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十二話・初めての

 グリゼリスの相談を受け、家に帰ってしばらくしたあと、食事の準備が終わった。

 みんなで食卓を囲みながら、マリナに話を振った。


「マリナ。明日の昼ごろに、セオルド公爵がヴァルハラ迷宮都市に帰ってくるって知ってます?」

「そういう話はギルドの中でもありましたよ。いよいよ領主の帰還ですね」

「今日は俺、予定があるって言ってましたよね?」

「あ、どうだったのですか? 間に合いましたか?」

「ええ、間に合ったのは間に合ったんですが……。実は……領主の孫娘であるグリゼリスさんに、相談があるって呼び出されていたんです」


 スプーンを持ったマリナの手が空中で止まり、少しのあいだ固まった。


「そ、それで……?」

「で、あのアルフレッドと結婚の話が明日あるとかで………。それをどうしても阻止してほしいという相談です」


 マリナはなぜかホッとしたような表情を浮かべると、頭を悩ませながら解決策を提案していく。


「阻止するのに一番の近道は、セオルド公爵を説得することですね。公爵がこの領地の全ての実権を握っているのですから。公爵の意思が堅いのならば、アルフレッドに強引な手を使ってでも諦めさせるしかありませんね。その時は違う相手にすり替わるだけだとは思いますが。そもそもの原因を考えるに、モンジュー家の跡取りがグリゼリス様しかいないことにあります。あのアルフレッドを相手に選ぶということは、公爵はよっぽど焦っているのでしょう」


 やっぱりそうだよな……。

 もし俺がアルフレッドとの結婚話を破談にさせても、結局グリゼリスの運命は変わらない。

 でも……俺はやる!!

 アルフレッドだけは野放しにはできない。


「でも……よかったです。シンヤがグリゼリス様に呼び出されたというから、シンヤがその相手に選ばれたのかと思いました」

「あ! マリナねえちゃん、ヤキモチ妬いてるんだーーーー!!」

「ニョニョ! マリナねえちゃんも良い年頃なのよ。せっかく捕まえた未来の旦那さんなんだから、ヤキモチくらい妬くわよ」

「そんなに心配なら早く子供でも作れば良いのに」

「ニョニョ、それいいね!! 家族がいっぱい増えて楽しそう!」


 ちょ、この二人は急に何を言いだすんだ?

 いくら何でもおませすぎないか?

 マリナも二人の話に脳がクラッシュしたようで、ブツブツと何かを言っている。


「こども……シンヤ。ぎんいろ……おんなのこ……」


 マリナがブツブツ言っているのって、完全にティーファのことじゃないか!

 前にティーファは、鳥のティーファのことだって説明したのに。

 突拍子がなさすぎて、信じていないのかもしれない。

 今度、変身するところも見せておかないと。


「マリナ。おーいマリナ!」

「はっ!! 私は一体!?」

「マリナ、大丈夫? ルルとニョニョもあんまりお姉ちゃんで遊ばない!」

「「はーい」」


 ルルとニョニョから元気のいい返事が返ってくると、マリナもようやく正気を取り戻したようだ。

 気を取り直して、真剣な目でマリナを見つめて口を開いた。


「実は話には続きがあるんだ」

「こ、今度は何ですか……? こ、子作りの話…………ですか??? で、で、ですが……心の準備が……」


 前言撤回だ!

 全く正気を取り戻していなかった!


