第196話:七災神・神斬と神風
神斬は非常に稀有な出自にあった。流界のとある土地に置かれた地蔵。それが神斬の始まりであった。
往来する多くの人間をその場所で静かに見守っていた。ある者は木の実を置いて行き、またある者は賽銭を置いて行き、雪が降ると笠を被せる者もいた。地蔵は行き交う者たちの憩いの存在でもあったのである。
何年、何十年、何百年・・・そこにいたか分からない。しかし、時の流れは人と世界を変えていった。平和な往来はいつしか死地への路へと変貌を遂げ、地蔵の前には力無く戦場から逃れる女子供や恐怖に苛まれながらも戦場へ赴く武士が行き交うようになった。地蔵には既に魂が宿っていたが、動くことは出来なかった。いったい何が起きているのか、地蔵に知る術はなかったのである。
それは、かつてないほどの大雪の日であった。1人の血に塗れた武士が地蔵の前にやってきた。馬も連れていたが、既に跨る力もなく、手綱を牽いているだけであった。武士は地蔵の横にある雪の積もった石にそのまま腰をかけ、地蔵のボロボロになった雪が積もった笠を取り、代わりに自身の被っていた兜を被せた。ふう,と息を吐いてから、武士は言う。大変な戦だったと。妻も娘も敵兵に殺られたと。その戦の発端は名のある家同士の土地を巡っての争いだったと。武士は戦について語り続けたが、「全く、神も仏もない。なぁ、神風。」と馬の頭を撫でると、口を閉ざし、静かになった。立っていた神風と呼ばれた馬も雪の中に座り込むと、そのまま動かなくなった。武士と馬に雪が積もり続けた。地蔵は笠を被せられない。木の実を食べさせてもやれなければ、あの世への渡り賃もやれない。地蔵は初めて、己が無力であることを知った。見守るしか出来ない、自身が往来していた人間たちよりも遥かに無力であることに。
その悔恨の想いからか、或いは隣で息絶えた武士の怨念か、奇跡が起きる。地蔵は自らの体を砕けさせ、その魂を武士と神風へ移したのである。憑依,と言ってもいいかも知れないその現象により、武士と神風は死にながらにして目覚めた。そして武士は自身の妻と娘を奪い、多くの命を奪い続ける戦そのものを止めない神や仏への憎しみから“神斬”と名乗ることにした。いつか必ず神を斬る,と。そこに地蔵が抱いていた、この大雪降る極寒の中で死なせてしまったという悔恨の想いが重なり、神斬と神風は雪と寒さを操る能力までも持ち合わせることに成功した。まさしく想いの強さが起こした“歪んだ奇跡”とでも呼ぶべき事象が、神斬と神風を生んだのである。
そして、更なる奇跡が神斬と神風を導く。地蔵があったその土地は、古く寂れた神社に続く道であり、その神社には次元孔が穿たれていたのである。それも、彼らの望みを叶えるような特殊な“過去へと繋がる”次元孔。武士も地蔵も突き詰めれば望みは同じく“やり直したい”であった。神斬と神風はその次元孔へと飛び込み、過去へと至った。ただ如何せん、それは過去は過去でも、妖界へと続く次元孔であった。しかし、またしても奇跡は起きる。
「怨念と悔恨の力で時を超えてきた?面白い。」
疾風との出会いだった。既に七災神を集めていた疾風は彼らの持つ恨みの力に目をつけ、神斬と神風を流界へと送り込んだのであった。
その後、彼らは流界を氷河期の如き世界に変えることで世界の全ての戦を文字通り凍結させんとしたが、それは全世界の生命活動をも停止させる行為であったが故、美鳥たちの手によって南極に封印されたのであった。
人の世から生まれた時を超える程の怨念を抱えた哀しき武士と愛馬。それが神斬と神風の本質である。




