十八話・貴族の洗礼
モンジュー家の本邸の前にやって来た。
本邸というだけあって、別邸よりも数段大きい建物が二つも建っている。
鉄製の檻のような柵が、庭を含む、屋敷全体を覆うように囲んでいる。
本邸に入るための唯一の出入り口である門の前では、慌ただしく馬車が出入りしていた。
その度に守衛の人が身分証か、招待状を確認している。
俺もグリゼリスから招待状を貰っているので入るのは問題ないはず。
順番抜かしをするのもアレなので、縦に六台並んだ馬車の後ろに並ぶ。
馬車以外の出入りがないから、ちょっと場違い的な感じはするけど。
ドキドキした状態で待っていると、程なくして前に進む。
一台、二台、と馬車が続いて屋敷内に入っていくと、俺の後ろからまたガタガタと音を鳴らして馬車が屋敷に近づいてくる。
馬車はスピードを落として俺の後ろで止まった。
「おい! そこの者! そんな所に突っ立ていては邪魔であろう!!」
何故か怒られてしまい、後ろを振り返ると、馬車を手綱で操作する中年の男が俺を睨みつけていた。
え? ここで並んだら駄目なのか?
礼儀とか作法とか知らないから、何かやらかしているのかもかしれないから一応謝っておこう。
「ゴメンなさい。ここって馬車専用の入り口なんですか?」
「何を言っている! 馬車も持たぬ卑しい者が、モンジュー公爵家の屋敷に入れる訳ないだろ!! こいう目出度い場では、お前みたいな乞食が集まって難儀するのだ。とっとと失せろ!! 目障りだ!!」
男は眉間にしわを寄せ、ハエを払うように手を上下させる。
男の態度に流石の俺もイラっとするが、こいう扱いには慣れているので、関わらないように無視することに決めた。
「邪魔だと言っておるだろ!! 聞こえんのか!!」
後ろで無茶苦茶に罵ってくるが、振り返ることもしなかった。
すると男が出す騒音に耐えかねたのか、馬車の窓がピシャッと開く音がした。
「ドバス、何事だ! さっきから騒がしいぞ!」
「申し訳ありません、アドニス様。乞食が物乞いをしていまして」
「物乞いだと!? 豊かなヴァルハラ都市内でもそのような卑しい存在がおるのか! 由々しき事態だ!」
「左様でございます。しかもこの乞食、人の話を無視して列に並んでいるのです。あわよくばモンジュー家の屋敷に入るつもりなのでしょう」
「ここは私が言って聞かせよう」
何か不穏な会話が聞こえてくる。
流石に後ろを振り返って様子を見る。
すると、頭が禿げた中年の男が馬車から降りてくる。
さらにその護衛であろう、武装した二人の男が続いて降りた。
二人の屈強な男を従えて、ハゲで、でっぷりと太った男が俺の方に近づいてくる。
「そこのお前! これ以上の暴虐は、この街の貴族であるアドニス=ロードリアが許さん!」
ちょ! 俺、パーティーに参加するために列に並んでるだけだって!
何かとんでもない犯罪を犯したみたいなことになってる!
「ちょっと待ってください!! 俺も一応招待されてここに来たんです!」
「馬鹿を言うな! お前みたいないかにも乞食という見た目をした人間が、招待されるはずがないだろ!」
さっきから乞食、乞食って酷いだろ!
