第193話:才を約束された子
「・・・悪クナイ・・・ッ。」
片膝を着いたマスティマが絞り出すように呟いている。さっきまで自分が受けるので精一杯だった“ダークエンジェルアローサル”状態のマスティマを吹き飛ばした上、膝まで着かせるような猛者が、あの地平にいる。ミネルヴァは自身の右約20m先にいるマスティマに警戒しつつマスティマが吹き飛んできた方角を見る。すると、“彼女”は突如として目の前に現れた。
「成長しましたね、ミネルヴァ嬢。」
「!!貴女は・・・。」
ミネルヴァが“彼女”の名を呼ぶよりも早く、“彼女”は再びマスティマを吹き飛ばしていた。ミネルヴァの約20m先にいたマスティマが、今は50mほど先まで飛んでいた。
黒いリボンで後ろに結ばれた紅蓮の如く赤い、地面に着くほどの長い髪にサンクティタス王国軍“大将”を意味するコートを羽織った“彼女”。腰には少し長めの刀が差されている。ミネルヴァが戦闘において絶大な尊敬を示し、目指すべき目標としている人物が、そこにいた。
「スカーレット大将・・・。」
サンクティタス王国軍大将、スカーレット・ジャヌア・ガーネット。サンクティタス王国軍史上最年少で大将となった女傑。かつてジュエル12と呼ばれた家系の中でも最も尊敬を集めたガーネット家の父と、メンシスの家系の母との間に生まれ、“才を約束された子”とまで称された才媛である。その重圧など意に介さず、幼少期より才気煥発ぶりを見せ、士官学校に入る前に博士号を取得し、同じ日に剣術の免許皆伝を得る。士官学校に入った後もそれは変わらず、戦争という戦争で勝利を収め続け、瞬く間に大将の座まで上り詰めた。以降は、戦争を起こさない事へ尽力し始め、各地で起こる紛争の解決を単身で行い、国が非常事態の時のみ帰国するようになる。
「確か、今も北の幾つかの国家間で起きている紛争の収拾に向かっていたはずでは・・・。」
「前の時、そちらが佳境で戻れませんでしたので、此度は紛争を鎮めて戻って参りました。」
スカーレット大将を語る上で欠かせないのは、実力も去ることながら、その温和な人柄である。自身の才をひけらかすことはなく、他人を愚弄することもなく。血筋のお陰だ,才能が違う,と陰口を叩かれていても一切気にせず、スカーレットは自身の心情を誰にも吐露したことがなかった。
だが一度だけ、スカーレットの内心が読み取れる逸話がある。士官学校時代、スカーレットが同期の女性と2人チームを組んで演習をしたことがあった。当然スカーレットは同期などとは比較にならない実力を有していたし、それは同期も教官も知るところであった。しかし、スカーレットは同期のペースに合わせて行動し、結果は平凡なものとなってしまった。これを受けて組んでいた同期がスカーレットに詰め寄り言った。「何で先に行かなかった!?貴女なら1人でもどうとでもなったのに、私を待って・・・!馬鹿にしてるの!?遅い私を見て嘲笑ってるんでしょ!?」と。これに対し、スカーレットはこう答えた。「嘲笑ってなんていません。私は自分が優れ過ぎていることを知っているので、自分が出来ていて誰かが出来ないことを馬鹿にすることはありませんよ。先に行かなかったのは、この演習が皆さんと合わせることにこそ意義がある演習だからです。」と。これには同期たちも教官も若干引いたが、スカーレットの人生を歩んだことがない者が彼女に意見など出来ない,と皆に知らしめる言葉であった。生まれつき出来るのが当然であり、周囲が出来ないのが当然、これこそがスカーレットの人生であった。
「さて、ミネルヴァ嬢。貴女はこの後も務めがあるとか。あの堕天使は私が片付けますので、ご心配なく。どうぞ、行ってくださいまし。」
恐らく、スカーレット大将ならばマスティマを任せても大丈夫だろう。だが、ミネルヴァは首を横に振った。
「いえ、ここに居させてください・・・。」
それはまたとないスカーレット大将の戦いを間近で見る機会であるということと、マスティマの最期を見届けなくてはならないという使命感のようなものから出た言葉であった。




