二十三話・決闘4
階段の上から景色を見下ろすと、広間が様変わりしていた。
並べられていた机が全てどかされていて、貴族たちは二階の観覧席のような場所から一階を眺めている。
人や物がなくなった広間はより一層の奥深さが増していて、戦うにも十分な広さが確保されている。
広間の中央で一人巨剣を携えて仁王立ちする騎士の姿。
どこかオーラが見えるほど、強烈な存在感を放っている。
ゼウスのステータスは知っている。
総合的な数値で見ても今の俺なら負けていないどころか、圧勝のはず。
でも、俺には明らかな弱点がある。
それはHP、頑強の少なさだ。
ゼウスレベルの攻撃力を持つ相手に一撃……いや、攻撃が掠りでもすれば致命傷になってしまう。
それに俺のステータスを表現すると、紙装甲に音速突破できるほどのエンジンを積んでいるような感じだ。
トップスピードで何か障害物に当たっても即死だろう。
神眼で上手くカバーできている部分はあるけど、それでも完璧ではないはず。
今更ながら迷宮でRTAなんて、ヤバイ無茶をしていたような気がする。
今度レベルが上がったら、平均的に能力値を引き上げておかないとな。
そんなことを考えていると、ゼウスの前にまでやって来た。
ゼウスは巨剣を肩に掲げると、悪戯をした子供のようにニヤリと笑った。
「よお、久しぶりだな。あの日以来か……」
「こちらこそ、お久しぶりです」
「マリナちゃんは元気にしてるのか?」
「はい。昨日からちょっと体調を崩していますが、病気とかでないので大丈夫です」
「そうか、また家に帰ったら宜しくと伝えてくれ。それと……」
ゼウスがゆっくりと俺の前に立つと、耳元で囁くような声を出した。
「あんまり色々な女に手を出すと、マリナちゃんが悲しむぞ?」
「ちょ! 全然手なんて出してないですから! 俺にも色々事情があるんですよ!」
いきなり何を言い出すのか、俺は最初からマリナ一筋だ。
浮気なんてとんでもない。
ゼウスは慌てる俺に機嫌をよくしたのか、小さな笑い声をあげた。
「分かった、分かってるよ! シンヤになんか事情があるっていうのは流石の俺でも分かるさ。それを承知でこの勝負の場を借りさせてもらったんだ」
「どうしてわざわざ俺なんかと?」
これは俺も気になっていた。
一冒険者でしかない俺とどうしてそこまで戦いたいのか……何か他の人が知らない情報を持っているのか……。
「率直に言わせてもらう。…………俺はまだまだ強くならなくてはいけない。モンスターどもと対峙した時、己の力の無さを痛感した。あの時、あの場にいたのが俺だけだったなら、この場に立ってはいなかっただろう。街もただじゃ済まなかったはず。最悪、閉じ込められた住民は全員やられていた。この街にそんな光景を作り出すわけにはいかない。ただの直感だが、シンヤは俺よりも強い。しかも遥か上の強さだ。そんな男と本気でやり合うことが、強くなる近道だと俺は確信している」
ゼウスの言葉には一つ一つに強い意思を感じさせ、その瞳は俺だけに向いている。
見下ろす貴族たち。
俺の後ろで話を聞いているセオルドやグリゼリス。
その誰でもなく、ただ俺だけを真っ直ぐに。
「我儘に付き合わせてしまっていることは理解しているが、実際問題、俺もかなり焦っている。あの日以来、毎日夢に出てきやがる。子供の泣く声。街を破壊する音。この街が魔物に支配される光景を。夢の中だっていうのに、映像も、感触も、臭いまでリアルだ。もう一つの世界が鏡一枚を隔てて、実際にそこにあるとさえ感じさせる。勝手な事情だが、この戦いで俺はお前を本気で殺しにいく。そっちも殺す気でこないと一撃で死ぬことになるぞ?」
ゼウスの全身から迸るような赤いオーラが湧いてくる。
肉眼では見えないけど、神眼の力で伝わってくる。
ゼウスの言葉に嘘はない。
本気で殺しにくる。
これだけ真剣な瞳をした人を相手に手を抜けるはずがない。
俺も本気の力で戦うことを心に決めた。
「分かりました。戦う前に一つだけ聞きたいことが」
「なんだ? 言ってみろ」
「どうしてそこまでしてこの街を守りたいんですか? ゼウスさんほどの力なら、何が襲ってきても大切な人を守りながらこの街から逃げられるはずですよね?」
ゼウスの全身から溢れ出るオーラが、風に揺られる炎のように形を変える。
ゼウスの感情に合わせて形を変えているようだった。
「人間っていうのは近すぎると、案外大切なことでも見えなくるものだ。俺は大切なものが近くにあったのに、それに気がつかずに全てを手放した大バカ野郎だ。だけど、そんな大バカ野郎にも間違いを気付かせてくれた人たちがいる。過去、現在、未来、あの日見失った全てがこの街にあったのだと。そんな人たちが愛した街を潰させるわけにはいかねーんだ。上手く言えないが、この街には俺の全てが詰まっている。だから俺はこの街を何があっても守ってみせる」
「そうですか……。ありがとうございます」
レギレウスと戦ってからよく考えていることがある。
人は何の為に戦うのだろうかと。
多くの人はこう言うだろう。
誰かを守りたい為にと。