って……あ……服を着替えるの忘れてた。
流石にタキシードは恥ずかしいから、冒険者ギルドに向かう前に服をティーファに渡していたんだ。
貧困街で色々あって頭から色々と抜けていた。
「ごめんなさい。でも一応招待状もあるので」
もう次が自分の入場の番なので、ここは招待状を見せて嘘じゃないことを証明するのが一番手っ取り早い。
アドニスは荒々しく俺の手から招待状を分捕ると、馬車に向かって歩き出した。アドニスは明かりの下で、瞳を動かして文章を見ていく。
「ふむふむ…………何!? グリゼリスお嬢様からの招待だと!!! 有り得ん!! ……!?」
アドニスは驚きの表情を何度か浮かべ、次は納得したように何度か頷いた。
「まさか貴様!! この偽造された招待状で中に入るつもりだったのだろ!! 他の誰を騙せても、このアドニス様だけは騙せなかったようだな!!」
アドニスは不敵な笑みを浮かべると、そのまま持っていた招待状を破り捨てた。
「あ! 何するんだよ!!」
「何するんだよだと? お前こそ乞食の癖になんたる行為をしたんだ!! 公文書を偽造するなど死罪は避けられんぞ!! さらに一族郎党全て連座の対象となりうる!! そこの騎士たち! この者をひっ捕らえよ!!」
アドニスが大袈裟に騒ぎ出すと、守衛と思っていた人たちが続々と集まり出し、後ろに並んでいた貴族たちも馬車から降りてくる。
「あ! 貴方はアドニス子爵様ではありませんか! 一体どうなさったのですか?」
守衛の男の一人がアドニスの顔を見るや否や、深々と頭を下げて敬礼した。
アドニスはその態度に気分を良くしたのか、饒舌にことの流れを自分のいいように話していく。
「なるほど……。アドニス様の言う通り、この男は怪しいですね。それに公文書の偽造は重罪。アドニス様、身柄は第二騎士団、部隊長であるレックが預からしてもらってもよろしいでしょうか?」
「うむ。あの招待状は一乞食が作ったにしてはよくできていた。もしかすると裏に大きな組織が絡んでいるやもしれん。しっかりと情報を吐かせるようにな」
「サイク帝国の手先……」
どこかの野次馬貴族が俺をサイク帝国の手先だと呟いた。
それに同調するように周囲の貴族たちも頷き出す。
アドニスは自分の手柄のように、周囲の貴族と話をしていく。
「大人しくすれば痛い目に合わせないが、抵抗すると言うのなら骨の一本や二本は覚悟してもらうぞ!?」
「俺は何もやってないぞ!」
「話は大人しく捕まった後で聞いてやる!」
騎士団の男たちは俺を囲むように陣形を取り、絶対に逃がさないという意思を感じさせる。
何か一悶着はあると思っていたけど、ここまで大ピンチになるとは思っていなかった。
このまま大人しく捕まれば、絶対にまともに話は聞いてくれない。
今だって貴族の話しか聞かずに、俺の話を聞こうとすらしなかった。
逃げるか……?
グリゼリスには悪いけど、こうなった以上はどうにもならない。
騎士団が動き出したことで、更にザワザワと騒々しくなる。
「え!? あ!?」
「貴方たち! 一体ここで何をしているの!?」
「え? いや……グリゼリス様……。実は怪しい人物がこの屋敷に侵入を試みようとしていたようで……」
「怪しい人!? 今すぐ会わせなさい!」
「しかし……危険がございますので」
少し遠くから聞こえてくる声は間違いなくグリゼリスだった。
周囲の引き止める声に一切耳を貸さず、グリゼリスの声がこっちに近づいてくる。
ふーー良かった。
グリゼリスなら誤解も解けるし、逮捕とかいう話もなくなるだろう。
一瞬、ヴァルハラ迷宮都市を出て行かないといけないのかと思った。
意外な人物の登場に騎士たちの動きも止まり、状況がどう動くのかを様子見し始めた。
「そこを退きなさい」
グリゼリスの声がすると、騎士は何かを言うこともなく包囲を解いた。
グリゼリスは囲まれていた俺の顔を見ると、やっぱりという表情をした。
「シンヤ様、ゴメンなさい。正装を渡すのを忘れてたいたわ。窓からシンヤ様の並んでいる姿が見えて慌ててここまで来たの。一応シンヤ様が来ることは、第二騎士団の責任者に伝えたはずなのだけど、どうも正確に伝わっていなかったようね」
グリゼリスはたまに見せる肉食獣のような鋭い瞳を、第二騎士団の騎士たちに向ける。
騎士たちはその瞳を見ると少し後ずさり、喉をゴクリと鳴らした。
「どうして、大切なお客様であるシンヤ様を、騎士たちが囲んでいるのかしら? 説明してもらえる?」
グリゼリスは大切なお客様の部分を強調すると、騎士団の面々を見回した。
そこに一歩前に出たのが最初にアドニスと会話したレックだった。
「グ、グリゼリス様。第二騎士団、部隊長のレックと申します。ことの次第はこの場の責任者であるレックが説明させて頂きます」
「レック、お願いするわ」
「我々騎士団がこの場に集まった理由は、あそこに居られるアドニス子爵様が犯罪者を捕まえろと大きな声で騒ぎ出したからです。この場に来てアドニス様のお話を伺うと、彼が公文書を偽造したということだったので、その話を詳しく聴取するために逃げないように囲んで、捕縛する予定だったのです。そこにグリゼリス様が……」
グリゼリスとアドニスの視線が重なると、アドニスは自分は関係ないと言わんばかりに首をブルブルと横に振った。
なんていう狡猾な男だ。
どう考えてもこの騒ぎの原因はお前だろ!