「違う、違う! グリゼリスさんの話!」

「グリゼリス様? …………何かあったのですか?」

「グリゼリスさんが、結婚を回避するために俺と約束をしたの」

「な、なるほど」

「その約束が、グリゼリスさんの婚約者の役をして、結婚を破談にすることなんです」

「あ、え? シンヤがグリゼリス様の婚約者!? そんな!?」

「「あ! マリナねえちゃん!!」」


 マリナは俺の話を聞くと同時に意識を失い、椅子から倒れ込もうとしていた。

 素早く動き、マリナが椅子から転げ落ちる前に抱きかかえた。


「マリナねえちゃん大丈夫?」

「大丈夫。少しびっくりして、気を失っただけだ」

「「そっか、よかった!」」

「マリナを寝室に運んでくるよ」


 うーん、今日のマリナはなんか変だったな。

 冷静さがないし、なんか浮ついているというか。

 顔も普段より赤かった気もするし……。

 最近はギルドの仕事も忙しいし、疲れていたのかもしれない。


 リビングに戻ると、ルルとニョニョがキラキラとした眼差しでこちらを見ていた。


「さすがシンヤ師匠! 今の動き、全く見えなかった!!」

「今のがいつも言っている、神速の領域というやつなの?」

「いや、今のは神速の領域には程遠いかな。神速の領域に入れば、自分以外の全ての生き物……いや、世界が完全に止まるんだ。そんな中で、自分だけが自由に動けることができるんだ」

「やっぱりシンヤ師匠は凄いなーー」

「ルルとニョニョの家族になってほしいなーー」


 ルルとニョニョはキラキラとした目に加えて、愛らしい笑顔を向けてくる。

 なれるならなりたいけど、それには色々と乗り越えないといけない壁もあるし。

 マリナの気持ちもある。


「マリナねえちゃん、最近は凄く嬉しそうなんだよ?」

「いつもシンヤのこと楽しそうに話してるし」

「シンヤが家に来る前と全然違うよ」

「マリナねえちゃん、シンヤのこと大好きなんだと思う」

「「だから、ね?」」


 二人の目から放たれるハートマーク光線に、首を縦に振るしかなかった。


「わ…………わかったから……。その……また近い内にマリナと話するから」

「「やったーー!!」」

「今日じゃないからな!! 近いうちにだ!!」



 なぜか、話したいことと全然違う話が進んでしまった。

 マリナにはまた明日、改めて話をしよう。


 でもまあ、こういう日もあっていいのかもしれないな。


 そう思いながら、寝ることにした。





 翌朝、マリナと顔を合わせると、明らかに動揺したように目を逸らした。

 昨日のことを覚えているんだろうか?

 忘れてたらまた一から説明しないと。


「マリナ! 昨日話したこと覚えてる?」


 マリナの赤い顔が更に赤みを帯びていくと、顔を隠すようにコクリと頷いた。

 なんだ、さすがに覚えているのか。


「あ、あのシンヤ。昨日言ったことは、わ、忘れてくださいね。私も忘れますから……。ちょっとおかしくなっていたみたいです」

「いや、いや、忘れたらダメですって!! 約束したって言ったじゃないですか? それが今日なんですよ?」


 マリナ……大丈夫か?

 一晩寝ても思考能力が完全に死んだままなんだが……。


「え? あれ? 約束……したんですか……。今日……するんです…………か?」


 マリナは挙動不審になったように、手と目があっちにきたり、こっちにきたりと、落ち着かない様子だ。

 今日するもしないも、こっちに選択できる権利はないんだ。

 グリゼリスは今日しかチャンスはないと言っていたし。


「絶対に今日だし、今さら変更もできないよ」

「わ……わ、分かりました……。それなら……二人が寝ている…………今の方が……いいです」


 二人が寝ている方がいいっって、どういうこと!?

 どうでもいい気がするんだが……。


 マリナが急に上目遣いでこちらを見つめると、ゆっくりと近づいてくる。


 え? ちょっ、近い!


 肌と肌が触れ合うほどの距離にマリナが立った。

 マリナの口から漏れる息が、俺の頬を刺激する。

 意味不明な状況に、少し荒い声が出てしまう。


「マリナ! どういう……」




 え…………?




