第3話:満月
いつもより挿絵に自信ありません。
「うおっ!? 水が!?」
狗美はシャワーに驚いている。どうやらシャワー自体初見のようで、シャワーヘッドを指でつっついている。
「シャワーを知らないんじゃ、シャンプーや石鹸も知らないですよね。」
「馬鹿にするな!聞いたことくらいある!」
ということは、今までシャンプーも石鹸も使わずに生活してきたということになる。そもそも和神が風呂を貸すことになったのは狗美が「行水がしたい」と言い出したからである。今時“行水”など、時代錯誤も甚だしい。どうやら、想像以上に訳アリな女性のようである。
「これ、バスタオルって言うんですけど・・・。」
「それくらいは家にもあった。」
呆れたように言う狗美にバスタオルを渡し、和神は居間に戻って午後に放送している映画を見ながら漫画制作の続きを始める。
今日の映画は“セイバー”。狼男と人間のハーフである主人公・セイバーが、敵の狼男やヴァンパイアと戦うアクション映画で、シリーズ第3作まで制作された名作である。和神は何度も見たことがある映画をテレビで流しながら漫画を描く事が多い。テレビで放送されていない時は、DVDを流す。殆ど音しか聴いていないが、それがちょうど良い集中力を生み、集中力が切れ始めた頃に映画はクライマックスになるため、ちょうど良いのである。
「覗いたら全身を切り裂いて、全身の皮の表と裏をひっくり返すからな!」
映画のセリフではなく、狗美が風呂場の戸から顔だけ出して釘を刺してきたのである。
「大丈夫ですよー。」
棒読みで返事をし、漫画制作に取り掛かる。テレビでは狼男どもが流す血飛沫の音が、外では小雨が地を打つ音が、風呂場からはシャワーの音がしている中、コマを割っていく。“セイバー”の最初のアクションシーンが終わった所でシャワーの音が止まった。
「もう終わったのか?」
女性の風呂は長いイメージを持っていた和神だが、シャンプーも石鹸も使わなければ長くなりようがないか,と自分を納得させる。よくよく思ってみれば、自分の部屋の風呂に美女が入っているなんて、かつて無いリア充だな,と高揚感に浸りつつ、フキダシにペンを入れる。
「漫画を描いているのか?」
和神の横から濡れた頭にバスタオルを乗せて浴衣を羽織った狗美が覗いてきた。
「髪、乾かさないと風邪引きますよ?」
まったく、警戒心が強いんだか無いんだか分からない人だ,と思いながら狗美を洗面所まで押して行き、ドライヤーの使い方を教えた。
「うおっ!風が!?」
夕方。
狗美は髪を乾かして居間に戻ってきてから、和神が最近描いた漫画を読んだ後に部屋に置いてあった単行本をジャンルを問わず全て読破した。その間に、和神はカレーを作り、夕食に2人で食べた。
「すまないな、色々面倒を見てもらって・・・。」
「構いませんよ。あの大家さんもたまに夕飯食べに来ますし。」
「胸元の傷、悪かった。平気か?」
「えぇ、少しヒリヒリしますが。」
そんな他愛の無い会話をしつつ夕食を終える頃には、2人が出会った時に降っていた昨晩からの雨は止んでいた。
「明日にはここを出られそうだ。」
狗美のその言葉に和神は一抹の寂しさを覚えつつ、今晩の就寝時の部屋割りを伝える。
「狗美さんはそこのベッドで寝てもらって、自分は襖の向こうの自分の部屋で寝ますから。」
狗美は襖の奥を見た。物がごった返しており、足の踏み場もなくベッドもない。あるのはかろうじて見えるソファーだけである。
「なんだ、そっちの部屋はソファーしかないじゃないか。しかもほとんど物置きだ。そこまでしてもらうわけにはいかない、私がそっちの部屋で寝る。」
「いえ、女性をこんな部屋で寝かせるわけには・・・。」
2人は互いに譲らなかったが、最後は和神が折れてベッドで寝ることになった。雨上がりの空には満月が浮かんでいる。窓から月明かりが射しているベッドで瞼を閉じる和神。いつもならば妄想している間に眠ってしまう所だが、この日は色々あって疲れたのか、妄想する間もなくすぐに眠ってしまった。
―夜2時頃、和神は妙な音で目を覚ました。何か低く振動するような音、唸っているようにも聞こえる。
「まさか、狗美さんのいびきか?」
人は見かけによらないとはこのことか,と思いつつも再び眠りかけたその時だった。襖を切り裂いて、体長2mはあろうかという大型の狼が飛び出してきたのである。
「いびきじゃなくて、コイツの唸り声だったのか!?だとしたら、狗美さんは・・・!?」
頭を整理する暇を与えず、狼は飛び掛かってきた。和神は咄嗟に避けようとするも、鋭く大きな牙は肩を捕らえ、爪は身体を切り裂く。部屋中に和神の血痕が飛び散る。薄れ行く意識の中、こんな状況にも関わらず和神は昼間見た映画“セイバー”の事を思い出し、皮肉な気分になっていた。
それでも生きることを諦めたわけではない。和神は狼が何か布を羽織っているのに気付き、肩を喰い千切ろうとする狼が暴れられないように、必死に羽織っている布と身体を掴んで離さなかった。
すると、徐々に狼の噛む力、暴れる力が弱まっていく。疲労したのか或いは油断させる作戦か、とにかく和神は掴む力を緩めなかった。大量の出血によって、もしかしたら大した力は入っていなかったかも知れないが、やがて狼は肩から口を離した。
と、見る見る内に狼が痩せていく。体毛も引っ込んで行き、前足も腕へと変化して全体が人型になっていく。そして5分と経たない内に、狼は完全に浴衣を羽織った人間の姿となった。
「・・・!狗美さん・・・!?」
和神はそれが狗美であることに気付くと同時に気絶した。