「なるほど、話は分かったわ。シンヤ様、今の話に間違いはないですか?」
「確かにそんな流れでした。でも俺の話を全然聞いてくれないし……」
グリゼリスは再びレックの方を向くと、腕を胸の前で組んだ。
「レック? 話は分かったけど、一方からの話を信用し、一方の話すら聞かないのは騎士としてどうなのかしら?」
「あ、いえ。それは捕らえてから話を聞こうと……。いえ……申し訳ありませんでした」
レックは言い訳をしようと試みるが、グリゼリスの怒りの視線に素直に謝った。
だけど、グリゼリスの怒りは収まっていないようだ。
「謝る相手が違うのではないかしら?」
レックはハッとした顔をすると、俺の方を向いて頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、シンヤ様。我々がしっかりと確認を取らずに捕縛しようとしたことは間違いでした」
「いえ。勘違いが分かったのならそれでいいです」
まあ、よくよく考えればこの人も被害者のようなものだ。
貴族と何処ぞの不細工となれば、貴族を信用する気持ちも分かる。
「それで、シンヤ様はどうしてアドニス子爵と揉めることになったのですか?」
グリゼリスの質問に正直にあったことを答えた。
招待状を破り捨てたという話を聞いたグリゼリスは、眉間をピクピクと動かし、明らかに怒っているようだった。
グリゼリスはハッキリとした足取りでアドニスの方に歩いていく。
「アドニス子爵、お久しぶりですね」
「これはグリゼリスお嬢様。お久しぶりでございます。無礼を承知でお聞きしたいのですが、あの御仁はグリゼリスお嬢様とお知り合いなのでして……?」
「そうよ」
アドニスはカエルが引き攣ったような笑顔を見せながら、グリゼリスと話を続ける。
手を揉み揉みしながら話している姿は何処かの商売人のようだ。
「やはりそうでありましたか! あの凛とされた立ち振る舞いに感心していたのです。実は招待状をお借りした時点で相当な傑物と判断したのです。ですが私も騎士上がりの武人でして、その実力をこの目で見たいと思い、失礼を承知で騎士を当てつけたわけです。あの御仁に誤解をさせるよなことをしたこと、この場を借りて深く謝罪致します」
チラチラとグリゼリスの反応を伺うアドニスの姿を見ていると、ゲンナリしてくる。
どこが凛とした立ち振る舞いだよ!!
乞食とか言ってただろ!
よくもこんな嘘を平気につけるもんだ。
「そう。アドニス子爵の話は分かったわ。でも、どんな理由があっても私の大切な客に無礼を働いたのも事実。今回はアドニス子爵の顔を立てて不問にしますが、次はないことを肝に銘じておいて下さい。今後、彼に対する侮辱は私に対する侮辱と判断するわ」
「はい……。肝に銘じておきます、グリゼリスお嬢様」
グリゼリスはアドニスの敬礼を全く意に介さないように後ろを振り向いた。
俺と目が合うと、グリゼリスはニコリと笑って近づいてくる。
さっきまでの他を圧倒する威圧感は何処かに消えていた。
グリゼリスは俺の横に立つと、俺の腕を自分の腕に絡ませた。
俺が呆気にとられた表情を浮かべると、「婚約者様、今夜は宜しくお願いします」と笑いかけてくる。
そんなグリゼリスの態度に、俺以上に呆気にとられる貴族と騎士たち。
「ちょっ! みんな滅茶苦茶見てるんだけど!」
「何言ってるのシンヤ? これからもっと凄いことを大勢の前でするのよ? これくらいで動揺していたら身が持たないわよ?」
耳元で囁くグリゼリス。
「そりゃそうだけど……」
「シンヤ様? グリースを守って下さいね?」
グリゼリスは俺の肩に寄りかかり、上目遣いで俺の返事を待っている。
そうだった。
ここはもう戦場だったのだ。
俺のこの肩にグリゼリスの命運がかかっているんだ。
「分かっているよグリース。必ず守ってみせるから。この剣と誇りにかけて約束するよ」
俺はキザな台詞を述べると、グリゼリスの頭を撫でてみる。
ルルやニョニョと同じように優しく撫でていると、猫のように目を細めて俺に身を預ける。
「一体何が起こっているのだ!?」
「グリゼリスお嬢様がどうして!?」
「馬鹿な……我々の計画が……」
周囲から上がる驚きの声を背に、俺たちは真の戦場に向かったのだった。




