第10話:帰路
狗美が必死に呼びかけるも、和神から返事はない。狗美は声にもならない声で泣いた。抱えた和神に涙が落ち、血と交じっていく。
「そんな・・・私を助けるために・・・?いや、私の所為で・・・。私が、自分を抑えられなかったから・・・。」
ぼろぼろと大粒の涙を流す狗美。しかし、異変を感じて和神を見やる。冷たくなってきたとか、死後硬直とかではない。
「これは・・・妖力?」
そう、和神に再び妖力が発現し始めたのである。それも徐々に増している。同時に、狗美は自身の妖力が和神に引っ張られているような感覚と、和神から湧き出す妖力が自分のそれに非常によく似ている事に気付く。
「この妖力って・・・私の妖力を吸収して・・・?」
そんな仮説を立てた狗美は、和神に向けて妖力を放出してみる。すると、見る見る妖力を吸収していき、出血が止まり、弾痕も爪痕も徐々に治っていく。
「そうか、昨日の夜も私がくっついて寝ていたから、妖力を少しずつ吸収して傷を癒し、妖力を吸い取られた私は犬神状態から戻ったのか。」
「昨夜は噛み付いてましたから、余計でしょうね。さっきも前足で踏みつけてましたし。」
「それで急に犬神の力が弱まって制御できたのか。」
和神の回復に安堵した2人は、いままでで最も言葉を重ねた。それはここ2日ほどの不可解な点を解決していくだけの内容だったが、2人の話題には丁度よかった。
およそ30分が経ち、和神の傷はほぼ完治していた。が、さすがに重傷を負ったことによる疲労はまだ残っており、狗美の肩に担がれて帰ることにした。帰る途中に神社の前を通ると、犬神にやられたボロボロの人狼たちが撤退している。狼斗の側近の遺体は比較的傷の浅い者が2人で運んでいる。それを脇目に走り抜ける狗美に腕を押さえた右頬に傷のある男が立ちはだかる。
「・・・王狼院の殆どは重傷者、その他も全員がケガ人だ。だが、どういうわけか死者は狼斗様に殺された側近の狼哉様だけ。つまり、貴様に殺された者はおらぬということだ。」
「そうか、運が良かったな。」
「運だと?貴様が手加減したのだろう?」
「あいにく私は犬神化すると意識が・・・」
「感謝する!!」
顔に傷のある男は深々と頭を下げた。どうやら狗美が手加減したと勘違いしているようだが、何にせよ仲間を殺さずにいてくれたことに感謝しているようである。
「我らは王狼院直属部隊のため、狼斗様が健在である以上、王狼院を抜ける訳にはいかない。意識が戻られれば狼斗様は再び貴様を狙うだろう。王位継承権第5位・歴代最弱の王位継承者と呼ばれる狼斗様には犬神という『力』を王狼院に取り込むしか王位を継ぐ術はないからな。」
「そうか。お前らも大変だな、あんなのに仕えて。」
「・・・明言は避けるが、我らは貴様への感謝を忘れない。だが、次に出会えば再び貴様の敵となるだろう。それ故、助言しておく。あまり貴様の自宅とこの神社には近付かず、身を潜めていろ。その担がれている人間もな。」
「はーい。」
担がれたまま和神は狗美の後ろから軽い返事をした。
「言われずともそうするつもりだ。もういいか?後を尾けて来たら今度こそ殺すぞ?」
「もうそんな体力は残っていないさ。」
狗美は再び駆け出し、次元孔を目指す。尾行の気配はないことを確認しつつ、狗美は自身が誰も殺めていなかったことに内心ホッとしていた。そんな狗美の心境を知ってか知らずか、和神が声をかける。
「よかったですね、誰も殺してなくて。」
「ああ。」
狗美が微笑みながら応える。和神にその表情は確認できないが、その声色から嬉しそうであることはわかった。
「犬神状態で意識がない上、あんな力で戦ってたのに死者が出なかったっていうのは、運が良かったとかじゃなくて、狗美さんが本能的に他人を殺したくないと思ってるからだったんじゃないですか?」
「そう・・・かな?そうだと、いいな。」
狗美の声はさっきの嬉しそうなものとはまた違った笑んだ声であることは分かったが、狗美の頬が赤らんでいたことは和神には分からなかった。
数分後、2人が通ってきた次元孔に到達し、狗美は和神を下ろす。
「ここから流界に戻って、しばらく外出は控えろ。」
「・・・狗美さんは?」
「私は、そうだな・・・。」
狗美はしばし口籠もった後、頬を桜色にして小声でおずおずと口を開いた。
「その・・・もう少し、お前の居るアパ-トに住まわせてくれないか?」
上目使いでそう言った狗美はさながら仔犬のようで、普段のボーイッシュな感じとのギャップに和神の心拍が通常の3倍になったことは言うまでもない。
「それは・・・大家さんに訊いてみないと・・・。」
「お前は・・・!?どうなんだ?これ以上私と関わりたくないんじゃないか?さっきまで死にかけてたんだぞ?」
「そんなこと言うなら、何で同じアパートに住みたいなんて言い出したんですか?」
「いや、他に行き場もないし・・・流界に知り合いはお前とあそこの大家さんくらいしかいないし・・・。」
狗美は目を逸らして、複雑そうな顔をしている。その顔を見て和神は取り繕う。
「いや、俺は狗美さんといるのは全く嫌じゃありませんよ。同じアパートに住むっていうならそれでも構いませんし、むしろ嬉しいくらいです・・・。」
「本当か?」
「はい。」
「そうか・・・。出逢った頃から、と言っても2日前だが、お前はよく受け容れられるな?私が殴り飛ばした事から始まり、妖のことや死にかけた事まで。」
「そうですね・・・子供の頃から割りと愚痴とか溢されますし、そういう体質なのかも知れませんね。だから妖力も受け容れられたんですかね?」
和神は冗談混じりに言ったが、狗美は真剣な眼差しでそうかも知れん,と考えている。
「・・・じゃあ、帰りましょうか。狗美さん?」
「・・・ん、そうだな。また面倒をかけるだろうが、よろしくな。」
見つめ合う2人の顔は安寧に満ちていた。
「ああ、後・・・。」
次元孔を通った後、和神の住むアパート・とこしえ荘に帰る地下鉄の中で狗美が切り出した。
「『さん』付けと敬語、やめてくれないか?私の方が迷惑かけてるんだからな。」
「・・・わかりま、わかったよ・・・・・狗・・・美。」
和神はぎこちなく言ってみた。
これで『狗美編』完結です。次回から新章突入ってやつです。




