場所は陽子の隣りである。
「“受け容れし者”はあらゆる者を受け容れる,という伝承がありましたね。」
そう言って浴場に入ってきたのは特使ミネルヴァであった。
「特使!?」
慌てる陰美に、ご一緒しても?,と微笑む特使は、シャワーを浴び始めた。その後ろ姿の流麗な白髪と透き通る白い身体に3人は女性でありながら見惚れていた。
「“受け容れし者”がモテた。」
「はい?」
特使の不意な一言に全員で聞き返す。
「“受け容れし者”がモテた・・・という伝承はありません。そもそも“受け容れし者”についての伝承自体が少ないのですが。人々の悩みや不満を受け容れる。ならば、少なからず“受け容れし者”に好意を寄せる者がいてもおかしくはないはず。だというのに、そういった伝承は1つもないのです。」
確かに,と陽子が頷く。
「じゃあ、アレは・・・和神は“受け容れし者”ではないのでは?」
陰美が提起する。
「いえ、他者の力を吸収する能力は“受け容れし者”であるとしか思えません。」
特使はシャンプーを手の上で泡立ててから髪を洗い始めた。
「以前から“受け容れし者”の異性関係についての伝承がないことに疑問を抱いていた私は、1つの仮説を立ててみました。
“受け容れし者”は、人間の悩みや不満を受け容れ、妖の妖力や霊力も受け容れる。ならば、好意も受け容れてしまうのでは?と。」
「?好意を受け容れたのなら、結ばれるのでは?複数人の好意を受け容れたのなら・・・あれですが。」
「いえ、普通の人間ならば好意を受け容れれば結ばれましょうが“受け容れし者”の“受け容れる”は意味を異にします。悩みや不満を受け容れ、その者の中から吸収してしまうとすれば。」
「その人間の中に好意はなくなる?」
狗美が繋げた。少し振り向き、特使が頷く。
「ええ。まして人間には妖のように妖力や霊力がありません。つまり直接的に好意を吸収される。さらに、特に好意も不満も持たない人間ならば・・・。」
「人間に唯一ある力は・・・生命力ですね。」
「!?」
特使の話に続けた陽子の言葉に、陰美は驚く。
「悩みや不満、鬱憤など負の感情を持つ者は頼りに来るでしょうが、その必要のない、平常な人間は“受け容れし者”を遠ざけたことでしょう。好意を持って寄ってきた人も、やがては好意を失い、平常に戻ったあとは、同じく遠ざけたでしょう。近くにいれば、生命力を吸収されてしまうのですから、得も言われぬ不安に駆られたはずですから。」
特使は髪についている泡を洗い流した。
「確かに和神は前に言っていた。女と付き合ったこともなく、友達も少ないって。」
「わたしたちが傍に居ても大丈夫なのは、妖力を吸収されるだけで、生命力にまでは影響しないから、か。」
特使がシャワーを止め、浴槽の方へ来る。
「『“受け容れし者”の傍に居ることができる』というのも、1つの才能と言えるのかも知れません。そして、そういう妖に出逢えなかった“受け容れし者”は流界では孤立を深める事になるでしょう。きっと彼には、あなた方が必要なのだと思います。」
「ああ、居るさ。あいつが許す限り、な。」
4人はしばらく同じ湯につかり、明日へ備えて心身を癒した。