生活のためにと言う人もいるだろう。
ゼウスの街を守りたいと想う気持ちは他の誰とも違う。
俺の気持ちとも違うし、ティーファやルルとニョニョとも。
だけどゼウスの言葉には凄く共感できた。
大切な人たちと過ごした街を、大切な人たちが愛した街を守りたいという想い。
守りたい範囲は違うけど、結局は俺と同じ想いなんだ。
「では、話は済んだかな?」
俺とゼウスの横にセオルドが立つと、俺たちは静かに頷いた。
セオルドは二階に視線を上げて周囲を見渡すと、声を張り上げた。
「長らくの間、お待たせした! これより、リンカ王国貴族法第6条の規定により、異議申立て人であるシンヤ=タカハシと、代理者であるゼウス=セインドとの決闘を執り行う! 勝負の決着はどちらかが参ったと述べた時か、戦うことの出来ない負傷を負った時のみとする!」
セオルドの声は広間中に響くほど力が篭っていて、音が何度も壁に当たって反響する。
この場にいた貴族たちの全てが決闘が始まることを知ったのだった。
セオルドたちが二階に到着すると、俺とゼウスも互いに決められた距離を取る。
場の中央地点からお互いに歩いて15歩の距離。
15歩進んだ先で、開始の合図を待つ。
後はセオルドが合図を出すだけだ。
貴族たちから唸るような拍手と、歓声が巻き起こる。
その全てが英雄であるゼウス向けられたもの。
完全なるアウェーの中でも、一つ一つの音を聞き分けられるほど俺の頭は冴えていた。
ゼウスの方に視線を向けると、ゼウスもまた耳を澄ますように目を閉じて集中していた。
拍手や歓声が自然と収まると、開始の銅鑼の音が鳴り響いた。
反響する銅鑼の音が響くと同時にゼウスが先に動いた。
一直線に俺を見据えて突進してくる。
これまで見てきた生き物の中で最も速く、圧力がある。
ゼウスは僅か二歩という脚力で、俺の目の前まで到達した。
と同時に振り上げられる巨剣。
速い!
俺が左に身をかわすと同時に、ドゴッッという破壊音と土煙が室内に舞った。
攻撃を躱されたゼウスはその場に直立したまま動かない。
舞っていた土煙が消えると、ゼウスの前にできた大穴が視界に映る。
直径にして一メール近い大きな穴だ。
あんな攻撃をまともに受ければ即死は同然、体は一片の欠けらも残さずに粉々だろう。
ゼウスは確かに速いし、攻撃力は半端ない。
でも……避けられない速度ではない。
さっきの速度なら安全に且つ、反撃をする余裕すらある。
それだけ俺の速度が圧倒的だということなのかもしれない。
空気が完全に澄んでいくと、ゼウスの表情が露わになる。
目を見開き、剣を握った両手を見つめている。
観戦している貴族たちから、地鳴りが起こったような歓声が轟いた。
貴族たちはなぜかすでにゼウスが勝ったかのように、ゼウスコールを始めていく。
ゼウスは不思議そうに自身が作った穴に一瞬目を向けるが、すぐに首を横に振った。
そして周囲を見渡し、遠く離れた俺の姿を発見すると複雑な表情を見せた。
そんなゼウスの姿を見ていた貴族たちも「え? あいつ……まだあそこに立ってるぞ?」「馬鹿な!! 今確かに、ゼウスの攻撃で粉々に砕かれたではないか!?」「どうやってあそこまで移動したんだ!?」など、さっきまでの歓声は止み、混乱している声がそこら中から聞こえてくる。
ゼウスはさっきまでの複雑な表情から、意味深にニヤリと笑った。
「やってくれるな、シンヤ。俺の剣は直前までお前の頭部を完全に捉えていたはず。実際に俺の経験から、確実に攻撃は当たったはずだった……。だが、俺の手には殺ったという感触は残っていなかった。まさかとは思ったが、俺が捉えることができない速度でそこまで移動しているとはな。俺の直感に狂いはなかったみたいだが、ここまで差があるとは……。カッコつけてはみたが、シンヤを本気にさせるほどの力は俺にはなかったようだ」
意外なことに、ゼウス自身も俺の動きを捉えることは出来なかったようだ。
人間の目は、近い存在の急激な動きにはついていけないことがあるというし。
「そんなことありませんよ、ゼウスさん。今の一撃は確かに俺を本気にさせました。だから避けられる。絶対に当たらないと分かっていても、体が勝手にここまでの距離をとらせていた……。それはゼウスさんの力に気圧されていたからに他なりません」
ゼウスは頬をポリポリと左指で掻くと、照れたような笑いを微かに見せた。
「まあ、お世辞でもそう言ってもらうと本気を出した甲斐があるってもんだ。だが……さっきの一撃で分かったが、俺の今の力だとシンヤの動きを捉えることはできない」
ゼウスの視線が戦いの時のように鋭くなると、戦意を喪失していないことが伝わってくる。
巨剣を持ち上げて戦闘態勢に戻した。
「だがな……確実に俺よりも強い相手だろうが、黙ってやられるような聞き分けの良い男じゃねーんだわ。むしろ、己よりも強い相手こそ俺が望む相手! 最後まで付き合ってもらうぞ!」
ゼウスの体を覆う赤いオーラ。
今度は肉眼でも捉えられるほどハッキリとユラめている。
もしかしてこのオーラは……武技!?
