第11話:陽子の日記
新章序章です。
朝6時。
私はいつも通りの時間に起床した。寝間着である浴衣を脱いで、普段着である巫女さんのような赤い袴に着替えた後、布団をたたんで押し入れにしまう。庭に面した方の襖を開けると明け切らない朝の俄かな日が射し込む。朝靄の庭に微かに見え隠れする桜の枝にとまった翠玉鶯の鳴き声が聴こえる。その声に耳を澄ましていると、廊下側の襖から声をかけられる。
「陽子さま、起きておりますか?」
「うん、起きてるよ。」
側近の珠だ。毎朝同じ時間に起こしに来るけど、私はいつも起きている。失礼します,と珠が襖を開ける。
「あ、またご自分でたたみましたね?私がたたむと何度申し上げれば・・・。」
いつも通りごねながら朝食の膳を用意してくれる。
「そんなこと言うなら、珠も昔みたく陽子って呼んで敬語もやめてよ。そしたら私も布団たたまないからさ?」
「今後もご自分でおたたみ下さい。」
珠は冷静に応えて、膳を用意し終えて部屋を出て行く。楓さんと秋穂さん、椛さんに杏ちゃん、夕子ちゃんが作ってくれる朝食は毎日美味しい。今日も絶品である。残さず食べ終え、厨房に膳を返しに行く。
「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです♪」
楓さんがいつも下げて来てもらって申し訳ありません,と深々と頭を下げる。こういうのが一番つらい。小さい頃からお世話になっている人が必死に頭を垂れてくるなんて。楓さんは、私が小さい頃に茄子が食べられないのを克服させてくれた。それ以外にもずっとお世話になっているのに・・・。
午前8時。
楓さんを宥めた後、敷地内の散歩に出る。
「あ!陽子お姉ちゃん!!」
私の住む母屋と隣接する長屋の前で遊んでいる子供たち、黄泉ちゃん、甲くん、淨くん、萌ちゃんと、子供たちの面倒見役で私と同世代の千明と千影と会う。この時間に散歩をすると時々出くわす。私もこの輪に入って蹴鞠で遊ぶ。
子供は良い。私にも訳隔てなく接してくれる。でもこの子たちもある時期になれば余所余所しくなってしまうだろう。まあ、その頃には私はこの子たちの前にはいないだろうけど・・・。
午前9時。
子供たちと遊んだ後、散歩を終えて部屋に戻る。部屋の前には私の座学の先生である流乃さんが待っていた。袴姿に眼鏡をかけ、きりっとした綺麗なお姉さんである。
「陽子さま!毎日9時から勉学の時間だとお分かりのはず!」
「ごめんなさい、流乃さん。」
怒る流乃さんに上目使いで謝る。たまに遅刻したとき、私はいつもこの手を使う。
「う・・・ぬ。」
これをすると流乃さんはおろおろして怒るのをやめる。
「さあ、勉強を始めますよ。今日は事前にお伝えした通り“流界の文化・鉄道について”です。」
最近は妖界の文化や歴史・基礎教養は全て修得してしまったため、流界の勉強をしている。自分で言うのも何だが、私は勉学は優秀なのである。学舎に行ったことはなく、ずっと勉学は流乃さんのような専属の先生が教えてくれているのだが、全科目試験には常に満点。歴代の先生たちも教え甲斐がない,と溢すほどだ。でも、流乃さんにはまだ言われたことがない。そういうことを言わず変に媚びないのが流乃さんの良いところで、そんな流乃さんが私は大好きだ。
そんなことを思いながら、ぼーっと流乃さんを眺めていると、教科書を読んでいた流乃さんの目が一瞬私のほうを向く。
「ちゃんと聞いてますか!?」
「ごめんなさーい。」
現在、こんなやり取りができるのは流乃さんだけなのだ。
午後1時
3時間の座学を終え、昼食を摂った後は妖術の実技講義だ。また自慢になるけど、私は1度教えられれば大抵の術は修得できてしまう。そのため、実技のおじいちゃん先生・五月雨さんも毎回驚いており、最近は教えられる術が少なくなり、以前覚えた術の復習をすることが多いくらいだ。
午後6時
5時間の実技を終えて、入浴。側近の珠が背中を流してくれる。
「珠、いつもありがとね。」
「いえ、側近ですから。」
その言葉に消沈する。私は珠を未だに友達だと思っているけど、珠にとっては最早ただの主従関係になってしまったのだろうか?そんなことを考えながら湯船に浸かる。やがて体を洗い終えた珠も湯船に入ってくる。風呂場の壁にある小さな外窓から淡く暗がり始めた空を2人で眺める。昔はよく珠から話しかけてきたけど、現在は沈黙が流れている・・・。
午後9時
夕飯を摂って就寝。これが私の毎日。生まれてから約180年間殆どの日々をこの予定通りに過ごしてきた。これが、九尾として生まれた者の宿命として受け容れてきた・・・。父も母も祖父母も護国院の関係者も優秀で口答えもしない私を誇ってくれている。過去最高の京都守護妖候補だって。
では何故、その予定調和な毎日の内の今日この日をこうして日記に付けたのか。それは今夜、私が初めて予定調和を崩し、宿命に逆らうからである。
午前0時
私は屋敷を抜け出す。みんな、大好きだけど・・・
ごめん。
次回より『京都守護妖編』始まります。