 そんな俺の口を抑えるように、マリナの唇と俺の唇が重なった。

 その勢いのまま、マリナの舌が俺の口に入ってくる。

 マリナの髪の毛から漂う甘い香りと、舌と舌が絡み合う感触に、全身が痺れるような感覚に襲われる。

 マリナと俺が溶け合っているようだった。


 マリナがどういうつもりなのかとか、もうどうでもいい。

 ただ、マリナと繋がっているこの瞬間を、一秒でも長く続けたかった。


 とても長い時間、抱き合っていた。


 お互いがお互いを離そうとしなかった。



 だがーーーー。



「にゅにゃーーにゅにゅにゅ!」


 ニョニョとルルの部屋から突然聞こえてきた声に、俺たちは瞬間的に距離を取る。

 聞き耳を立てて、二人の部屋の様子を伺うが、部屋から出てくる様子はない。

 どうやら寝言だったようだ。


 マリナもそのことが分かったのか、安心したように息を一つ吐いた。

 さっきの余韻が残っているのか、お互いの視線と視線が重なり合う。


「マ……マリナ。今のって……」

「い、今のが、わたしの……初めて……です。だから……生まれてくる子供は……絶対にシンヤの子供です」


 顔を真っ赤にして、精一杯思いを伝えようとしたマリナ。

 だけど、馬鹿な俺では直ぐに状況を理解できない。


 なぜキスを急にしたのかという疑問に、どうして子供がどうとかの話になるんだ?

 それにキスで子供はできないだろ?


 うん。

 改めて考えても意味が分からん。

 でも、最高の気分に変わりはない。




 !?



 そういうば昨日……マリナは子供がどうとか言っていたな……。



 ………………あッ!!!



 そういうことか!!


 マリナはずっと昨日の子供の発言のことを言っていたんだ!

 そこに俺が『約束した』とか『今日する』とか言ったもんだから、マリナが急にキスをしてきたんだ。


 でも……なんでキスで子供ができるんだ?


 俺の知っている知識と違うんだけど……。


「あ、ありがとう。でも……これで子供ができるんですか? 俺の知っているのと違う気が……」

「えっ? でも父は言っていましたよ。愛しているもの同士が大人のキスをすると、子供ができるんだって」


 マリナの様子から、この嘘の情報を信じて疑っていないようだ。

 こういう嘘は、大人が子供の質問に困った時に使う常套句だ。

 マリナはそれをずっと信じてきたんだ。


 ここは訂正してあげないと!


「マリナ……それは、マリナのお父さんが子供に教えるには早いからって、嘘をついたんですよ」

「そ、そんな…………。じゃあどうやったら子供はできるんですか?」


 マリナは不意に突きつけられた現実に、足元から崩れ落ちる。

 そんなマリナを優しく抱き上げると、ネットで身につけた知識を元に答えを伝える。


「それは、もちろんモニョモニョして……」

「えっ!?」

「チョメチョメして……」

「へっ!?」

「ニャンニャンすれば、子供ができるんです」

「はひっ!?」


 マリナにとっては衝撃的すぎたらしく、足の力が完全になくなってしまった。

 というか、腰が抜けているようだ。


「モニョモニョ……チョメチョメ……ニャンニャン………」


 ブツブツと何か話すマリナ。

 壊れた機械のように、遠くを見つめながら何かを語りかけている。


 し、失敗したかな。

 マリナにはちょっと刺激が強すぎたようだ。

 マリナがこのまま治らなかったらどうしよう?


 !?


 いいこと思いついた!


「マ、マリナ! 今言ったこと、全部嘘だから!」

「へっ!! 嘘……?」

「そう、嘘!!」

「な、なんだ……。さ、さすがにニャンニャンはおかしいと思ったんですよ! 物理的にあり得ないれすからね」


 虚ろな表情をしていたマリナは、瞬く間に正気を取り戻し、さっきまでの姿が嘘のように饒舌に話していく。

 ただ、呂律は上手く回ってないようだ。

 物理的に無理って、マリナは子供がどこから生まれてくると思っているんだろう?


 でもまあいいか!


 いつか知らなくてはいけないことでも、今は知らないでいいこともある。

 きっと俺はそういうマリナも好きなんだ。

 顔が真っ赤のマリナを見ていると 、しみじみとそう思った。

 というか、マリナの顔……いくらなんでも赤すぎないか?


「もしかして……熱がある?」

「ふへ? そんなことないれす。元気一杯です」


 マリナのおでこを触ってみる。


 熱い!


 完全に熱がある。


 昨日からの意味不明な言動といい、大胆な行動といい、そういうことだったのか。

 マリナを無理やりベッドに寝かせ、ルルとニョニョを起こした。

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