俺の予想はすぐに確信に変わった。
ゼウスは持ち上げた巨剣を頭上にまで掲げると、俺との距離が20メートル近くあるのに勢いよく振り下ろした。
次の瞬間、さっきの一撃の数倍の爆音が広間を襲った。
そして……俺の視界を塞ぐように舞った粉塵と床の亀裂。
亀裂に飲み込まれる前に横に飛び退く。
粉塵のせいで30センチ先も見えない視界。
聞こえる音は粉塵に巻き込まれた貴族たちの悲鳴だけだった。
そんな中、俺の神眼の範囲にゼウスが入り、一直線にこちらに向かって来ていることが分かった。
ゼウスの巨剣がもう一度振り上げられる。
ゼウスがその巨剣を振り下ろす前に動き出し、今度は自分の体が過剰に回避しようとするのを制御して、ゼウスの背後に回った。
そして、ゼウスの首筋に剣を当てる。
ゼウスの振り上げた剣は行き場を無くしたように、空中に止まった。
流れる静寂の時間。
二人だけの空間が静かに過ぎていく。
降りてきた粉塵がゼウスの髪に付着し、綺麗な金色の髪を白く染めあげていった。
ゼウスは敗北を認めるように、床に膝をつく。
景色が少しづつ明瞭になっていくと、俺たちの姿が観客の前に晒された。
「まいった……」
ゼウスの口からようやく出た声は、静寂が支配する広間に広がった。
「この巨大な亀裂はいったいどうなって……!? ぜ、ぜ、ゼウスが膝をついているだと!?」
「そ、そんな馬鹿な!!」
「あり得ん!! こんなこと起こり得ない!!」
会場を二分するような巨大な亀裂と、武器を手放して跪くゼウスの姿。
粉塵で見えなくなっていた戦闘のその後の結果が、誰の目で見ても一目瞭然な光景になっていた。
貴族たちの阿鼻叫喚といった姿は、さっきまで優雅に食事をしていた人たちと同一人物なのかと疑うほどで、ショックで失神してしまう者も出ている。
そんな中、セオルドが場の収拾を図るように声を張り上げた。
「第一決闘の勝者をシンヤ=タカハシとする!! この結果に伴い、第二決闘を即座に執り行う!! リンカ王国貴族法第6条の規定により、アルフレッド=ヴァイデンとシンヤ=タカハシの両名は決闘場の中央に集まること!!」
セオルドはそう宣言すると、自ら決闘場の中央に向かうために階段を降りてくる。
俺にとっては次こそが本番。
気合いが漲ってくるのを感じながら、うなだれるゼウスの手を取り、体を持ち上げた。
「……どうして視界が不明瞭な中で、俺の姿をあれだけ正確に把握できたんだ?」
ゼウスは純粋な疑問をぶつけるという感じで、俺に質問を投げかけた。
そんなゼウスにスキルの力なんていう、身も蓋もないことを言えず、言葉を濁すしかなかった。
「それは……俺の力の一つなので簡単には言えません。というか、ゼウスさんだって俺の方に一直線に向かってきたじゃないですか?」
「ああ、あれは直感だ。そもそも近距離戦でやり合えば、俺の目はシンヤの動きを捉えきれない。だが、あの距離からだと辛うじて何処に動いたのかは見えた。後は直感で進んで剣を振り上げただけだ。俺もシンヤの動きが見えない以上、シンヤからも俺の姿は見えないはずだった。そんな状況だからこそ勝機はあったはずだった……」
「あの武技も最初からダメージを与えるつもりじゃくて、俺の視力を奪うためだったということですね」
ゼウスはフッと鼻で笑うと、自虐的に話を進める。
「まともにやり合えば勝負にならないからな。そういう時は何とかやり合えるようにない頭を使ってみる。今回は上手くいったと思ったが……シンヤの方が一枚も二枚も上だったわけだ。だがな……今回は完敗を認めるが、だからと言ってシンヤに勝つことを諦めるつもりはない。また一からだ……。俺の我儘に付き合わせて悪かったな……」
「いえ、俺の方こそいい経験になりました」
「戦ってくれてありがとう」
ゼウスは最後に大きな礼を見せると、巨剣を手に取り広間を後にした。
戦いの時間は短かったけど、本当に良い経験をできたと思う。
職業柄モンスターと戦うことはあっても、人と真剣に戦うなんて滅多にない。
あの背水の陣を引いたような気迫は、モンスターからだと感じなかったものだ。
しかもその相手は最強の騎士なのだから、この戦いの価値は思っているよりも大きいはず。
また一つ大きな経験を得たと感じながら、次なる戦いに心を整え、待ち構えた。




